7 冬が寒くても

第37話

「あたし、クリスマスにやっちゃったんだ」


 クラスの子が白昼堂々にそんな話をしているのを耳にした。その子は口を手で塞ぎながらも、確実に響き渡るような声で話すという矛盾した行動を取っている。

 早熟というのは、自慢になるらしい。誰もしていないであろう経験をしてこの小さな集団の中で抜きん出るというのは一種のステータスになる。あの子の仕草ひとつひとつにそれを感じると、はあと溜息が出る。


 でも好きな人と互いをさらけ出しあって特別なことをする、というのには憧れる。


「エミ、すごいね」


 梨沙子はぽそりと呟いた。エミちゃんとは今まさに恋人とのクリスマスを皆に聞こえるような声で喋っているクラスメイトだ。どうやって誘われただとか、彼氏の部屋でとか、気持ちがよかったとか。ひと足先に大人みたいなことをしたエミちゃんは、まるでこのクラスのカーストのトップにいるようだ。


「……いいなあ」


 梨沙子がそんなことを言うなんて、ちょっと意外だ。


「え、梨沙子……そういうことしたい人なの?」

「いや、そういうわけじゃないけど」

「じゃあ、どういうこと?」

「……彼氏がさ、何もしてこないんだ。キスもしない。あたしのこともう好きじゃないのかな」


 梨沙子には中三のときから付き合っている彼氏がいる。


「そんなことないよ。梨沙子可愛いし、嫌われるなんてことないよ」

「そうかな」

「嫌いだったらきっと一緒になんていないよ」


 ありきたりな慰めだ。もう少し気の利いたことが言えればいいのに、あたしの恋愛偏差値ではこの程度が精一杯だ。だけど梨沙子にはきちんと届いていたようだった。


 そういう行為のあるなしで好き嫌いが決まってしまうなら、ひばりさんはあたしのことを好きではないことになる。ひばりさんは一緒にお出かけはしてくれるけど、ひばりさんがしたいと言っていたキスやセックスなんてしない。それどころか、付き合いだして一ヶ月以上が経ったというのに話題にも出さない。


 この前の水族館で、渋滞しているバスの中で気持ちを共有しあったときは確かにお互いを想いあっていた。だから今のひばりさんはあたしのことを嫌っているようには感じない──あたしの勘違いだったら相当痛いやつだけど。


「彼氏さんのこと信じてあげなよ」

「そうだよね。ありがと、梅」


 梨沙子は完全に納得してないようだけど、気持ちは落ち着いたようだ。あたし達は大人じゃないのに、どうして大人みたいなことをして愛情を確かめたがるんだろう。不思議だ。


 その日はひばりさんと下校したので梨沙子の名前を伏せつつ、そんな話をしてみた。ひばりさんはうーん、と困ったように唸るけど降りだした雨のようにぽつりぽつりと答えを返してくれる。


「……きっとその彼氏さんは、お友達をすごく大切に思ってるんじゃないかな。軽々しくしたくないんだと思う」

「そういうものですかね」

「だと、思うなあ」

「じゃあどうして大人はそういうことをしたがるんですかね。大切にすることが何もしないことなら、大人は皆大切にしないってことなんですか」


 素朴な疑問だ。そういうわけではない、という答えがひばりさんから返ってくるであろうことは予測していたし、実際にそうだった。すごく答えにくそうだったから、もういいですと伝えようとした。だけどひばりさんは一生懸命に考えてくれている。


「そういうことをしたいっていうのは……その、人の本能的なものだと思うんだ。勿論、例外もあるけど」

「ふうん」

「だけど本能だけをぶつけると、相手を傷つけることだってある。相手がそういうことをしたいって考えてるとも限らないし。ふたりの気持ちがきちんと通じ合って、互いに心を許せて初めて出来るんじゃないかな。それが……大人のすること、なんだろうね」


 答えになってるかなあ、とひばりさんの眉毛が少し歪んだ。分かったような、分からないような。つまりは子どもみたいに突っ走ってはいけないということを言いたいんだろうか。


「でも、子どもが無理に大人になる必要なんてないと思うんだ。子どものときにしか出来ない恋愛の形ってきっとあるはずだから」

「なるほど。じゃあ、あたしとひばりさんはどうなんですか? 子ども、なんですかね?」


 あたし達はただ好きだという気持ちで側にいる。だけどその先にきっとそういうことが待っているんだろう。ひばりさんは好きな人とそういうことをしたい、と話していたことだし。


「そうかもしれないね」

「……ひばりさんは、あたしと出来ますか?」

「そうだなあ、梅ちゃんのこと大切にしたいから今は……まだもう少し子どもでいたい。無理して大人になんかなりたくないから」

「したいって言ったのはひばりさんなのに」

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