第13話

 それからというものあたしは桜田先輩のことを毎日のように考えては一喜一憂している。なんならもう好きだって言っちゃおうかと勢いがつく日もあれば、もう少し様子を見ろよとセルフツッコミをかます日もある。情緒不安定もいいところだ。


 しかしある日、あたしは真理に辿り着く──あれだけ綺麗な人なんだから彼氏のひとりやふたりいるに違いない、と。それもとびきりイケメンで、優しくて完璧な彼氏。

 雨の日にひとつの傘にふたりで入って彼氏の方が右肩を濡らしているだろうし、街を歩けば離れないように指を複雑に絡ませるし、彼氏は自転車の後ろに桜田先輩を乗せて夕陽をバックに走る。


 ──全部最近読んだ少女漫画で見たやつだ。


 桜田先輩は少女漫画のヒロインとしてぴったりだ。そして最近テレビでよく見かける若手俳優を先輩の彼氏として想像してみたけど、そいつを殺したくなった。人気若手俳優を殺そうと思ったのは生まれて初めてだ。


 勝手に妄想したシチュエーションの中に、あたしが割って入っていってそいつを傘から追い出し、絡まった指は知恵の輪みたいに解いてやるし、自転車は先輩が転ばないように蹴り倒したい。あたしはどうしようもないバカだ、今更だけど。


 毎日妄想のバリエーションが増えては、あたしはひとりでやきもきするだけだ。情緒不安定待ったなし。


 これは自分だけで抱えているには重すぎる。とはいえ梨沙子に相談するにはプレッシャーが大きい。話した瞬間にあたしは友達を失うかもしれない──リスク大だ、それは避けたい。というか、梨沙子にキモいと一蹴されたらあたしは三日くらい落ち込んでしまうかもしれない。好きなだけなんだからいいじゃん、とは強い心を持てる自信はない。


 あたしのことを肯定してくれて、優しい言葉をかけてくれる人がどこかにいないものか──いや、いる。


『ねえ、央ちゃん。ちょっと相談なんだけどね』


 央ちゃんにメールを送ったら、央ちゃんは電話を折り返してくれた。同じマンションに住んでいるというのに直接会って話さないのは変な感じがするけど、最近の央ちゃんは部活と勉強で忙しいのであたしなりに気を遣ってのことだ。いつでも暇なときにメールを返してくれればいいのに、央ちゃんはわざわざ電話をかけてきてくれた。


「忙しいのにごめんね。メールで返してくれてよかったのに」

「相談なんて言われたら……その、心配するだろ。声聞いた方が早いと思って」

「央ちゃんはやっぱり優しいなあ。相談相手に選んでよかった。よっ、日本一!」

「からかうなよ。それより相談って何だよ。大したことなかったら怒るからな」


 怒るからな、と言っても央ちゃんは多分怒らない。どんなにくだらない相談でも、ちゃんと真面目に乗ってくれる。物心ついた頃からずっと一緒にいるので、あたしはそれをよく分かっている。


 しかし、こういう相談というのはどう切り出せばいいのか分からない。よくよく考えればあたしは央ちゃんに恋愛相談をしたことがないし、央ちゃんからもそんな話をされたことはない。つまり、恋愛における央ちゃん、というものをあたしは知らない。


 しまった。あたしは央ちゃんのことを何でも知っていると思っていたけど、実際はそうじゃなかった。

 あたしは即興曲を弾くのは好きだし割と得意だけど、こういう日常生活で起こる不測の事態にめっぽう弱いらしい。しまった、困った困った。


「あのねえ……えーと……あのねえ」

「なんだよ、モノマネか? それ、あれだろ。バナナマンがやってたやつ」


 ──違う! モノマネもバナナマンも好きだけど違う!


 あんまり似てないなあ、という央ちゃんの評価を脇へ置いてあたしは相談の切り口を探す。


「あっ、あのね……学校に、その、女の子を好きな子がいて、さあ……」

「レズってこと? きもー」


 そうやってはっきり言われるとずしんと胸が重くなる。女の子を好きな子、と言うと央ちゃんでさえそんな侮蔑的な呼び方をするんだと、今まで知らなかった面を見た気分だ。


 央ちゃんはいつだってあたしの味方だ。でもあたしがその『きもー』ってやつだと知ったらどうするんだろう。ひょっとこみたいなまん丸の目にそのレズ女が濁って映るのを想像したら、あたしの背筋がぶるっと震えた。


「女子校ってほんとにそういうのいるんだね」

「……う、うん。そう、みたい」

「そういうの聞くと……梅は本当に違う学校に行ったんだなって感じするわ。で、それが相談?」


 相談はもういい。答えは分かった──これは央ちゃんには相談することじゃないんだ、と。


「うん、どう思うか訊きたかっただけ」

「ふうん。なんか漫画みたい。でもリアルなレズはキモいな」

「……そっか。分かった。じゃあね、おやすみ」

「え、久しぶりなのに。もうちょっと喋ろ……」


 あたしの方から電話を切った。いつもは喋りすぎるあたしを央ちゃんが嗜めてくれて、央ちゃんから話を終わるのに。これ以上はあたしが耐えられる気がしなかった。忙しい中電話をしてくれた央ちゃんには申し訳ないけど、あたしはもう泣きそうだ。


 央ちゃんだけは味方でいてくれるなんて勝手に思っていた。央ちゃんには央ちゃんの考えがあることが悪いわけではない。が、今のあたしには耐え難い仕打ちだった。


 ──でも、あたしは央ちゃんに何を訊こうとした?


 レズはキモくないよねって確かめたかったんだろうか。


 ──あたしもレズはキモいってどこかで思ってるんだろうか。

 ──どうしてこんなに悲しいんだ。


 ふわーっと飛行機が着陸するみたいにあたしはその感情に辿り着いてしまった。ああ、あたしはずるい。あたしの思いは気持ち悪いものではないんだと央ちゃんに言わせようとした。


 あたしの気持ちはあたしのもので、央ちゃんに肯定させるものでもないのに。

 央ちゃんからメールが届く。ごめん、央ちゃん。あたし、今話したくないや。

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