第4話
高校生活もまる二ヶ月を迎えた。ひとまず校舎で迷うことはなくなって、あたしは放課後になると毎日のように音楽室でピアノを弾いていた。最初に行原先生に案内してもらった第二音楽室の他に、第一音楽室と第三音楽室も一応教えてもらったけど、比較的空いているのは第二音楽室。なので、あたしは第二音楽室にしか向かわなくなっていた。
第二音楽室は運動場に面している。窓から見る運動部の練習風景と、ブルーシートをいっぱいに広げたような空、それを横切る飛行機雲、名前なんて知らないけど堂々としている山、この組み合わせが大好きだ。ただの田舎の風景といえばそれまでだけど、窓枠とセットで見るとなんだかポストカードのよう。
そこで、そよ風を受けながら弾くピアノが最高だ。
とはいえ、最近はすっかり梅雨に突入したようで、外はただのグレー。あたしはやっぱり晴れているときの方が好きだ。
まあ、雨にも楽しみを見つけるのも楽しいかもしれない。今日は雨というテーマでピアノを弾いてみようか。そうすれば、この淀んだ空や漫画でよく見る絶望の縦線みたいな雨ですら愛おしくなるかもしれない。
ピアノの先生が弾いていたドビュッシーの『雨の庭』を思い出した。あれを弾いてみたいとふと思ったけど、細かいところは覚えていないので断念する。今度先生に教えてもらおう。まだ早いわって怒られるだろうか。
仕方ないので雨の音を聴きながら適当に弾いてみることにした。しとしと、という音はあたしにとってはやっぱり絶望とか、失望とか、マイナスなイメージの音にしか聞こえない。マイナスな感情を音に乗せてみる──指が重く感じるし結構難しい。
ああ、でも今までにない感覚だ。
あたしは雨音とピアノに浸っていた、不慣れな機械音が割り込んでくるまでは。
「……えっ?」
「ご、ごめんなさい……つい!」
弾く手を止めて、あたしは機械音がした方向を振り向く。音楽室の入口近くに桜田先輩がカメラを手で持ったまま立っていた。
──あたしのこと、撮った?
「ピアノの音が心地よくてつい……音楽室に入っちゃった……」
「心地いいですか? 適当な曲なんですけど、そう言ってもらえると嬉しいです」
「うん。素敵な音だった。弾いてるあなたも素敵だった」
ピアノだけでなくあたし自身のことも褒められた。桜田先輩に素敵と言われるとなんだか身体がむず痒い。先輩の方がずっと素敵なのに。
「身体全体で音を奏でているって感じだった。それでその……つい撮っちゃって……」
「んん……あたしなんて撮っても楽しいんですか? 別に可愛くないですし」
あたしが桜田先輩みたいなルックスだったら撮ってくださいと自分からお願いする。読者モデルみたいにいろんなポーズを決めて、ピアノだってかっこよく弾いて、アーティスティックな写真を撮ってもらうだろう。
あたしの問いに桜田先輩は数ミリ眉毛を下げ、口角をわずかに上げた。半分困って、半分笑っているような顔だ。この人は表情を作るのがあまり上手じゃなさそうだ、と思った。
「いきいき弾く姿はすごく素敵だった。もしよかったら、ピアノを弾いているところを何枚か取らせてもらえないかな」
ピアノを弾いているところを撮られるなんて、なんだか本物のアーティストみたいだ。ちょっと恥ずかしいけど、アーティスト気分を味わいたいのと先輩だから断りにくいのとで、とりあえずオーケーした。
何を弾こう。とりあえず皆が知ってそうなポップスがいいかな。昨日テレビで流れていた女性歌手の曲を覚えている限りで弾いてみる。
桜田先輩は「それ知ってる」と言ってから、シャッターを何度か切った。慣れないシャッター音にあたしの指はどんどん固まって、上手く動いてはくれない。鍵盤の上を生ぬるい汗が滑っていくし、調子が出ない。
「……ごめん、なんだか緊張してる?」
「す、すみません。なんだか写真を撮られるってなると……」
「そっか。いきなり撮りたいだなんて変なこと言ってごめんね」
「あっ……いえ、あの! どんな写真を撮ったのか見たいです」
えっ、と桜田先輩は首を傾げる。ただ後ろに窓があるというだけなのにそこだけ美しく見えた。やっぱり美人はすごい。ちょっと頭を動かす、たったそれだけの動作で映画のワンシーンみたいになるのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます