1 春の訪れ
第1話
過酷な受験戦争を経て、あたしはこの雲雀ヶ丘女子高校に合格し四月から通学している。この高校を目指した理由は、オープンスクールで案内をしてくれた音楽のおじちゃん先生が可愛かったのと、音楽室が三つもあるから、ただそれだけだ。学力はちょっと頑張れば行けるくらい、と先生には言われていたのでその言葉通りちょっと──いや、かなり頑張った。
「しまった、迷った」
入学して二週間ほど経った頃、三つある音楽室のどれかを探そうと校舎内を散策していたら迷った。この学校は歴史だけは古いので、元あった校舎を改築、増築、そして増築、取り壊し、増築、といろんな手を加えたことでダンジョンと化してしまった。階段を降りて角を曲がったら行き止まりだったり、渡り廊下を進んだと思えばなぜか外に出たり。
あたしが戻るべき一年生の教室は校舎の四階で、とりあえず見つけた階段を上って、戻ろうとしたのにそこは知らない場所。
廊下は人っ子ひとり見当たらなくて、心なしかうすら寒い気もする。
学校という場所にありがちだけど、この雲雀ヶ丘女子高校には数年前に自殺した女子生徒の幽霊がいるなんて噂も囁かれている。なので、肌を撫であげていくこの空気にあたしは挫けそうになった。
ひとまず階段の踊り場から廊下に進むと、つきあたりの窓から生徒が身を乗り出していた。
──えーっ、ま、まさかーっ?
あたしは消防車のサイレンみたいな声を上げながら、その人の腰辺りを掴んで思いきり引っ張った。ひゃっ、と鳥のさえずりみたいな声を出しながらその人は私の方を振り向く。
「じ、じ、自殺はだめです! 命は大切に……ってあれ?」
その人はなんだか高そうなカメラを持っていて、守るように両手で包んでいる。
「自殺? ……私が?」
「いや、あの……身を乗り出していたので……てっきり……」
胸元のリボンタイに目をやるとグリーンにベージュのストライプ模様が入ったものをつけている──ということは、三年生の先輩だ(うちの学校は学年ごとに制服のリボンの色が異なる。一年生はレッド、二年生はブルーだ)。
そしてここにきてやっとその先輩の顔を見る。目尻がキュッと上がった黒い宝石みたいな瞳、誰も寄せつけないような白い百合の花みたい。ただカメラを首からぶら下げてこの古い校舎の廊下に立っているだけなのに、映画のワンシーンを見ているようだった。
あたしはその先輩を前に魔法にかかったように、動けも喋れもしない。ただ頬が熱くなって、頭の中がぼんやりする。
「……勘違いさせちゃったのかな。ごめんね、私写真を撮っていただけなの」
「わっ……いや、すみません……あたしこそ変な勘違いしちゃって」
「ううん。それよりどうしてこんなところに? ここ、空き教室ばかりだし、一年生は用事なんてないでしょう?」
「それがその……迷っちゃって……自分の教室に帰れなくて……」
先輩はあらら、と整えられた平行眉を少しだけ上に動かした。そして身を乗り出していた窓を閉めると「案内するよ」と言って階段の方へ歩いていく。その後ろをついていくと桜みたいな匂いがふわりと鼻腔をくすぐった。
先輩は難なくダンジョンを通り抜けてあたしを一年生の教室まで送り届けると、じゃあねと言い残して去っていった。桜の匂いはまだあたしの胸の中を占めていて、その匂いだけで一曲作れそう。
教室に戻るとクラスメイトの
「
梨沙子はチョコレート色のマッシュショートヘアとマシュマロみたいな肌が可愛い、体育会系女子だ。バスケ部に仮入部していて、既に先輩達とも交流している。
入学式のときに、たまたま席が近くて私達は仲良くなった。梨沙子から話しかけてくれて、あたしはそのひと言だけで梨沙子とは同じ波長を感じた。所謂ビビッというやつだ。これは結婚相手とか恋人とかだけじゃなく、友人にも感じるものらしい。
梨沙子はしっかり者で、いろいろと抜け落ちがちなあたしの面倒をよく見てくれる。今だって、あたしの教科書も持ってくれていた。
「ごめん、勝手に机の中探っちゃって」
「ううん、ありがと梨沙子。いやあ、学校内なのに迷っちゃってさあ、親切な三年生の先輩に連れてきてもらった」
「三年生の先輩? どんな人?」
「なんかむちゃくちゃ綺麗な人だったよ。あ、髪はすごく長かった。もうとにかく綺麗、モデルさんとか女優さんみたい」
「えー……うちの高校、美人な人いっぱいいるからなあ。実際に読者モデルとかしてる人もいるし……」
まだ入学して二週間くらいしか経っていないのに、あの先輩の特徴を挙げて梨沙子は人物を特定出来るのだろうか。あたしなんか他学年はおろか自分の学年の人ですらよく分かっていないのに。
あたしはとりあえず、その先輩が黒髪ロングの美人でいい匂いがしてカメラを持っているということだけ伝えた。その情報だけでは、さすがに梨沙子も分からないようだ。
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