第3話

 時刻は午前十時。

 県内屈指の繁華街。その駅前ビル四階にある謎のお店『めんこい娘』。

 くすんだ銀色の扉を前にして僕は息を整えていた。


 危険な世界へと繋がるその扉。

 ドアノブを握りしめる僕の手が恐怖に震えている。


 恐れを恋人への想いでねじ伏せて、僕はその中へと踏み込んだ。


 すると――。


「お待ちしておりましたわ! いらっしゃいませですわ!」


「……あれ? 陽佳の友達の?」


 思いがけない人物に僕は出迎えられた。


 金髪縦ロールのナイスバディに超高校生級のたわわ。

 だけどちょっと残念な感じのお嬢様。


 昨日の全裸女子会にいた、陽佳の同級生だ。


 掃除している最中だったらしい。箒とちりとりを持った彼女は、段ボールや新聞紙の束で溢れかえったそこで恥ずかしそうに頬をかいた。


「ごめんなさい、ちょっと散らかっていまして」


「あ、いえ、おかまいなく」


「どうぞ入ってくださいまし。ほらほら、遠慮なさらずに」


 陽佳の友達に誘われるまま僕はお店の中へ入った。


 困惑する僕をよそに、勝手知ったる感じで通路を進む陽佳の友達。


 紅色をしたワンピースドレス。

 短いフレアスカートの裾からは柔らかそうな太ももがちらり。

 シンプルな造りの白ニーソと合わさって、目が眩むような絶対領域を造っている。


 マリンブルーのつけ爪に彩られた小さな手も、ちょっとエッチだ。


 けど、なにより目を引くのが、地毛なのかなってくらい自然で美しい金髪。

 腰まで伸びたそれが背中で揺れる光景に、こんな状況なのにため息が漏れた。


 なんだか別の世界の住人みたい。


 えっと、たしか――。


「みこちんさんでしたっけ?」


「藤崎美琴でしてよ、ゆうちゃんさん」


 振り返って微笑む美琴さんの顔には、まさにお嬢様という気品があった。


 細い通路の突き当たり。

 衝立で仕切られた場所に僕たちはたどり着く。

 六畳あるかという狭い場所に、木製のローテーブルを中心に黒革のソファーが置かれている。壁の窓からは駅前スクランブルがよく見えた。


 そのまま窓側のソファーに僕は座らされる。


「すみません、応接間と休憩室を兼ねているので散らかっていますの」


「……へぇ」


「飲み物を持って来ますわね。コーヒーと紅茶、どちらがよろしくって?」


「あ、紅茶でお願いします」


 ポットが乗っているワゴンの前に移動すると、美琴さんは手慣れた感じで紅茶を淹れはじめた。背中を向けたまま「お砂糖とミルクはどうしますか?」と僕に尋ねる彼女は、なぜだかとてもウキウキしているように見える。


 なんだろう。

 なんか毒気が抜けちゃうな。


「えっと、美琴さんはどうしてここに? というか学校は?」


「あぁ、そういえば事情を話しておりませんでしたわね。私、ここで働いておりまして、仕事のある日は学校を休ませていただいてますの」


「……えっ? 休めるものなの?」


「うちの学校はこういう仕事に寛容ですから」


 女子高生があやしいお店で働くことに?


 嘘でしょ、そんなエッチな漫画みたいなことって本当にあるの?


 僕の前に使い捨てのティーカップを置くと、彼女はテーブルを回り込んで僕の正面に腰掛けた。手にはちゃっかりと自分の紅茶。


「直に私の顔を見ても分かりませんか?」


「……陽佳の友達ということしか」


「あら、ちょっとそれは傷つきますわね」


 美琴さんが優雅な所作で紅茶に口をつける。

 つられて僕も紅茶を啜った。


 独特な匂いと味。どうやらハーブティーらしい。けど、悪くない味だ。


 ティーカップを置いた美琴さんが「そうですわね」呟く。

 テーブル端の雑誌の山を見た彼女は、一番上にあったそれを僕に差し出した。


 ヤング漫画雑誌。

 その表紙を見た瞬間、「あっ!」と声が自然に出ていた。


 だって――表紙で微笑む美少女と目の前の女の子が、同じ顔をしていたから。


「あれ? これ、もしかして美琴さん?」


「お恥ずかしながら」


「……『八幡坂279のエース、藤崎美琴グラビアデビュー』って?」


「アイドルユニットですのよ。私はその選抜メンバーなんです」


 なるほど、美琴さんてばアイドルだったのか。

 どうりで綺麗なわけだよ。


 動揺を誤魔化すように、僕は紅茶を口に含んだ。


「するとここって?」


「アイドルプロダクションの事務所ですわ」


「学校を休んでいるのも?」


「アイドル活動ですわ。私立ですから、そういうことに理解がありますの」


 僕が期待したようなエッ……な話ではなかったんだね。


 安心。

 ちょっとだけ残念。


 いや、けどちょっと待って?


「LINEで送られてきた写真は? アレを送ったのはいったい誰? そもそも何だったの?」


「あっ、ちゃんと届いていましたのね。返信がないから心配してましたの」


「……もしかして美琴さんが?」


 えぇ、そうですわよと美琴さん。


 すぐに高校生離れした妖艶で邪悪な視線が僕を貫く。

 どこか気の抜けた空気が、一瞬にして突き刺すようなものに変わった。


 そして、僕は気がついた。


 自然な流れで差し出された飲み物のとある不自然さに。


「……しまった! これは罠!」


 独特な香りのするハーブティー。

 これなら何か混ざっていても気がつかない――。


 遅くなる動悸。止まらない汗。霞む視界。

 手からこぼれ落ちたティーカップがテーブルの上でカタカタと踊る。


 突然襲ってきた強烈な眠気にあらがえず、僕はソファーに倒れ込んだ。


 間違いない。

 睡眠薬を盛られたんだ。


 ここまでの流れは完全にエッチな漫画のそれだ。弱味を握られ呼び出され、薬を盛られてしまう一番人気の展開じゃないか。


 かすむ目で僕は美琴さんを睨みつける。


「くっ、いったい僕に何を飲ませたんだ……」


 美琴さんは優雅に紅茶を啜る。

 そして、とびっきりのいい笑顔で僕に言った。


「カモミールティーですわ」


「カ、カモミールティーだって⁉」


「寝る前に飲むと身体ぽかぽかで朝までぐっすり。安眠効果抜群でしてよ。副作用も少ないから、安心して飲めますわ。オススメハーブティーですわ」


 なにそれ。


 ちょっと得意げな美琴さんにまたしても毒気を抜かれる。

 これ、本気で言ってる奴だよね。

 冗談じゃないよね。


「……睡眠薬じゃないの?」


「はい? カモミールティー100%ですが?」


 じゃぁいったい、この眠気はどう説明するっていうんだ。


 クソッ。

 陽佳と結ばれたドギマギで、僕は今日は三時間しか寝てないんだぞ。

 そんな状態で睡眠薬なんて盛られたら即オチじゃないか。


 そう思ったのに――って。


「……いや、普通に寝不足だわ。ハーブティーでも効果抜群だわ」


「大丈夫ですの、ゆうちゃんさん? もしかして、お口に合いませんでした?」


 あたふたとした顔で僕を気遣う美琴さん。

 これ、薬なんか盛ってない反応だ。


 やだもう、ややっこしいなぁ。


「……すみません、ハーブティーが効いたみたいです。とんでもない眠気が」


「よろしければ横になります? ブランケット持って来ましょうか?」


「……お言葉に甘えていいですか?」


 心の底から心配そうに僕を見つめる美琴さん。

 その表情に安心して、僕は朝からずっと張り詰めていた意識を手放した。


 ……スヤァ。


◇ ◇ ◇ ◇


「すみません、本当になんとお詫びしたらいいやら」


「いいですよ、誤解だって分かったんですから」


 ソファーを軋ませて美琴さんが僕に頭を下げる。

 誠心誠意。心から申し訳ないと思っているのが伝わってくる謝罪に、僕としてもこれ以上どうこう言う気にはなれなかった。


 謎は全て解けた。

 そして、誤解も全て解けた。


 事件の真相はこうだ――。


 昨日の件をきっかけに、僕に仕事の助っ人を頼もうとした美琴さん。

 陽佳経由で僕の連絡先を入手した彼女は、さっそく僕にメッセージを送った。

 ただ、普通に送っても面白くない。ちょっとした悪戯心から、彼女はあんな脅迫めいたメッセージを僕に送りつけたのだ。


 それは、陽佳から僕に「美琴さんに連絡先を渡したこと」が説明されていると想定してのいたずら。フレンド申請してきた相手が知人だからできるおふざけだった。


 心臓には間違いなく悪いけれど。


「ちょっとした冗談でしたの。いえ、冗談でもやっていいことと悪い事がありますわよね。本当に反省しております」


「いいですって。頭を上げてくださいよ、美琴さん」


 そして、陽佳のHな写真の説明も実に簡単。

 だってその場に僕もいたんだもの。


「まさか、昨日のビデオチャットを撮影していたなんて」


「ごめんなさい、いけないことだと知りつつ、つい好奇心が」

 

 あれは僕と陽佳を撮影したものだった。

 写真の中の寝取り男は僕だったってわけ。


 というか、アレは陽佳を脅すんじゃなく僕を脅していたんだ。

 メッセージもよくみたら「貴方の恥ずかしい写真」だったものね。


 なにも事件性なんてない。

 陽佳は酷い目になんて会っていなかったんだ。


 よかった――。


「いやちっともよくないけどね」


「ごめんなさい。アレでは陽佳さんを脅しているようですものね。陽佳さんから分けていただいた、ゆうちゃんさんのかわいい写真を使うべきでした」


「なにわけてんのようかちゃん」


 以上が、朝から僕を絶望させた、幼馴染NTRメッセージ事件の真相。


 美琴さんをなだめながらも僕は盛大に白目を剥いた。

 ほんと、なんでこんなことになるかな。


 まぁ、美琴さんも誠意を持って謝ってくれているし、幸いにも実害はなかった。

 そのことを喜んで、この一連の騒動は笑い話にするべきなのかもしれない。


「とりあえず昨日の写真だけは消してください。流出すると厄介なんで」


「分かりました。では、この仕事が終わりましたら写真は消しましょう」


「NTR漫画かな?」


 セリフだけなら絶対に消されない奴じゃん。

 消しても新しいのを代わりに撮られちゃう奴。


 いい感じに幕引きかなと思った所で、美琴さんが強硬な姿勢を見せる。


 さっきまで、ぺこぺこ頭を下げていたのに悪い顔。

 ソファーにのけぞって足を組み替える素振りは、なかなかさまになっていた。


 これは将来の大女優かな。


「大丈夫。一回だけ、一回だけですから。私のお仕事手伝ってくれれば、この画像は消してさしあげます。大丈夫、ゆうちゃんさんが黙っていれば誰も分かりませんわ」


「完全にセリフがNTR漫画なんだけれど」


「それともこの写真を陽佳さんに見られたいんですの? もし彼女がこんな写真を見たらなんて言うでしょうね……」


「きみがおこられるだけだとおもうよ?」


 はぁ。


 なんでそこまでするのかな美琴さん。


 悪役顔は演技あるいは照れ隠しなんだろう。悪い女を演じながらも、その顔の奥にはパッと見てわかる真剣さがある。

 僕を見つめる瞳もさっきからずっとブレていない。


 彼女ってば本気なんだ――。


 脅されたにしても、彼女がここまでする姿には素直に心を打たれた。


「分かりましたよ。なんのお仕事か分かりませんけど手伝いますよ」


「本当ですの!」


「まぁ、今から学校に戻るのも難しいですし」


 ぐっすり眠って、話をすり合わせて、気がつけばもう正午だ。

 終日サボりが決定した僕には時間が余るほどある。


 だったら付き合ってあげてもいいか。


「ありがとうございます! 助かりますわ! 流石はゆうちゃんさんですわ!」


「わぁ、ちょっと美琴さん……」


 僕の承諾を受けて、すぐに悪役ムーブを美琴さんが解除する。

 感謝の言葉と共に僕の手を握りしめる彼女は、やっぱりアイドルだけあってちょっとドキリとするようなかわいげがあった。


 それでなくても男としては嬉しいよね。


 あと、美琴さんのたわわがバルンバルバルン揺れているのも、男としては言及しておかねばなるまい――。


 ましゅまろいっぱいぱい。(語彙力崩壊)


「助かりましたわ! 陽佳さんがいつも自慢してるだけあります!」


「いやぁ、それほどでも」


「嫌そうにしても最後は言うこと聞いてくれる。話のとおりですのね」


「なにをはなしてんのようかさん」


 僕は美琴さんのお仕事をしぶしぶ手伝うことにした。

 僕と陽佳のエッチな画像を消して貰うためというのは建前。この天真爛漫で、自分の仕事に一生懸命な女の子に、僕はすっかり絆されてしまった。


 陽佳ってば友達に恵まれているんだなぁ。


 ただ、エロ画像で脅迫するのだけはやめて欲しいけれど。


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