幼馴染を救うのを条件にラブホテルに入って便利な道具扱いされた件について
第6話
土曜日。午前八時四十七分。
美琴さんの事務所のある繁華街から地下鉄で10分。
繁華街を望める丘の上。広々とした公園に僕はやって来ていた。
小鳥のさえずる声と木々の擦れる音が実に爽やかだ。
そんな公園の入り口。
木でできた塔みたいなモニュメントの前で、スマホを眺めて時間をつぶす。
到着するなり化粧直しに行った陽佳を僕はそこで待っていた。
そう――。
「えへへ、はじめての陽佳とのデートだ。なにしよっかな」
僕と陽佳は公園にデートにやって来たのだ。
付き合いだしてはじめての週末だ、もちろん恋人はデートに行くしかないよね。
電車に揺られて二時間ちょっと。
その間も隣り合っていちゃいっちゃ。
ウキウキハッピーな初デート。
目的地についただけなのにもう僕は大満足だ。
いい休日だったよ――。
「ゆうちゃーん、ごめんねー! おまたせしちゃってー!」
「大丈夫だよ。ほら、走ると危ないよ」
陽佳が胸の前で手を振って僕の方に駆けてくる。
ピンク色のワンピースに若草色のカーディガン。厚底のショートブーツ。
耳の横の髪を編み込んでおさげにしている。先端の深緑のリボンが、陽佳の明るく愛らしい笑顔にいい差し色になっていた。
今日も僕の恋人はとってもかわいい。
よろけたフリして僕に体当たり。
ぽすりと胸の中に飛び込んで来た陽佳が、えへへと笑って頬ずりしてくる。
ほんとに甘えん坊さんだなぁ。
そんな悪戯な彼女を優しく受け止めると、僕はそのおでこにキスをした。
いたずらのお返しだ。
「もう。ゆうちゃんってば、ここはお外なんだよ?」
「いやだった?」
「ううん、うれしいよ。お礼に私からも」
「もーっ、外なんだからほどほどにしておこうよ」
「やーだ!」
今日は陽佳といっぱいいちゃつくぞ。
甘々なフレンチキスで決意表明すると、僕と陽佳は公園を歩き出した。
さて、はるばる二時間かけてやって来たこの公園。
初めてのデート先に選んだのには理由がある。
丘の頂上。
公園の全貌が見渡せる場所に立てば記憶が鮮やかに蘇る。
登って遊んだコンクリート製のステージ。夏場によく涼んだ水遊び場。秋になるとコスモスが綺麗な花壇。仲良く一緒に乗ったブランコにシーソー。
どれもこれも懐かしい。
隣に立つ陽佳に顔を向ける。
青い空と丘の境界を眺めて彼女は穏やかに笑っていた。
「ゆうちゃん覚えてる? 小学生の頃、よくここに遊びに来たよね」
「うん。おじさんによく連れてきてくもらったっけ」
「あの頃はベルを飼っていたものね」
小学生の頃、陽佳は家で犬を飼っていた。
ミルクティーみたいな毛色のウェルシュ・コーギー。
名前はベル。
彼を遊ばせるために陽佳と陽佳のお父さんは週末によく出かけていた。
そして陽佳と仲のいい僕もそのお出かけによく同行したんだ。
そんな週末旅行で一番多く訪れたのがこの公園。
示し合わせた訳でもないのに、デート先の第一候補に考えてしまうくらい、ここは僕たちにとって大切な場所だった。
「ねぇ、ゆうちゃん、あそこ覚えてる?」
陽佳が指差したのはステージ横にある森。
なんの変哲もないそんな場所を、もちろん僕はよく覚えていた。
「懐かしい。いつもあそこでごはんとか食べていたよね」
「ねぇ。お父さん、いっつもあそこに座るんだもの」
たまらず僕はそこへ駆け出した。
最後にここでご飯を食べたのはいつのことだろう。記憶より少し芝生が寂しくなった気がする。けれども、昔の面影はちゃんと残っている。
デート中なのも忘れて僕はそこに座り込む。
お尻に当たる芝生の感触がたらまなく懐かしかった。
僕を追って陽佳がやってくる。「もう、置いていくなんてひどいよ」と、ワンピースの裾を握ってむくれる彼女に僕はあわてて謝った。
すると、頬を膨らませたまま陽佳が僕に背中を向ける。
ワンピースの裾がふわりと膨らんだかと思うと、次の瞬間、彼女のかわいいお尻が僕のお腹に振ってきた。そのまま彼女は僕に背中からもたれかかる。
「これも、覚えているかな? ゆうちゃんベッド!」
「あー、そういえばしてたね。遊び疲れて、陽佳が僕にもたれたまま寝ちゃって」
「そうそう!」
僕を仰ぎ見て陽佳は悪戯っぽく笑った。
あの頃の陽佳はころころとして可愛らしかった。
今の陽佳ももちろん可愛い。けど、大人の色気がそこには加わっている。
肩まで伸びたセミロングの髪。ふりふりとしたスカートの袖。桜の花を思わせる淡い色つきの唇。美しい乙女に成長した僕の幼馴染。
「ねぇ、ゆうちゃん」
陽佳が僕の胸の上で寝返りをうった。
うつ伏せになった彼女は胸の中から僕の顔をのぞき込む。
ほんのりと頬にはエッチな色が浮かぶ。
その手はいつの間にか僕の僕の腰に回っていた。
捕まえたつもりが、どうやらそれは逆だったようだ。
「あのねゆうちゃん。私、離ればなれになってようやく気づいたの」
「……うん」
「ゆうちゃんのことが大好きなんだって。一緒にいられないのがすごく寂しいの」
「僕もだよ陽佳。もし僕が女の子だったら、一緒にいられたのにね」
「……バカ。それじゃいちゃいちゃできないでしょ」
そっと陽佳が僕の胸を優しく撫でた。
びっくりして眼を向けると、獲物を狙うような怪しい笑顔を彼女は僕に向ける。
甘えん坊から一瞬にして悪戯っ子だ。
僕の胸板をなぞった陽佳の手が二つの膨らみと入れ替わる。
間隔の違う二つの鼓動が競い合うようにテンポを速める。
桜色の唇がじらすように僕に近づく――。
「ゆうちゃん」
「ダメだよ、陽佳。みんなに見られちゃう」
「見られない所ならいいの?」
「そういうことじゃなくってさ」
「私は、いいよ?」
悪戯っぽく笑って陽佳が僕の口を塞いだ。
溶けるように唇をほどくと、僕の彼女はまだまだ物欲しそうに僕を見ている。
潤いを増した唇。悩ましい目元。僕を優しく撫でる指先。
僕の幼馴染は、なんてエッチに育ったんだろう――。
「ねぇ、奥に行こっか」
「なに言ってるのさ」
「私、ちゃんと準備してきたの」
「……準備って」
「とびっきりかわいいの着てきたから。いっぱい触っていいよゆうちゃん」
ダメだダメだ。
ここで僕が流されちゃダメだ。
彼氏として、ここはちゃんと止めないと。
そんな僕のなけなしの理性は、首筋を噛むような陽佳のキスでポンと消えた。
もうむりやっべー。
こうこうせいのあおいりびどーをなめてました。
「……陽佳」
「……勇一くん」
白昼のいちゃエロ!
陽佳を抱いて茂みに入ろう! 後の事なんてもう知るか!
僕が理性をかなぐり捨てそうになった、その時だった――。
「ウーワンワン!」
「「……え?」」
突然大きなワンコが僕たちの頭上に現われた。
アイキャンフライ。
いいえ、ワンチャンフライ。
小学生くらいあるグレートピレニーズ。僕たちのいちゃいちゃへの刺客として、ワンちゃんが立ち塞がった。いや、立ち塞がるだけじゃない。
突然、陽佳の着ているスカートが膨れ上がる。
のそりと首を下げたワンちゃんが、陽佳のスカートに頭を突っ込んだのだ。
さらに――。
「きゃぁっ、ちょっとやめてワンちゃん!」
「ワン、ワンキャン! クゥウン!」
「ダメダメ、こらぁーっ! そんな所ペロペロしたらダメよ!」
お約束とばかりに、ワンちゃんは陽佳にじゃれつきだした。
うーん、うらやましいワン。
僕もワンちゃんになりたいワン。
とか、のんきなことを思っている場合じゃない。
僕は急いでワンチャンの後ろに回り込むと陽佳から引き離した。
「わぁー、こらくすぐったい。おまえ、甘えん坊だな」
「キャンキャン! クゥーン!」
人なつっこい犬なのだろう。僕がお腹をさすってあげると途端に大人しくなる。
遊んで欲しかったのかな。
陽佳から僕に興味を移してワンちゃんがじゃれついてくる。
それを僕は全身を使って受け止めてあげた。
「バウ! バウワウ! ハッハッ……」
「あははは! まったくしょうがない奴だなぁ!」
「もーっ! ワンちゃんダメよ! ゆうちゃんは私のなんだから!」
そんな風にワンちゃんと戯れていると、男の子がこちらに駆けてきた。
半袖半ズボン。小学生みたいな格好。彼は、僕と陽佳に慌ただしく謝ると、変わらず僕にじゃれついているワンちゃんを力ずくで引き離した。
どうやらグレートピレニーズの飼い主らしい。
「ごめんなさい、うちのペロがご迷惑を」
「大丈夫だよ。人なつっこい子だね。きっと大事にしてもらってるんだね」
「本当にすみませんでした」
僕から引き離されたグレートピレニーズは今度は男の子にじゃれつく。ワンちゃんを「もうっ、ダメだろ」と怒りながら、男の子はその頭を優しく撫でるのだった。
リードを引いて僕たちの前から男の子が立ち去る。
何度も何度も頭を下げる彼に、僕と陽佳はしばらく手を振っていた。
彼が振り返らなくなると、僕はようやくほっと息を吐く。
もみくちゃにされた僕と陽佳は、お互いの姿を眺めると同時に吹き出した。
あーあ、せっかくのデートが台無しだ。
「エッチなワンちゃん。もうっ、せっかく着てきたのに台無しよ」
「僕は別に気にしないよ?」
「ヘンタイ! 私が気にするわよ!」
「そんなぁ……」
すると、陽佳が悪戯っぽくウィンクする。
「家に帰ってからゆっくりしましょ?」
家に帰るまでじゃなく、家に帰ってからもデートか。
恋人の休日って奥が深いや。
あっけにとられる僕の前で陽佳が立ち上がる。
優しい風が丘の上を撫でかと思うと、彼女のワンピースの裾を優雅に揺らす。
季節は夏から秋へと変わる頃。
陽射しの中に冷たさを感じる中でちょっとその風は肌寒かった。
冷えた空気の中に甲高い音が響く。
スマホの着信音だ。
近いけれども僕のものではない。
「陽佳のスマホかな?」
「うん、ちょっと待ってね。たぶんLINEだと思う」
手提げ鞄から陽佳がスマホを取り出す。
すると、画面を覗き込んだ彼女の顔が言葉もなく不満げに歪んだ。
どうしたのだろう。
心配する僕に気づいて、苦々しい顔のまま陽佳はこちらに視線を向けた。
「ごめんね、ゆうちゃん。帰宅デートは途中までにしてもいいかな」
「えっ? どうしたの、何か用事?」
「うん。最近アルバイトをはじめたんだけれど、帰りにちょっと寄れないかって」
なぜだろう、ただのアルバイトにしては陽佳の態度が妙にひっかかった。
なんだか行きたくなさそうな、そして後ろめたいような表情だ。
いったいなんのバイトだろう。
まさかとは思うけれど――。
「陽佳。そのアルバイトって、変なのじゃないよね?」
「変なのって?」
「……いや、その」
どう聞いていいか分からなくて僕がどもる。
そんな僕に、陽佳はスマホをしまうと、何かを誤魔化すような笑い声を浴びせた。
「ゆうちゃんが心配することはなにもないよ。私、大丈夫だから」
「そう?」
「そう。だから、この話はこれでおしまい」
らしくない幼馴染の笑顔。
くしゃりとその手はワンピースのスカートを握り込んでいる。
その素振りに感じた不安は、その後のデート中も僕の胸から消えなかった。
陽佳。
もしかして、僕に隠し事をしているのか――?
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