第8話

「ひっどーい! こんな格好だけど私は女の子だよ! 男と見間違えるなんて!」


「ほんとごめんなさい……」


「ゆうちゃんってばサイテー!」


 ぷりぷりと僕に怒るボーイッシュガール。

 黒のショートヘアーに中性的な顔立ち。服装も男っぽいコーデ。

 けれど、よく見ればちゃんと女の子。しかも、十人中十人が振り返る美少女だ。


 彼女は高月愛菜さん。

 陽佳の友達にして彼女とラブホテルに入ろうとした張本人。

 そして、【全裸女子会】で僕が顔を合せた女の子だった。


 場所はそのままホテル『ルート2スペシャル』。

 5階に上がって502号室。女子会で利用する方々のために、アメニティやら設備やらを抑えたエコノミールーム。そんな部屋に僕たちはいた。


「勉強会しようとしてただけなのに勘違いしちゃってさ」


「……はい」


「男と陽佳が何すると思ったの? ゆうちゃんってば、やーらしんだ!」


「……返す言葉もございません」


 二人がけのソファーにあぐらを掻いた愛菜さんがケタケタと笑う。

 お尻を小刻みに揺らして実に楽しそうだ。


 いじめっ子かな。しくしく。


 くやしいけれど僕には何も言い返せない。

 だって全部、僕の勘違いだったのだから。

 美琴さんも言ったじゃないか「ただの勘違いですわ」って。 


 また、やってしまった。


 彼女の正面にある一人がけのソファーに座って僕は力なく肩を落とす。

 痛む頭を押さえながら僕はことの経緯を整理した。


 つまり真相はこうだ――。


 陽佳たちのグループのまとめ役の愛菜さん。

 彼女は前々から開くと約束していた勉強会を本日行うことにした。

 今朝の陽佳のメールはそれだ。


 例の広場で落ち合った陽佳と彼女は、いつも勉強会や女子会で使っているラブホテル(実際には女子会などに使えるレジャーホテル)に連れ添ってやって来た。

 そして、ホテルで部屋を確保すると、もう一人の勉強会の参加者――美琴さんにエントランスで連絡を入れたのだ。


 そこにまぁ、勘違いした僕が乗り込んだってこと。


 陽佳は悪い男にホテルに連れ込まれた訳じゃない。

 友達と一緒にラブホテルで騒ごうとしただけだった。


 ちなみに美琴さんが気づかなかったのは陽佳が来るのを知らなかったから。

 愛菜さんが個別に連絡を取っていたため、メンバーを把握していなかったのだ。

 まぁ、流石にいつものホテルの前まで来れば察したようだが。


 うぅん。


「心臓に悪いよ、陽佳。ちゃんと説明してれればよかったのに……」


 たまらず僕は頭を抱えてそんな不満を吐き出した。

 言わずにはいられなかった。


 もちろん、なにも陽佳は悪くない。勝手に勘違いした僕が全部悪い。


 ラブホテルでもベッドが定位置。

 真っ白のシーツの上にお姫様座りをすると、陽佳はしょぼんとした顔で人差し指を突き合わせる。上目遣いにこっちをみるのがちょっとエッチだ。


 彼女は唇を尖らせると小さな声で呟く。


「だってラブホテルで勉強会なんて、ゆうちゃんが心配すると思って……」


 うん! そのとおりだね!

 わかった! もうぜんぶぼくがわるいよ!

 ごめんねおこっちゃって!


 人のことを思って吐いた嘘なら咎められない。

 僕は身体の中でくすぶっていた怒りを、ため息と共に完全に消し去った。


 メンタルリセットしたところで今度は僕が謝る番だ。

 ベッドの上でいじける陽佳に、僕はソファーに座ったまま頭を下げた。


「ごめんね陽佳。君の事を疑って尾行したりして」


「ゆうちゃん」


「僕はどうやら、思った以上に束縛が強いらしい。君が他の男とそんなことをすると思ったら、居ても立ってもいられなかったんだ」


「……もう、ゆうちゃんったら」


「君からの愛を僕は疑ってしまったんだ。ごめんよ、陽佳」


 今度は僕が陽佳を許しを請うように見た。

 陽佳が黙ってベッドを降りる。市松模様に敷き詰められた白と灰色のフロアマット。それを素足で踏みしめて、彼女は僕の前までやってきた。


 ソファーに座る僕を見下ろし、僕の恋人がちょっと嬉しそうに微笑む。


「お互い様じゃない。もうっ、真面目なんだから」


 胸の中に陽佳がふわりと飛び込んで来た。

 腰に腕を絡めてつよく僕の身体を抱きしめる。太ももの上にすっぽりと収まった彼女は、飼い主の膝の上で遊ぶ猫のように僕に甘えた。


 すぐに彼女は唇を僕に突き出してくる。


 許してくれるんだね陽佳。

 分かった、それなら君の唇に誓うよ――。


「あらあら、まぁまぁ。見せつけてくれますわね」


「ゆうちゃんもよっぴーも大胆だなぁ。ディスコの中だけにしてよ」


 指先で口元を隠して微笑む美琴さん。

 相変わらずあぐらを掻いたまま歯を剥いて笑う愛菜さん。


 あぶない。

 なんとか僕は寸前でキスを思いとどまった。


 キスが未遂に終わり不機嫌そうに膨れる陽佳。そんな彼女をなだめてベッドに戻すと、僕はソファーに戻って背もたれにどっしりと背中を預ける。


 はぁ、疲れた。


 とにもかくにも、一件落着だ――。


「って、入っちゃったよラブホテル!」


「入っちゃったね」


「入りましたわね」


「入ったけどそれがどうかした?」


「しかも女の子三人と! どうしようこれ!」


 流石にエントランスで騒いだら他のお客さんに迷惑。

 しかたなく愛菜さんが取った部屋に入れてもらったけれど。


 ――ここラブホテルだよ。


 入ってみると、案外中はそれほどいやらしくない。


 清潔なシーツのキングサイズベッド。

 モダンな化繊のソファーにガラス張りのローテーブル。

 床は全面マット。天井と壁にはクリーム色のクロスが張られている。


 ちょっといいホテルって感じ。


 ――けど、ラブホテルやん!


 背もたれに背中をあずけたまま僕は顔を手で覆った。

 はずかしい、穴があった入りたい。都会にそんなものあるはずないけど。


 羞恥にもだえる僕の肩を美琴さんが優しく撫でた。


「大丈夫ですわよ。ただのレジャーホテルなんですから」


「けど、お巡りさんや知り合いに見られたらどうするの!」


「心配ありませんわ。ここのホテルはうちの事務所と懇意ですの。私から事情を話せば裏口から出してもらえますわよ」


「あ、なんだ。それならよかった、焦っちゃったよ」


 安心。

 けど、懇意ってどういうこと?


 やっぱり、不安だ。

 違う方向で。


 僕と違って女性陣はいたってのんき。

 陽佳はベッド。愛菜さんは二人がけソファー。

 どちらもねそべってぐったりしている。


 特に愛菜さんのくつろぎっぷりは凄い。

 ソファーで意味もなくバタ足なんかしている。


 今日の勉強会の主催で、陽佳の友達の仲では一番頭がいいとの愛菜さん。

 なんでも学年首席とのことだが、スポーティな体つきやその落ち着きのなさからはちょっと信じられない。本当なんだろうか。


 そんな彼女がバタ足に飽きたように顔を上げる。


「そんなことより! 勉強の前にご飯にしよう! みんな、なに食べたい?」


 ローテーブルに置かれたメニュー表に愛菜さんが手を伸ばす。

 大きなオムライスが載ったそれを持って彼女はにししと笑った。


 うぅんと悩んで陽佳は「オムライスがいいかな? けど、カルボナーラも美味しいんだよね?」と、常連っぽい独り言をこぼす。

 美琴さんはと言えば――どうしたのだろう、何か難しい顔をしている。


「そう言えば、事務所に収録のロケ弁が人数分残っていたような」


「「え⁉ 本当⁉ 食べる食べる!」」


 ぽろりと美琴さんが漏らした言葉に、陽佳と愛菜さんががっつり食いつく。

 まったり状態から起き上がった二人が、美琴さんに次々に飛びついた。


 激しいスキンシップだ。

 男なので割って入れないのがなんとも悩ましい。


 しかし、弁当一つにおおげさだ。

 アイドルに出るロケ弁だけあって、やっぱり美味しいのかな。

 ちょっと僕も楽しみになってきたぞ。


 はしゃぎ終えた陽佳達が美琴さんから離れる。

 すぐに、誰が事務所に弁当を取りに行くかという話になった。


「どうする、誰が取りに行く?」


「私が行くのは当然として、私と一緒に歩いていても問題なさそうな方ですわね。となると、陽佳さん一択ですわ」


 男の僕と遠目に男と勘違いされる愛菜さん。

 美琴さんが男と歩いている姿を誰かに見られたら大変だ。


 それでなくてもここはラブホテル。

 一緒に出るところを激写されたら、明日のトップニュースになっちゃう。

 ここは陽佳に任せることにしよう。


「ごめんね二人とも。それじゃお願いするね」


「「まかセロリ!」」


 流行ってるのかなその挨拶。


 そんな訳で、美琴さんと陽佳は連れ立って部屋から出て行った。


 女子会用とはいえラブホテルの一室。

 友達の彼氏と彼女の友達。不思議な関係性の二人が取り残された。


 ちょっと気まずい――。


「ねぇ、ようちゃん。みこちんたちが帰ってくるまで暇だし、なんかしよっか?」


 二人がけのソファーから立ち上がった愛菜さんが僕の隣にやってくる。

 背もたれのないソファーにお尻を下ろすと、彼女はそこであぐらをかいた。

 なんか緊張したのが馬鹿らしくなるラフさだな。


 グイグイ来る系女子って苦手だけどこの状況だとちょっと助かる。「いいよ」と僕は愛菜さんの話に乗る。「そうこなくっちゃ」と彼女は壁際に手を伸ばした。

 手にしたのは、彼女が背負っていた大きなリュックサック。


「えへへ。実はね、私ってば個人でブログとかインスタやってるんだ」


「へぇ、どんな活動してるの?」


「家が雑貨屋でね扱ってる商品を紹介してるの」


 愛菜さんがスマホを僕に差し出す。画面に映っている宣伝用のTwitterアカウントは、フォロワー数が芸能人並みになっていた。


 すごい、アルファツイッタラーだ……。


 自慢げにドヤ顔をする愛菜さん。

 けれどもその顔はすぐに、人に助けを求めるおねだり顔へと変わった。


「紹介する商品の写真を撮りたいんだけれど手伝ってくれないかな?」


「うーん、まぁ、それくらいなら」


「ほんと! やったぁ!」


 愛菜さんは鞄の中から一眼レフカメラを取り出す。

 さらにレフ板に背景用のボードと、次々に撮影用の機材をそこから取り出した。


 かなり本格的だ。


 ただ、商品らしきモノが見当たらない。


「どれを撮影するの? 撮影機材しかないみたいだけど?」


 気になって僕は愛菜さんに尋ねた。


 機材をリュックから取り出し終えた彼女は、ちっちっちと顔の前で指を振る。

 そういうことをするからには、忘れたってことはなさそうだ。


「せっかちだなぁ。大丈夫、ちゃんと身につけてるから」


「身につけてる?」


「ちょっと待って。今、脱いじゃうから……」


 言ったが早いか即全裸。

 なにをどうしてどうやったのか目に留まらぬ早脱ぎ。

 愛菜さんが黒シャツとダメージジーンズを脱ぎ捨てた。


 いや、違う!

 全裸ではない!


 彼女の身体には実に機能的な灰色の上下が装着されていた!


「じゃーん! 商品番号327番! 高機能スポーツブラ&ショーツだよ!」


「わぁ、動きやすそう!」


 ――って、ほぼ全裸やん!


 下着姿で愛菜さんはポーズを決めた。

 スポーツブラ&ショーツなので布面積がちょっと多いのがせめてもの救いだ。


 けど待って、さっき愛菜さんてば「脱ぐ」とか言っていたよね。


「それじゃまずはブラから行こうか! よいしょー!」


 愛菜さんがブラの袖を握りしめると上にまくろうとする。

 僕はその手を咄嗟に握りしめてその暴挙を止めた。


 着替えを邪魔されて御機嫌斜めな顔をする褐色少女。

 すぐに恨みがましい視線が僕に飛んでくる。


 いや、そんな顔されても困るよ――。


「なにするのゆうちゃん、脱がないと撮影できないでしょ?」


「いや、使用済みを映したら問題になるでしょ」


「私の商品紹介は実際に使った感想が受けてるの! 着ないでレビューするなんて、そんなのは商品に対する冒涜だよ!」


「その心意気は立派だけれど、ちょっと深呼吸してよく考えて」


 男の前で裸になろうとしているんですよ、貴方。


 お嬢様学校の学年首席の愛菜さん。

 僕は彼女が自分の過ちに気がついてくれると信じて待った。


 けれども僕の期待を裏切って、愛菜さんはおもむろにスマホを手に取った。

 パシャリと鳴るのはシャッター音。彼女は唐突に自撮りをする。顔はなんとか見切れているだろうが、彼女を止める僕の腕がそこには入っていそうだった。


 嫌な予感がした。


「いいのかなぁ、ゆうちゃん? この写真をよっぴーに見せても?」


「……またこの流れか!」


「ゆうちゃんに乱暴されちゃった、って言ったらよっぴーなんて言うかな?」


 エッチな漫画でよくあるよね。誤解を招く写真で脅す奴。

 こんな風に、迂闊に女の子に触っちゃったばっかりに脅されるの。

 こんなことなら止めるんじゃなかった。


 悪魔のような笑みを浮かべる愛菜さん。

 白く鋭い彼女の犬歯が輝く。本当にサディスティックな表情が似合うな。

 さらに彼女は僕の胸板に顔を寄せると、上目遣いで怪しく見つめてくる。


 ギャルに性的にからかわれるエッチな漫画みたいに――。


「ほら、それにもし私がよっぴーに嘘を教えたらどうするの? よっぴー、数学はあんまり得意じゃないから留年しちゃうかも?」


「留年脅しまでしますか」


「大事なよっぴーを守るんでしょ? だったら、誠意を見せてよ!」


 誠意ってなんだっけ?(正答率10%)


 人差し指の爪で僕の胸板を愛菜さんがつんと叩く。

 サディスティックな表情と合わさって破壊力抜群。

 マゾじゃなくてもコロリと落ちるよ。


 とほほ。


 僕はまた、女の子のお願いを泣く泣く受け入れた。


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