第5話

「はぁー、えろい目にあった」


 夕闇に暮れる住宅街をおぼつかない足取りでとぼとぼと進む。

 アイドル事務所のお手伝いを無事に終え、僕はなんとか家に帰ることができた。


 電柱のカラスが呆れたようにカァと鳴く。

 家の窓からは晩ご飯の匂い。

 なんでもない日常の風景が心に染みる。


 ほんと、無事でよかった。


 アイドルの大切な箇所を弄りまくったのだ。

 どんな制裁をされるかと気が気じゃなかったが、軽い注意で済んで助かった。

 美琴さんも「まぁ、私が頼んだことですから」と、笑顔で許してくれたしね。


 天使かな? 女神かな?

 どっちにしてもエッチだな。


 おまけに、帰りにお土産まで持たしてくれてさ。

 引き出物でも入れるような立派な袋だけれど、中身はいったいなんだろうか。

 家に帰って開けるのが楽しみだよ。


 写真は消してもらったのに、どでかい借りを美琴さんには作っちゃったな。

 また、何かあったら助っ人に行かなくっちゃ。


 僕は住宅街の屋根に浮かぶ夕日を見上げて、しみじみと彼女に感謝した。


 助っ人に行ったはずなのにね。

 おかしいね。

 なんでだろうね。


 視界にようやく愛しい我が家の玄関が現われる。

 やっと帰れたと目頭が熱くなっちゃった。石段を蹴って僕は家に駆け込んだ。


 玄関に入れば、偶然にも中学生の妹と鉢合わせ。

 私服姿の妹はアイスキャンディを咥えておくつろぎモード。きっとリビングで録りためたドラマでも見ていたんだろう。


 挨拶もそこそこに妹はキャンディを口から取った。

 意地悪なその顔に妙な胸騒ぎがした。


「お兄ちゃん、お客さんが待ってるよ」


「お客さん?」


「大事な大事な彼女さん」


「えっ?」


 うなだれていた肩がピンとつり上がる。


 下を向けば見慣れない女物の靴。

 家で履くような楽な奴。木製の底のスラッとしたサンダルだ。


 間違いない――陽佳の靴だ。


 平日に遊びに来てもいいかとは聞かれたけど、まさかもう来るなんて。

 慌てて靴を脱ぎ捨てると、僕は二階にある自分の部屋へ駆けだした。


「お兄ちゃん。私、テスト期間中だから静かにしてね」


「どういう意味だよ!」


 しないよ、昨日の今日でそんなこと。

 猿じゃないんだから。


 ませた妹を置き去りに、駆け足で僕は階段を上がる。

 上がってすぐの突き当たりが僕の部屋。その扉を僕はノックもなしに引いた。


「ごめん陽佳、待たせちゃった⁉」


「遅いよゆうちゃん。LINEで連絡入れたでしょ?」


「ごめん、ちょっと疲れてて確認する余裕がなかったよ――」


 へこへこと頭を下げて僕は陽佳のいるベットに移動する。


 昨日と違って今日は僕の部屋でおくつろぎ。

 ベッドが陽佳の僕の部屋での定位置なんだよね。

 昔から、僕の枕を胸に抱いて布団の上で本を読むのが彼女は好きなんだ。


 一年ぶりなのにかわらないな。


 かわいい桃色のお尻を天井に向けてうつ伏せになる陽佳。

 彼女の制服と下着がベッドの横には散乱している。もう、皺になっちゃうよ。

 ダメじゃ無いか、家の中だからってそんなラフな格好。


 わぁ!

 よく見たら、読んでいるのは僕の秘蔵のエッチな漫画じゃないか!

 勝手にベッドの下を漁らないでよ! もうっ!


 ――うぅん、今日も全裸や。


「なんで裸なんだよ陽佳⁉」


「……えっ? きゃぁっ!」


 叫ぶ僕! 我に返る陽佳!

 学生鞄とお土産が床に落ちる! 布団がばさりと宙に舞う!

 ほわほわ放課後お家デートから、急転直下のドタバタラッキースケベ!


 すっぽんぽんおくつろぎモードから一転、僕の布団の中に慌てて潜り込んだ陽佳。ぴょこっとその端から顔だけ出すと、むむむと頬を赤らめる。


 やだ、エッチなはずなのにすごくかわいい。

 またイチャイチャしたくなっちゃう。


 けど、その前に情報を整理させて。


「すっぽんぽんでなにしてるの……」


「これは! だって、ゆうちゃんが遅いから!」


 陽佳と一緒に布団に入りたいのをぐっと堪えて僕は尋ねた。


「あのね、久しぶりのゆうちゃんのお部屋でテンション上がっちゃって」


「あ、上がっちゃって?」


「お布団の匂い嗅いでたら、そのぉ……」


 ダメだ、詳しく聞くと致命傷になる。


 恥じらう彼女に「もういいよ。風邪ひくといけないから、はやく着替えて」と声をかけて、僕は自分の部屋をいそいそと出る。そのまま扉を背にして座り込む。

 両手で顔を覆うと「あぁもう」と、僕の彼女のエッチかわいさに悶絶した。


 ちくしょう! もうゆるすしかない!

 かのじょがえっちでかわいいならせかいはへいわ!

 もんだいなし!


 しばらくそうして心を落ち着けた僕。

 ようやく動悸が収まった所に、「そうだ」と陽佳が扉越しに声をかけてきた。


「ゆうちゃん、みこちんのお仕事を手伝ってくれたんだよね?」


「みこちん……あぁ、美琴さんね」


「さっきLINEきたけどすごく喜んでたよ。私も彼女として鼻が高いよ。えへへ」


「それはどうも」


「あと、ゆうちゃんのことエッチだねって言ってるけど――何かしたの?」


 声だけでゾッと背中が泡だった。


 いつもほんわか優しい感じの陽佳さん。

 そんな彼女の口から出たとは思えない骨から凍るようなドス声だった。


 扉からちょっと背中を離すと、僕はあわてて陽佳の方を振り返る。


「何もしてないよ。美琴さんのグラビア写真を褒めたからじゃないかな」


「ふーん。ゆうちゃんも、みこちんみたいな娘がいいんだ。そうだよね、みこちんの方が美人だし、胸もお尻も私より大きいし」


「そんなことないよ。衣装がエッチなだけさ」


「へぇー。それじゃ、私がアイドルの服着たらどうなるのかな?」


 どうなるって。

 そんなの想像しただけで愛しさが止まらなくなっちゃうよ。


 ただでさえ可愛くて、元気で、大好きな陽佳が、アイドルになるなんて。


 エッチ過ぎるや――。


 思わず想像なのに身もだえてしまった。


「フリフリのミニスカート穿いて、真っ白でエッチなニーソもつけて、おへそが出ているやらしいトップスを着ちゃったら――」


 そんな僕のエッチな妄想を見透かしたようなことを陽佳が言う。

 あまりにも妄想した通りで、ちょっと怖くなった。


「もうっ! 変な妄想させないで!」


「けどいいのかなゆうちゃん? 私がアイドルになっちゃったら、ゆうちゃんだけの私じゃなくなっちゃうよ?」


「……それは困っちゃうなぁ」


 見たいけど見せたくない。

 この二率相反する複雑な男心よ。


 妄想なのに僕は思わず真剣に唸ってしまった。


 その時、背中の扉がコンコンと鳴る。

 陽佳が着替え終わったみたいだ。


 恐る恐ると立ち上がり扉を引くと。すると――。


「こんにちはー。いつも応援してくれてありがとー。八幡坂279の小野原陽佳ことよっぴーでーす」


「……陽佳さん⁉ いったい、その姿は⁉」


 部屋の中にはアイドル衣装に着替えた陽佳が立っていた。


 決めポーズ。

 足を大きく開いて顔の前で可愛くピース。

 ウィンクをキメて舌をぺろりと出す。


 大人しそうなルックスと相まって強烈なギャップ萌えだ!


 そして服装がエッチ!


 ヘソ出しのフリフリしたトップス。

 ギンガムチェックのミニスカート。

 真っ白のニーソ。


 僕の理想のアイドルコスチュームじゃないか!


 部屋を出る前より激しくなった動悸にうっと心臓を押さえる。「大丈夫?」と尋ねてきた陽佳に、僕は「それよりどういうことなの?」と説明を求めた。


 えへへとはにかむと、駆け出しアイドルは軽やかなステップを踏んだ。


「みこちんのお土産だよ。勝手に開けちゃった、ごめんね?」


「……そう言えば、中に置いてきたな」


「八幡坂279の衣装だよ。みこちんがね、あまってるからあげるって」


 なんてものを渡してくれるんだ美琴さん。


 貴方が女神か。


 幼馴染のかわいらしさとエッチさに言葉を失う僕。

 すると、握手会に来たファンに接するように、陽佳が僕の手を優しく握りしめた。


「いつも応援してくれてありがとう、ゆうちゃん」


「わぁっ、なんだか本当にアイドルと会ってるみたい。すごぉい」


 なにこれ。

 すごいしあわせ。

 アイドルになった幼馴染に感動して身体に力が入らないや。


 そんな僕の手を陽佳が引く。

 不意打ちに体勢を崩して、僕は彼女にもたれかかる。

 そのまま、僕の腰にさりげなく陽佳は手を回してきた。


 耳元には彼女の愛らしい口。

 いつもよりちょっとエッチな声が僕の耳に届く。


「今日の握手会はゆうちゃんだけの特別な握手会だよ。ねぇ、ゆうちゃんは私にいったいどこを握手してほしいかな?」


「えぇーっ? どこかなぁー?」


 僕の耳元から離れた陽佳の唇が目の前に現われる。

 熱っぽいその色に吸い込まれるように、僕は彼女にゆっくりと顔を近づけた。


 はい、もう無理です。


 とびきり優しいふれ合いを終えた僕たちは、以心伝心すべてを伝え合うと、何も言葉を交わさずベッドの前に移動した。


 すると、その途中に僕は気になるものが。


「あれ? 衣装、もう一つあるんだね?」


 美琴さんから渡されたお土産の袋。

 その中に衣装がもう一つ入っている。


 僕の視線を追って床を見た陽佳が「あぁ、それね」とちょっと複雑な顔をした。


「サイズが分からなかったのかな、二つ入れてくれたみたい」


「へぇ。本当だ、そっちの方が小さいんだね」


「あぁっ! ゆうちゃん、私のこといまデブって思ったでしょ!」


 どうやら微妙な顔の理由はそれらしい。

 入らなかったんだな。うぅん、陽佳ってばちょっと発育がいいものな。


 けど僕は、柔らかくてエッチな陽佳が大好きだよ。


 そんな思いを視線で伝えようとしたのにぎろりと陽佳に睨まれる。

 意思疎通できなさそうな怖い顔している。


 やだぁ、またご機嫌斜めだ――。


「思ってないよ。小さいねって言っただけだって」


「嘘だ。思ってる、分かるもん幼馴染だから」


「柔らかくてエッチで大好きって思ったけど」


「ほらやっぱり! 許さないんだからぁ! ゆうちゃんなんて、こうしてやる!」


 陽佳が僕の服を強引に脱がした。

 そのまま、謎の布(やわらかくそしてあたたかい)で僕は目隠しをされた。


 やぁん、どうされるのだろう?

 ワクワク!


 期待して待つ僕に「はい、手を上げて」「足を通して」と陽佳が指示してくる。肌に布が擦れる感触からも、着替えさせられているようだ。


 アイドルに合わせて僕もコスチュームチェンジってこと?


 アイドルマネージャー?

 それとも熱心なファン?

 どっちかな?


 けど、妙に下半身がスースーする――。


「やーん! もしかしたらって思ったけれど、やっぱり似合ってる!」


 その時、僕の視界を隠していた謎の布(マリンブルー)が外れた。

 すぐに自分の身体を見るが――なんだろうやけに派手な衣装だな。


「……うん? ちょっとこれって?」


「お揃いだねゆうちゃん!」


 男の子の部屋だ、当然のように姿見なんてない。


 代わりに窓を覗きこめば、そこに二人のアイドルが並んでいた。


 一人はいかにも正統派。ちょっとふわっとしたミディアムヘアに、清楚そうな顔立ち。顔はちょっとぽっちゃり健康スタイル。


 もう一人は、ちょっと小柄でボーイッシュ。どこかアイドル衣装に着られている感じが抜けないショートヘアー。女の子なのにちょっとお手入れが雑。


 二人並ぶとアイドルユニットのように見えなくもない――。


 そこまで現実逃避して、ようやく僕は残酷な真実に向き合った。


「何を着せてるのさ、陽佳!」


 ――うぅん、僕がアイドルやん。


 なんでアイドル衣装を僕が着てるの!

 おかしいでしょ!


 予想外な彼女の悪戯にパニクる僕。

 そんな僕の背中にいつの間にか回り込んでいる陽佳。


 これはちょっとやり過ぎ。ちゃんと怒ろうと愛しい彼女の方を振り返れば――手にスマホを握りしめた僕の彼女が、にへらとだらしない笑顔を浮かべていた。


 パシャリ!


 いい音と共にスマホのフラッシュが焚かれる。


「……陽佳さん、なんで僕の写真撮っているんですか?」


「……それは、私のゆうちゃんが犯罪的にかわいいからです」


「……消してくださいお願いです」


「……私、機械音痴だから消し方わかんないや。えへ☆」


 うぅん、また写真か……。


 これ以上、恥ずかしい写真や動画は勘弁して。


 さっとスマホを背中に隠す陽佳。

 消す気なんてこれっぽちもなさそうだ。


 エッチでかわいくてちょっとずるい幼馴染。

 そんな彼女に、僕がまったくかなわないのは百も承知。

 けれども尊厳を守らなくては――。


「なにやってるんだよ! 陽佳ぁ!」


 アイドル姿の陽佳に僕は勢いよく飛びかかった。


「やーん。ゆうちゃんってば情熱的」


「違う! 消して陽佳! その写真を消して、今すぐ!」


「ほら、ベッドは向こう側だよ。そっちでゆっくりしよう?」


「誤魔化さないで! お願い、なんでもするから!」


「やーだもん! いいじゃない、個人で楽しむ用だから!」


 だからそれ、エッチな漫画のフラグだって!


 くすぐったそうに僕の腕で身もだえる僕のエッチで可愛い幼馴染。

 悪戯な彼女は、その写真を餌にして僕を今夜もさんざん振り回すのだった。


 結局、写真は消して貰えなかった。


 けどいっぱいなかよしした。


【幼馴染との写真を破棄することを条件にエッチなアシスタントをすることになった件について編 おわり】


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