第11話

「ねえ、二年生の先輩がさあレズっぽいんだ。すごい距離近いの。すぐに大好きーとか言いながら抱きついてくるんだよね、キモい」


 梨沙子の愚痴を聞きながらあたしの背筋には冷や汗が伝った。

 終業式を終えて教室で先生──いや通知表を待っている間、教室では小鳥みたいにピーチクパーチクと声が響く。一切野太い声がないところは女子校だなあと感じてしまう。


 あたしは通知表よりも、夏休みの補習授業よりも、梨沙子の愚痴よりも、桜田先輩のことが気になっている。正確には桜田先輩への気持ちに気づいてしまった自分のこと、だ。梨沙子からは「聞いてる?」と眉をひそめられ、あたしは慌てて頷く。ごめん、本当はあんまり聞いてない。レズがキモいってところしか聞こえてなかった。


 あたしが先輩に抱くこの気持ちはキモいという形容詞で片づけられてしまうらしい。これを表に出した瞬間に、その乱暴な形容詞が手でちぎったセロテープなんかで背中にべたっと貼りつけられて、その瞬間にあたしはもう普通じゃなくなるんだろう。


 同性が好きだなんて、キモいこと。普通じゃない。自分にそう言い聞かせると、透明な手で首をぎりぎりと締められているような気分だった。抵抗しても容赦ない。息が止まりそうだ。


 あのときフレームの中にいた桜田先輩をすごく、すごく綺麗だと思うのを止められなかった。あたしの身体が煮えたぎると錯覚するくらいに、指先までも熱くなったのは確かだ。あれはあたしがカメラを覗いて切り取った、あたしだけの先輩。それだけで誰に対してというわけでなく優越感を抱いた。


 とはいえ、ふっと冷静になるとなかなかに気持ち悪い思考かも。梨沙子がキモいと貶すその見知らぬ二年生とあたしはなかなかいい勝負だ。いや、写真を撮って勝手に優越感を抱いているあたり、あたしのぶっちぎり勝利。勝ってもまったく名誉じゃないけど。


 きっと気の迷いだ。あの日はすごく暑くて、それを先輩への恋愛感情だと勘違いしただけだ。次に先輩と顔を合わせたらいつもみたいにただの先輩と後輩に戻っているに違いない。


 ──気の迷い?


 自分で言ったにも関わらず、それが魚の骨みたいに身体の中で刺さった。あたしは何を迷っているんだろうか。あたしはただ先輩のことが、好きなだけなのに。


「レズにとったら女子校ってやっぱ天国なのかな。どこ見ても女子ばっかりだし」


 梨沙子は韓国アイドルのロゴが入った黒いうちわをパタパタと仰ぎながら茶化すように言い放つ。そういうものなんだろうか。

 あたしは桜田先輩のことが好きだから多分梨沙子が言うところの『レズ』というやつだ。だけどこの学校が天国だなんて思ったこともない。あくまで学校は学校。女子生徒がぎゅっと詰められたただの箱。


「……別に、そういうものでもないと思うけど」

「そうかなあ。だって女が好きなら女ばっかりで天国じゃん。気持ち悪い。そんな目で見られるこっちの気にもなってほしい」


 あたしは少なくとも梨沙子のことをそういう風に思ったことはない。ただの友達だ。目の前の梨沙子はあたしがこんな気持ちを抱いていることを知らないから、そういう雑なくくり方をする。あたしの気持ちは桜田先輩にしか向いていないんだけど。


「……それって共学で考えたらさ、梨沙子は男とあらば全部そういう目で見ちゃうってこと?」

「え?」

「梨沙子が言うことってそういうことじゃない?」

「そういうわけじゃないけど。え、何?」

「ううん。ふと思っただけ」


 梨沙子はうちわを下唇の下に当てて、分かりやすく尖らせる。薄く塗られているチェリー色のグロスは唇のラインを超えていて、少し歪な形をしていた。変なの、と吐き捨てる梨沙子に対してあたしはそうだねと言い返すだけだった。

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