第3話

 自宅のマンションの前で幼馴染の野良のら央太郎おうたろう──央ちゃんに会った。央ちゃんとは物心ついたときから一緒で中学までは同じ学校だったけど、高校でついに離れ離れになってしまった。央ちゃんは男の子なので女子校には進学出来ない、残念だ。


 それに央ちゃんは大人しいけどあたしよりうんと頭もいいし、野球だって頑張っている。だから野球が強い進学校である南高校に進学した。 

 昔はあたしの後をついてくるような可愛い男の子だったのに、いつの間にか背も高くなってあたしとは別の道を行くようになってしまった。


「央ちゃん、久しぶり! 遅かったんだねえ」

「おお、梅。梅こそ帰り遅いじゃん、どうした? 部活?」

「ううん、学校の音楽室でピアノ弾いてたら遅くなっちゃって。央ちゃんこそ、もう部活始まったの?」

「仮入部だよ。来週から本入部になるんだってさ」


 央ちゃんの顔は焼きたてのパンみたいにつやつやしている。昔は真っ白な大福みたいだったのに、野球を始めてからすっかり黒くなった。でも笑顔は小さい頃から変わらなくて、びっくり眼なのに口元は歯を少しだけ見せるくらいの控えめな笑み。それを見ると妙に安心する。

 マンションの前でつい立ち話に興じる。あたし達は会うと何時間でも話せてしまう。


「梅、ちゃんと友達はできたのか?」

「ちゃんとできたよー。あたしに友達ができないと思う?」

「梅は勢いがあるからさあ、引かれてるんじゃないかって心配で」


 なんだか父親みたいな口調だ。いつから央ちゃんはあたしのお父さんになったんだろうかと苦笑してしまう。

 あたしをからかっているのかと思ったけど、央ちゃんはそんなことしないし、目の前の垂れ下がった眉を見ながら央ちゃんが本気であることを察する。


「あ、そうだ。昨日ね、すっごい美人な先輩に会ったの。ちょっとドキドキしちゃった」

「へえ。女子校ってやっぱ美人多いのか?」

「うーん。なんか五人くらい美人がいるらしいよ。でもあたしが会ったその人はすっごい美人だった。いい匂いしたんだあ。思わず一曲作ったよ」


 今度は央ちゃんが苦笑している。その理由がよく分からないけど。

 結局小夜があたしを呼びに来てそこで央ちゃんとの世間話は終わった。

 小夜の後ろについていく。小夜が玄関のドアを開けると、甘いお醤油の匂いが家の中を満たしていた。小夜によると今日は肉じゃがらしい。


「ずいぶんと遅かったのね、梅」


 お母さんがテーブルの上におかずを並べていく。小夜とお母さんはもう先に食べてしまったようだ。あたしは目の前のたくあんをつまんで白ごはんをかき込み、それから肉じゃがと小松菜のカツオ和えもしっかりと味わう。お母さんのご飯は体型を気にするお年頃の女子にとても優しい。


「音楽室でピアノ弾いてた。学校はタダでグランドピアノ弾けるから、つい弾きまくっちゃうの」

「あはは、梅らしい。でもピアノのレッスン日は忘れちゃダメよ。明日なんだからね」

「分かってるよ。先生に新しいものまね見せるって約束してんだあ」

「ものまねとかやってないで、梅姉ちゃんも真面目に練習しなよ」


 小夜の言葉が刺さる。うん、仰る通りだ。お母さんは小夜の鋭いツッコミを聞いてお茶を飲みながらけらけら笑う。


「でも、梅はそれでいいのよ」


 お母さんはあたしのことも、小夜のことも、そして今は東京の大学で頑張っているお姉ちゃんのことも──誰のことも悪く言わない。だから、あたしみたいなのができあがってしまったんだろう。この親にしてこの娘。小夜は一体誰に似たのか──顔は完全にお父さん似だけど。


 ちなみにお姉ちゃんは音楽に一切興味がなくて、細胞分裂のなんとかが好きだと言って東京の大学へ行った。あたしにはまったく分からないけど、その話でおじいちゃんとよく盛り上がっていた。

 夕飯を食べ終えて、あたしは子犬のワルツを口ずさむ。脳内には音楽室で弾いたジャズアレンジが流れてきた。

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