第47話

 ひばりさんは何から話せばいいのか、迷っているようだった。考えてきたのになあ、と声を震わせていた。


「……あのね、私、一年生のときに大好きな人がいたの」


 ぽつんと雨粒みたいに落とされた言葉が、波紋みたいに玄関の冷たい空気を震わせた。

 ひばりさんが高校一年生のときに、同じクラスにつむぎさんという子がいた。たまたま隣の席で、ひばりさんが読んでいた本に興味を持って話し始めたのがふたりを結ぶきっかけだったそうだ。


 ひばりさんはその時点で自分が女の人しか愛せないということを分かっていたけど、つむぎさんはそうじゃなかった。男性アイドルだとか、街行くイケメンにはしゃいだりする、所謂普通の女の子だ。


 それを分かっていながらひばりさんはつむぎさんに惹かれて、そしてつむぎさんも戸惑いながらもその気持ちに応えてくれたそうだ。


 だけど、女の子同士の恋愛というものがこの女子校の中でどんな扱いを受けるのか──ふたりとも重々分かっていることだった。だから、誰にも知られないようにひっそりと愛し合ったし、大人の真似事もやった。


 どうして秘めないといけないんだろう。そんな葛藤を抱えつつも、ふたりの世界を守るためにはひっそりと大人になるしかなかったんだとひばりさんは言った。


 だけど、ふたりは秘密の扉をほんの少しだけ開けたくなった。ある日、誰もいない空き教室のカーテンにふたりで包まってキスをしていたところを、クラスメイトに見られてしまった。そして面白半分で撮られた写真が学年中に送信された。今回とまったく同じ方法で、だ。


 写真を撮ったのはふたりと同じクラスの生徒で、カーストのトップでふんぞり返っているようなタイプだった。そしてひばりさんのことをあまり好ましく思っていなかったこともあって、ひばりさん達のことをここぞとばかりに虐げた。


 誰が定めたわけでもないのに、ふたりを蔑んでもいいんだという共通認識がクラス中に蔓延った。迂闊な部分はあったかもしれないが、ただふたりは好きあっていただけなのにまるで罪を犯したように理不尽な罰を受けたらしい。


 周りはふたりを助けることもしない。それどころかあれこれと勝手な妄想を押しつけてはふたりの逃げ道を塞いだ。


 辛くて仕方がなかった、とひばりさんは冷たい息と一緒に漏らした。だけど、つむぎさんさえいれば乗り越えられると信じていた。

 でも、つむぎさんはそうではなかった。ふたりへの侮蔑は日々エスカレートして、つむぎさんの心にはだんだんと影が広がっていった。まるで青々と広がっていた空に、分厚い雲が重なり寒い冬に入ったように。そして、その冬は終わることはなかった。


 学校をずっと休んでいたつむぎさんの家を訪問して、つむぎさんのお母さんと部屋のドアを開けたら、クローゼットの中で青い顔のまま静かに揺れるつむぎさんがいたそうだ。

 ひばりさんはまるで他人の話をするような態度だけど、その中に抱えているものは嫌というほどあたしの中に流れ込んでくる。だから、あたしが代わりに泣いてしまった。


 つむぎさんが残した手紙には、いじめと普通から逸れてしまった自分への恨みと辛みがびっしりと書かれていたそうだ。


「……つむぎは、普通に男の子が好きだった。だけど私の気持ちに応えてくれたの。でもね、ああいうことになって……私なんかが恋をしたいと願わなければ、よかったって思った」


 自分に人を愛する価値はない。ひばりさんは静かにそう言うと、そのまま顔を伏せた。

 ひばりさんとつむぎさんが受けた行為は学校に知れることとなり、主犯の生徒は退学を余儀なくされた。それで学校としても、いじめに加担していた生徒も、周りで傍観していた生徒も、それで全てが解決したものとして扱った。大切な人を失ったひばりさんだけが取り残されて、誰にも知られずにひっそりと震えている。


 まるで犯罪者みたいな扱いをされて、その重荷を背負ったままひばりさんは今日までを生きている。


「……どうして?」

「え?」

「ひばりさん達は何も悪いことしてないのに」


 思わず立ち上がり、足の裏から伝わる三和土たたきの冷たさにほんの一瞬ぞわりとしたけども、頭は熱を持ったまま。自分が今どんな顔をしているかさえも分からない。


 女子高生なんて、恋人ができれば祝福しあうし、好きな人とキスをしたらはしゃぐし、ときめくような恋愛漫画を読みたがる。それらに何も責められる要素なんてないはずなのに。


 誰かを好きだと思う気持ちは、美しいもののように扱われるのに。

 どうしてひばりさん達はそんな仕打ちを受けなければならなかったんだろう。


「なんでそれが、相手が女の子ってだけで、おかしいことになるの?」

「それは……だって、普通じゃない、から」

「普通じゃないにしても……誰かの好きを踏みにじっていい理由にはならないよ! 普通ってそんなに偉いの? 人を踏みにじる権利、あるの?」


 ひばりさんはあたしのトップスの裾を掴み、そのまま俯く。真下に置かれていたあたしのスニーカーに点々と染みができた。


「……梅ちゃん、それがこの世界なんだよ」

「……そんな世界、いらないよ」

「そうだね。だけど、やっぱり大人にならなくちゃ。この世界で生きていく方法を身につけて」


 ──ひばりさんは、大人にならなくていいって言ったのに。どうして。


 あたしはひばりさんの目線の高さに屈んで、その綺麗な黒目の中身を見透かしてみたかっただけど、ひばりさんの目の奥に見えたのは望まない決意だけだ。

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