第7話
「じゃあね、ゆうちゃん。真っ直ぐお家に帰るんだよ?」
「子供じゃないんだから」
駅前商店街アーケードの入り口で、陽佳が冗談だよと楽しそうに笑う。
僕が微笑み返せば、急に彼女が近づいてきて口づけをする。唇を離した陽佳は「お別れのキスだよ」と言って、編み込んだおさげを気恥ずかしそうに指で弄った。
顔の横でひらひらと落ち葉のように陽佳が手を揺らす。
小さな声で「ばいばい」。
若草色が鮮やかな背中を向けて、陽佳は僕の前から立ち去った。
向かったのは駅前商店街。若者向けの商店が並び、そこそこ賑わう人の波の中だ。
時刻は午後四時前。
デートの終わりにしては随分と早い。
商店街の反対側にはスクランブル交差点。
視線を上げれば先日お邪魔した美琴さんのアイドル事務所が見えた。
さて――。
このまま家に帰るか。
それとも陽佳の後を追うか。
今、僕は人生の岐路に立っていた。
「陽佳。そのバイト、本当に大丈夫なの?」
朝から引きずっている陽佳のアルバイトへの不安。
いったい何をしているのか。問題ない、心配ないと言われても、詳細を教えてくれないことには、僕はどうにも安心することができない。
気にしすぎかもしれない。
陽佳だって、人に知られたくないことはある。
彼氏が相手ならなおさらかもしれない。
けど、連絡を受けた時の陽佳の嫌そうな反応がどうにも引っかかった。
考え過ぎかもしれないが――。
「もしかして、不本意なバイトじゃないのか?」
パパ活・援助交際・違法リフレ。
そんなバイトを自分の意思とは関係なく強要される女の子。
エッチな漫画でよく見かける、可哀想なシーンと展開が僕の頭を過る。
漫画の中の男の子と同じ境遇になるなんて――。
僕は歯を食いしばると、拳を痛いくらいに握りしめる。
別にそうだと決まった訳じゃないのに、僕の心と身体はNTR展開に震えていた。
「やっぱり、陽佳がどんなバイトをしているのかちゃんと確かめよう」
杞憂で済んでくれるならそれでいい。
もし勘違いなら素直に謝ろう。
僕は陽佳を尾行することにした。
商店街の緩やかな人の流れに合わせてのそのそと進む陽佳。
お店にして三軒分くらいの距離を保って僕は恋人の背中を無心で追った。
商店街を歩くことしばらく。
商店街のお祭りやイベントが開催される広場に僕たちはたどり着いた。
中央に銀色のモニュメントが置かれた休憩スペース。幼い子供達がはしゃぎ回る、そんな広場。その街路樹の影に陽佳はすっと入った。
手提げ鞄の中から彼女はスマホを取りだす。
なんだか妙な感じだ。
「スマホなんか見てどうするんだ」
「待ち合わせ相手との連絡では?」
「やっぱり? バイトって聞いたんだけれどなぁ?」
「あっ! 陽佳さんが手を振ってますわ!」
本当だ。
街路樹の下で陽佳が通りの方に手を振っている。
それを見つけて駆けてきたのは――若い男の子だ。
体つきから、おそらく僕たちとそう歳は変わらない。
こんがりと焼けた肌がいかにも不良っぽい感じ。
黒いシャツにダメージジーンズ。眼深く被ったキャップ。
そして、背中には大きなリュックサック。
いったい彼はどういう人物なんだ?
陽佳との関係は?
バイトとは?
そして――。
「二人で歩き出しましたわ。どこへ行くつもりでしょう。親しげに腕なんか組んで」
「ていうか、君も誰だよ⁉」
さっきから僕に語りかけている人は誰だ?
声のした背中を僕は慌てて振り返った。
すると、そこには――。
紅色の肩だしトップスに群青色のストレッチパンツ。グラマラスな身体にばっちりとセクシーなコーディネートが似合っている。靴は茶色くヒールが高いパンプス。手提げ鞄もよく見ると高級ブランドのものだった。
そんなお洒落な格好が、ニット帽にサングラス、はんぺんマスクで台無し。
怪しさMAXヤベー人が居た。
なに? 誰なの? 怖い!
「あら、ごめんなさい。変装したままでしたわ」
「変装⁉」
「これで分かりますかしら?」
豊かなお胸をぷるんと揺らして謎の女が一歩下がる。
両手を彼女の顔に持ってくると、サングラスとマスクを指でずらした。
露わになったのはテレビ映えする美人顔。
西洋人形のような顔立ちに桃色の頬。緑色の瞳に金色の髪。
思わず僕は「あっ!」と叫んだ。
「美琴さん⁉」
「こんにちは、ゆうちゃんさん。奇遇ですわね」
彼女は陽佳の友達。
そして女子高生アイドルの藤崎美琴さんだった。
なるほど身バレ防止のために変装していたのか。
再びマスクとサングラスをして怪しさMAXになった美琴さん。うふふとマスクの前に手をあてて、柔らかな笑い声を僕に向ける。
「陽佳さんを尾行してますのね? いったいどうしましたの?」
「いや、説明するのが難しくて。そういう美琴さんは?」
「時間を潰しておりましたの。これから友人と近くで女子会なんですの。連絡が来るまでショッピングでもと思って、この辺りを巡っていましたのよ」
へぇ、女子会か。
なんだか楽しそうでいいね。
陽佳が行くのも、バイトじゃなくて女子会だったら、僕も気を揉まなかったのに。
なんて感心していると、急に美琴さんが僕の腕を引く。
「いけない、陽佳さんがこちらを! ゆうちゃんさん、隠れてください!」
「わぁ! ちょっと!」
僕は美琴さんの立派なお胸の中に入り込んだ。
ぱっふぷるるんぷにゅぷにゅ。(擬音)
陽佳を上回る暴れん坊おっぱいが僕を包み込む。
やわかくてあたたかくてそしていいにおい。
思わず緊張が緩んじゃうよ。
「大丈夫、こうしていればただのイチャつくバカップルにしか見えませんわ。このままやり過ごしましょう」
「……えへ、えへへ」
「気づいた素振りはありませんわね。あっ、二人が動き出しましたわ」
「あぁん、待ってやわらかおっぱい。いかないで僕の安息の地」
僕を胸からひき離す美琴さん。
お乳の柔らかさと偉大さに、ママに抱かれる赤ちゃんの気持ちになっていた僕は、陽佳を追う美琴さんの背中を見てようやく我に返った。
いけない、いけない。
僕としたことが陽佳以外の女性の胸にうつつを抜かすなんて。
ダメだぞ、浮気だぞ。
けど、ママなら浮気にはならないよね。
「待ってよママ――じゃなくて、美琴さん!」
美琴さんというを力強い仲間を得て、僕は陽佳の尾行を再開した。
商店街の中心を離れて国道の方へ。
駅前から延びる細い生活道路を陽佳たちは進む。
まだ四時過ぎなのにやけに街並みが暗い。
そんな街から出る少し手前。
国道まであと少しという所で陽佳と男が立ち止まる。
彼女達の視線の先には、この街並みの中にも異様な建物があった。
十字路の角に隠れながら、僕と美琴さんはその建物を見上げる――。
「どうやら、ここが目的地のようですわね」
「……ここって」
西洋建築を思わせる白い五階建てビル。
地上階は清潔感のある黒カーテンにより隠された駐車場。
明朗会計な看板。おすすめは「女子会プラン5980円(3時間)」。
意味不明――天井に輝く金のマーライオン。
絶句する僕に代わって美琴さんが言った。
「ホテル『ルート2スペシャル』! ラブホテルですわ!」
それはラブホテルだった。
そして僕の目の前で、陽佳は男と一緒にその入り口に姿を消した。
男に肩を抱かれて曇りガラスの扉の先へと――。
やっぱり。
杞憂なんかじゃなかったんだ。
「……嘘だろ、陽佳!」
陽佳は男にラブホテルに呼び出されたんだ。
バイトというのも僕を安心させるための嘘だったんだ。
彼女はこれから、あの男に――。
僕の頭の中で陽佳が光のない瞳を向けて助けを求めていた。
残酷な想像に僕の脚から力が抜ける。
精神と肉体に同時に襲いかかったショックに僕はその場で体勢を崩す。頭から倒れそうになった僕を、ギリギリの所で美琴さんが受け止めた。
また、彼女の柔らかい胸が僕の顔を覆った。
だが今度は、さっきみたいに気を緩めることはできなかった。
「しっかりしてくださいまし、ゆうちゃんさん!」
「……無理だよ、こんなの」
大切な幼馴染を失った絶望感。
エッチな漫画を読んで想像した以上だ。
母性的な美琴さんの身体に包まれて、ようやく凍っていた感情が動き出す。
けれども、それは悲しみ。涙に変えることしかできない負の感情だった。
一度、堰を切った感情はもう抑えられない。
美琴さんの身体にみっともなく縋って――僕は泣いた。子供みたいに泣いた。
「ゆうちゃんさん。大丈夫。これは、ただの勘違いですわ」
「勘違いじゃないよ。僕の目の前で、たしかに陽佳は……」
「そうではなくて。えっと」
「やめてよそんな慰め! 惨めになるだけじゃないか!」
美琴さんなりに励まそうとしてくれているんだろう。
その言葉は優しく、僕もつい受け止めてしまいそうになった。
けど、勘違いなんかじゃない。
陽佳は確かに男と一緒にラブホテルに入ったんだ。
陽佳。
君がいったいその男と、どういう関係なのかは知らない。
けれども君のそんな悲しい顔を見て見ぬ振りはできないよ。
「陽佳、待っててくれ。僕が君を助ける」
美琴さんの胸で泣いたからだろうか。
悲しみを絞り出した僕の中に、すこしばかりの勇気が戻っていた。
僕はやわらかい美琴さんの身体からゆっくりと離れる。
そして、涙とおっぱいを振り切ると、ラブホテルに向かって駆けだした。
「あっ! ゆうちゃんさん! 待ってください!」
「美琴さん、ありがとう。けど行かなくちゃ」
――僕は陽佳の彼氏なんだ!
そう思えば、まだ僕はなんとか頑張れそうだった。
決意を新たにした僕の背中でスマホの着信音が響く。美琴さんのものだ。
僕に追いすがろうとした彼女は、その急な着信によってその場に足を止めた。
美琴さんを十字路に残して、僕はラブホテルに突入する。
曇りガラスの向こうはエントランス。鏡張りになったお洒落な空間になっていた。
そんなエントランスの端。
エレベーター前に、陽佳は寂しそうな背中をこちらに向けて立っていた。
ただし、隣に男の姿がない。
「男はどこに消えたんだ?」
――まさか!
僕の背中が冷たい気配にざわつく。
振り返るとそこには、陽佳をここに誘った男がスマホを手にして立っていた。
荷物と帽子を外したそいつは、怪しい笑顔を浮かべている。
ただし、その目は僕の事など興味なさそう冷めている。
まるで罠にかかった獲物など、もうどうでもいいという感じに。
あれほど冷たく感じた背筋に、ぶわっと汗がたちまち噴き出した。
僕は嵌められたのだ。
わざわざ陽佳を僕とのデートの最中に呼び出したのも計画のうち。
彼は僕をここに呼び出すつもりだったんだ。
いったいこの男は、何者なんだ?
その時、男がようやく口を開いた。
僕なんて眼中に入っていないような、そんな顔で――。
「あ、もしもしみこちん? お仕事終わったー? 今ねぇ、いつもの女子会やってるラブホに入ったとこ。今日のメンバー? よっぴーとみこちんだよ。よっぴーとはもう合流したから。部屋は502ね。二人で先にあがってるから。じゃーにー!」
「……あれ?」
なんか、話が妙な感じじゃありません。
楽しそうにエグいこと言うのは敵役の鉄板ムーブ。
けど、なんか言ってることが全然僕に関係ない。というか友達との連絡みたいだ。
しかもよっぴーにみこちんって。
そのあだ名は前に聞いたことがあるぞ。
「あれ? もしかして、ゆうちゃん?」
「え、あ、はい?」
「うわぁ、久しぶりー! 元気してたー? ディスコ以来だねぇ!」
息つく間なく寝取り男が僕に飛びついてくる。
情熱的なハグ。
恋人というより友達にするような感じ。ちょっと力が強い。
身体を強くしめつけられる一方で、僕の身体からは力がすとんと抜けた。
やだ、なにこのフレンドリーな感じ。
「どしたの赤い顔しちゃって? もしかして調子悪いの?」
「え、いや、これはそのいろいろありまして」
そして――なんだこの胸に当たる微妙な存在感は!
ぷにぷにと弾力があって、触れているとすごくエッチな気分!
どうして男に抱かれているのに、こんな気分になっちゃうの!
これは本当に――男の胸なのか?
よく見ると、男だと思っていたその身体には、女の子らしいくびれがあった。
ダメージジーンズの隙間から見える足にも女性特有のなめらかさがある。
もしかして――男の子じゃないのでは?
「というか貴方は……?」
「あれ? もしかして忘れちゃった?」
きょとんとするその顔に一週間前の記憶が重なる。
そうだ、この顔を僕は陽佳のパソコンの中で見ている。
あぁ、どうして気がつかなかったのだろう。
「もしかして、陽佳のお友達の?」
「高月愛菜だよ! 名乗ったよね? 名乗らなかったっけ? まいっか!」
寝取り男の正体。
それは陽佳の女友達。
しかも、先日Discordで行われた【全裸女子会】にいた女の子だった。
そう! つまり! この一連の出来事は全部!
「僕の勘違い――ってコト⁉」
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