第35話
とりあえずひばりさんの受験が終わったことだし、早速どこかに出かけようとあたしから提案した。珍しくひばりさんがやや前のめりで水族館に行きたいと言ったので、日曜日は少し遠出することにした。
クローゼットを覗きながら手持ちの服で一番可愛いものを探す。少し前に買った生成色のワンピース。森の中でお花でも摘んでそうねとお母さんに言われて、そういうファッションなんだと話していたことを思い出す。あたしはこういう緩いというか、身体を締めつけない服が好きだ。
お化粧も少しだけ挑戦してみた。これまでは日焼け止めを塗る程度だったけど、ひばりさんが綺麗にお化粧をしているのを見てあたしも真似したくなった。慣れない雑誌を買って、自分なりに挑戦してみる。
──これでいいのかな……なんか自分じゃないみたい。
鏡の中のあたしに違和感がある。ひばりさんみたいなミルクティー色の瞼にはなっていなくて、泣き腫らした後みたいになっている。目に沿って線を引いたはずなのに利き手とは逆の手で描いたようだ。
こんなはずでは、と呆れつつも出発する時間は迫っているのであたしは諦めて家を出ることにした。もうひばりさんに教えてもらうことにしよう。
ドアを開けたところで私服姿の央ちゃんに会った。髪の毛は不自然な毛束がいくつも作られているし、いつもは大体上下スウェットなのに、ボーダーシャツにチノパン、そしてカーキ色のモッズコートと、心なしかいつもよりおしゃれだ。
「おう、梅。どうしたんだその顔」
「お化粧してみた……央ちゃんこそ、今日はおしゃれじゃん。何? デート?」
「うるさいなあ……まあそんなところ。梅こそ……」
「同じだよ。っていうか彼女できたなら教えてよ。いつの間に?」
央ちゃんはそっぽを向く。だけどそのままでいられないのが央ちゃんだということは分かっているし、案の定央ちゃんはあたしの方にゆっくりと向き直った。
聞けば、つい先週くらいに同級生の女の子から告白されたそうだ。別に好きでも嫌いでもなかったけど、断る理由もないので付き合うことにした。そして今日が初デートというわけだ。それは気合も入るだろう。
頑張ってねと手を振って見送ると、央ちゃんは「梅も」とだけ残してあたしとは逆の方向に歩いていく。
ひばりさんとは学校から一番近い駅で待ち合わせて、そこから三十分ほどバスに揺られて水族館へ。日曜日なだけあって家族連れやカップルでバスの中は満たされている。水族館が近づいてくると乗客の顔は晴れやかになり、その様子を眺めながらあたしも今同じ状態なんだろうと思う。ひばりさんを覗き込めば、もれなくひばりさんもそうだった。
「ところで、梅ちゃん。ずっと気になってたんだけど、今日お化粧してきたんだね」
「あ……はい。ひばりさんもお化粧してくるだろうなあって思って、あたしだけスッピンなのもなあって思って」
「そっか、頑張ってくれたんだね」
「はあ……でも上手く出来なくて。ひばりさんみたいに綺麗にしたかったんですけど。お化粧、教えてほしいです」
「梅ちゃん、スッピンでも可愛いよ。でも、したいなら教える。私もそんなに上手な方じゃないけど」
ちょっといいかな、と言いながらひばりさんはあたしの頬に手を添えて、親指の腹で瞼を軽く撫でた。冷たい指先にどきりとしながらも、あたしはされるがままだ。
「ちょっとだけアイシャドウがよれてたみたい。これで大丈夫」
軽く撫でられただけなのに、瞼が熱い。火傷をしてチクチクと痛むのに似ていて、ほんの少し苦しい。なんだか別のところまで痛くなってくる気がする。
身体の内側から何かにつねられているようだ。押さえようとするけど、それがどこだか分からなくてあたしの右手は所在なく浮いている。どうしよう、と焦りだしたところでバスは水族館に到着した。
バスを降りるひばりさんの足取りはとても軽やかだ。ひばりさんは水族館が好きなんだろうか。
「ゆらゆらと泳ぐ魚を見てると癒されるし、綺麗だし、水族館って楽しくない?」
「そうですねえ……まあ、ワクワクはするかもしれないです。あたしは見るよりも、触る方が好きですね。ヒトデとか」
「あはは、梅ちゃんらしい。でも分かるかも」
順路に沿ってあたし達は水槽を覗いていく。大きな水槽の中を競い合うかのように泳いでいく魚の群れ。サンゴや岩を避けながら器用にすいっと進む。
だけど、群れというのはいろんな魚がいるらしく、そのスピードについていけない魚もいた。団子状態になっている群れの後ろを一匹で静かに追いかけている。それを見て、近くにいた小学生くらいの男の子達が「だせえ」と笑っていた。
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