第40話

「ひばりさんっ、本当にありがとうございましたっ! それはほんのお礼ですっ!」


 ひばりさんは目の前の大きなシフォンケーキに戸惑っている。遠慮せずに食べてくださいと伝えると、刺す場所を迷いながらもケーキをひと口含む。その瞬間に大きな目が目頭から裂けそうなくらいに見開いた。


「んっ、このケーキすごく美味しい!」

「でしょ! あたしもお気に入りなんです」

「私は初めて食べたなあ。……梅ちゃん、ひと口食べる?」


 お言葉に甘えてあたしは先輩にシフォンケーキを食べさせてもらった。甘さ控えめのクリームとアールグレイの香りが口の中で混ざり合い、英国貴女にでもなった気分で頬に手を当てる。


 ──まあ、英国貴女は追試なんてものを受けたりはしないけど。


 ひばりさんのご指導の賜物もあって、あたしは一発で追試に合格できた。最初から頑張っていればよかった──というお母さんの言葉は今は忘れることにする。


 テーブル席が埋まっていたのであたし達はソファ席に横並びになって座っている。テーブル席が埋まっていなくても、多分あたしはこの席を選んでいた。互いの外側に荷物を置いて座り、ふうふうと息を吹きかけながら飲むチョコレートラテの美味しさといったら!


 恋を覚えたての少年みたいにあたしはひばりさんの手の甲を覆うようにしてそっと握った。ひばりさんはその手をくるんと裏返して、あたしの指の隙間を埋めた。


 ──キスはだめと言ったのに、これはいいんだ。


 ひばりさんの線引きはよく分からないけど、冷たい指先があたしの赤い手に絡んでいるのはなんだか気持ちがよかった。


「梅ちゃんの手、温かいな」

「……ひばりさん、あたしで暖を取ってる?」

「ふふ、バレちゃった」


 あたしの手の下でひばりさんは手を結んで、開くを何度か繰り返した。三回目に結んだその瞬間にUFOキャッチャーのアームのごとく、ひばりさんの手を掴む。利き手じゃないとケーキが食べられないと苦笑するひばりさん。問題はそこじゃないんだけど、どうでもよくなるくらいにひばりさんの笑顔に惚けてしまった。


「そういえばひばりさん、アルバム持ってきてくれました?」

「そうだった、忘れるところだったよ」

「忘れちゃだめなやつですよう」


 ひばりさんのトートバッグから三冊のフォトブックが出てきた。ゲルインクのペンで『People』『Landscape』『Animal』と書かれた花柄のラベルが貼られており、几帳面なひばりさんらしさを感じる。


 三冊の中でも『Landscape』と書かれたアルバムが一番膨らんでいて、何のアルバムだろうかと思い開いてみる。海や空、お花や街並み、あとは学校の写真がある。どうやら『Landscape』というのは風景写真のことらしい。

 ぱらぱらとめくっていくと、外国の景色のような写真もあった。


 シフォンケーキにフォークを上手く刺し損ねたのか、ひばりさんは皿の上にひと口分をぽろっと落とした。それが可笑しいのか知らないけど、ひばりさんの顔も同じようにほろりと崩れる。


「どこの国ですか、これ」

「それは日本国内だよ。でも確かに外国みたいに見えるよね」

「えっ、日本にこんな場所があるんですか? この海の色、ハワイかと思ったんですけど」

「ふふ、確かに。ハワイに行ったときの写真だって言ったら信じちゃうよね。これはね、長崎県にある五島列島っていう島で撮ったの」


 あたしは地理に弱いので、五島列島の位置がいまいちピンとこない。長崎県の位置はさすがに分かることを伝えると、長崎県本土のすぐ隣にある島だと教えてくれた。


 ひばりさんはお父さんの影響で中学生の頃に写真を本格的に始め、いいものを撮ろうというお父さんの思いつきで五島列島へ旅行したそうだ。民宿に泊まって、美味しいお魚を食べてレンタカーで島巡りをする。

 ひばりさんが訪れたときにはあまり道が整備されていなくて、山道をぐねぐねと曲がりながらこの海に到着したらしい。車酔いしながらも、トンネルを抜けて、空の色を忠実に映した海と銀白色の砂浜を見た瞬間にすぐさまカメラを構えてしまったそうだ。


「こんなに綺麗な場所があるんだなあって、びっくりしたよ。私はまだまだ知らないことだらけだって思った」

「へえ、あたしも行ってみたいな」

「うん、おすすめだよ。私もまた行きたいなあって思う。次に行くときにはこの海で朝焼けを撮りたいって思うんだ」

「朝焼け? 夕焼けじゃなくて?」

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