第53話
確かに朝焼けを見るためだけに、こんな離島まではるばるやって来るなんて私くらいだろう。
男性の目線が私の背中に移り、何か納得したように口を丸く開く。撮影ですか、と訊ねられたのでひとまず頷いておいた。まあ、嘘ではない。
店で手続きを終えて鍵を受け取ると、用意されていた黒いワゴンアールに乗り込む。普段から使っている車種を用意してもらえてよかった。
目標地を「高浜海水浴場」とナビに入力する。その奥にも海がありますよとレンタカー店の男性は丁寧に教えてくれた。その男性曰く、もうひとつの方が静かで落ち着ける場所らしい。さすが地元の人は詳しいんだと感心する。
福江から三井楽という土地へ向かって車を走らせる。車も多く、施設もそれなりにある福江を過ぎトンネルを抜けると、別世界だ。私だけ異世界に切り離されたのではないかと思うほどに車も人も建物もない道が現れる。真っ直ぐな道でアクセルをやや深く踏み込んだ。私の地元も車の運転は荒い地域だと言われるけども、さすがにこんな走り方をする人はいない。
とはいえ、見知らぬ土地での運転には気をつけたい。免許を取って三年くらいして油断をした私は電信柱に激突するという事故を起こしたことがあったので、今でもそのときのことは忘れないようにしている。
しかし、島というだけあって緑が多い。もしもここで車が故障して、ロードサービスとかに場所を説明する羽目になったならば周りは山ばかりですとしか言えないだろう。そんな不安を抱きつつも、私は高浜海水浴場を目指す。
ただ海を目指すだけなのに、私の指先はしっとりと汗ばんでいるし胸もいつもより大きく鳴っていた。そこへ辿り着けば何かが変わる気がしているけども、それに対しての期待と恐怖が入り混じっている。吉と出るか凶と出るか──それが見えないから、こんな状態になる。
途中ちらりと海が見える場所があった。昨晩スマホで見た通り、CGで作ったような青い海がそこにある。てっきりホームページの写真は見栄え良く加工をしたものだろうと思っていたが、どうやらほぼそのままの写真だったらしい。空をそのまま映し出した海と、白い砂浜のコントラストを横目で見ながらまた私は運転に集中する。
道端に古民家風のカフェも見つけた。高浜海水浴場の場所を確認したら、コーヒーでも飲みに立ち寄ってみよう。朝食のポテトフライの油がまだ腹の底でぐるぐるとしつこく渦巻いているので、何かさっぱりするものを身体に入れておきたかった。
トンネルが見えてきたので私はスピードを落として進入する。トンネル内でタイヤがアスファルト上を滑る、ゴオッという音が響いたかと思うと目の前がぱっと明るくなった。
ターコイズブルーの布をいきなり目の前で広げられたようで、思わずひゅうと息を呑んでしまう。道路脇に車を止め降りてみると、ひんやりとした潮風が頬を優しく撫でる。都合がいい考え方かもしれないが、いらっしゃいと歓迎されているようだ。
目を閉じると、潮騒が響く。耳に入り込んでくるというよりはそっと寄り添うような音に、先ほどまでの妙な緊張感はすっかり解れた。真っ青な海面の上を白い波が砂浜を目指してゆっくりと進む。
観光客向けなのか大きな海の家もある。また夏が来たら泳ぎにでも行こう。水着なんてもう何年も着ていないけど。
あの頃、ひばりさんが見せてくれた写真の海はここだろうか。私の記憶もやや薄れてはいるものの、この青さは見覚えがあった。
──よし、じゃあ明日の朝はここで朝焼けを……あ。
そういえば、レンタカー店のおじさんがもうひとつ奥の海水浴場もおすすめだと話していたことを思い出す。私は車に乗り込みもう少し先へ進んでみた。
ほどなくして到着した海岸は、先ほどの高浜海水浴場よりは狭くて岩場に挟まれていたけども、その青さも真っ白な砂浜も、そして優しい潮騒も何ひとつ劣らない。
車を止めて砂浜に足を踏み入れると、包み込まれるようにスニーカーの先端が埋まった。それを蹴り上げたら靴の中に砂が入ってしまったけど、そんなことも気にせず進みゆく。
波が届かないギリギリのラインまで進み見渡せば、遠くの方まで海の底が見えた。離れて見ていると絵の具でも混ぜたように青いのに、近寄るとこんなにも透き通っているのがなんだか不思議だ。そんなこと、知識では頭にあったもののいざ目の前にするとそれなりに驚いてしまう。
海の水に指先を浸からせる。やっぱりこの時期はまだ冷たい。
遠浅の海の上に真っ直ぐに引かれた地平線を眺めながら、明日の朝焼けはここで見ようと決めた。
しばらく岩場に座って海を眺めていると、少しずつ太陽が南に動いて日差しも強くなった。水面に反射したそれが私に対してやや攻撃的になってきたところで腰を上げて車へ戻る。ちょうどお腹も空いてきたことだし、先ほど見つけたカフェを目指して車を走らせた。
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