6 秋、色づいて
第32話
ようやくあたしは桜田先輩と手を繋いでもいい仲になったけど、キスやそれ以上のことはまだだと先輩は苦笑した。じゃあせめて先輩のことを名前で呼びたいとおねだりしたら、照れ臭そうに笑いながらも許してくれた。
桜田先輩──じゃなくて、ひばりさん。嬉しいな、とひばりさんは赤い目で呟いていた。
一応、ひばりさんとのことを央ちゃんに報告しなくては。あたしは央ちゃんへメールを送る。本当ならもっと跳ね上がるように電話でもするんだろうけど、あたしはどうも浮かれきれなかった。跳ね上がろうとすれば、先輩の声があたしの首根っこを掴んでくる。そこで地面に両足をついてからひと息呼吸を置くのだ。
──ねえ、気持ち悪いでしょ。同性愛なんて、気持ち悪いだけだよ!
先輩の言葉は誰に向かって放たれたものだったんだろう。少なくともあれはあたしに向かっていなかったことは分かる。だとしたら、ひばりさん自身に対してなんだろうか。
お腹に乗せていた携帯電話がぶるぶると震えて、あたしはがばっと起き上がった。返事はいつでもいいし、忙しいだろうから気を遣ってメールにしたのに……。
「央ちゃん? 電話じゃなくてもよかったのに。部活忙しいでしょ」
「まだ一年生だし、玉拾いと筋トレばっかだから別に。それよりさ、その先輩と……」
「うん。ご心配をおかけしました」
央ちゃんはハァーと長い溜息をついた。それからしばらく黙った後に「安心したよ」と笑っている。央ちゃんには当たり散らした上にパフェをおごらせ、いろいろと迷惑をかけた。央ちゃんがいなければあたしは今こうやって呑気に報告なんてしていなかったかもしれない。
「……でも梅、なんか冷静じゃない? もっとこう……テンション上がるかと思ってたよ」
電話でも央ちゃんはあたしのことをお見通しだ。もしかして央ちゃんは超能力者なんだろうかとひやりとしたけど、そんなことあるかとちゃんと突っ込みが返ってきたので安心する。
あたしの首根っこを掴むあの言葉をそのまま央ちゃんに伝えた。央ちゃんは電話の向こうでうん、と唸ってからまた黙り込んでしまった。こんな話をしても困ることは目に見えていたので、あたしは央ちゃんの答えを求めはしない。いいよいいよと伝えたのに、央ちゃんはまだ答えを探している。
「うーん……やっぱり同性愛ってイレギュラーだっていう考えが染みついて生きてるからさ。だから気持ち悪いって言ったのかな」
やっぱりあの言葉は先輩が自分自身に向けたものだったんだろうか。先輩は自分のことを気持ち悪いと思っているのならば、それはすごく悲しい。あたしのことを嫌いになれないという言葉さえまるっと否定されているみたいだ。
「でもさ、梅がその……そういう人だって知って、俺ちょっと考えた。それが分かったからって、俺は梅のことを気持ち悪いとか、嫌いだとか思わなかったんだ。やっぱり梅は親友で大事な奴なんだ」
「いきなりどうしたの」
「気持ち悪いなんてこと、ないんだって。相手が男だろうと女だろうと好きだって思っちゃいけないなんて、そんなこと誰にも言えないんだ」
央ちゃんは当事者のあたしよりももっと遠いところで物事を考えているようだ。あたしなんて、ただ先輩が好きだってところまでしか行き着かなかったのに。央ちゃんのこういうところは尊敬に値する。
雪解け水が地面に染み込んでいくように、央ちゃんの言葉はあたしの中にすっと入り込んでいく。
「そもそも男と女なんてさ、股についてるかついてないかの違いだし」
「いやあ、それはちょっと違うような……。央ちゃん、そういうこと言ってるとモテないよ」
──さすがのあたしでもそれはちょっとよくないのは分かるぞ。
央ちゃんはまた黙り込んだ後に「冗談だし」と声を低くした。
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