三寒四温と初恋
来宮ハル
プロローグ
プロローグ
そろそろ長旅が辛いお年頃。飛行機に乗って二時間くらいだろうか、朝からシートベルトに身体を押さえつけられてほぼ同じ姿勢をキープ。昔はうきうきしながら乗っていたのに、ここ三年くらいは身体がしんどいとか腰が痛いとか、CAは綺麗とかそういうことばかり考えている。
降り立った空港内の空気が妙に美味く感じるのは、多分あの鉄の塊の中にぎゅうぎゅうに押し込まれていたからだろう。そういえば機長が本日は満員ですと言っていた気がする。
──儲かっているようで何よりです。そして安全運転、ありがとうございました。
今回私が帰省したのは大切な友人の結婚式に参列するためだ。長いお付き合いの末ようやく結婚に至ったらしい。披露宴会場も大きいところで、料理も美味しいと評判、そして久しぶりに会える友達──純粋に楽しみだ。
せっかく地元へ帰省することだし、と少し長い休みを取ることにした。
私はジャズピアニストとして小さなライブを開催したり、バーで演奏をしたり、CDを作ったり──と自分で言うのもおこがましいけど、なかなかに忙しく過ごしている。
それに最近は出来心で始めた動画配信も火がついて、その制作にも時間を費やしていた。動画については大方おふざけのものしかなく、流行りの曲をジャズ風に弾いてみたり、動画の配信を見ている視聴者からテーマをもらって即興曲を弾いたり、あとは『ピアニストものまね』という、有名ピアニストやバンドマンの真似をしてピアノを弾くという、実にくだらない動画を世の中に垂れ流している(悔しいことにピアニストものまねが一番人気だという)。
動画も毎度私の部屋で撮影したものばかりだし、目新しさが欲しいと思っていたところで今回の結婚式の連絡があった。どうせ帰省するなら地元で撮ってみるのも面白いかもしれない、と得意の思いつきで私はすぐに動いた。撮影場所は自宅か、お世話になったピアノ教室か、もしくは──母校の音楽室。
──そうだ、ヒバジョの音楽室にしよう。あそこならグランドピアノがある。
たったそれだけの理由で母校へ連絡し、撮影の許可を得た。撮影といってもそう大掛かりなものではなく、スマホを使った簡易的なものだ。それを説明したら、母校はすんなりと許可してくれた。さすが私が卒業した高校だ、理解がある。
そうしてやって来た我が母校、私立
「
「
私を迎えてくれたのは当時の音楽の先生だ。在学時から音楽室のグランドピアノを好きに使っていいよと言ってくれた。優しい男の先生で、笑うと顔の全体に静かな海みたいに皺が寄って安心感を与えてくれる。あと頭は木魚みたいで無駄なものが一切ない。ループタイを何種類も持っていて、日替わりで着けていたことをよく覚えている。
「君の活躍は僕も見てるんだよ。孫にね、ゆーちゅーぶ、を教えてもらったんだ」
行原先生の『ゆーちゅーぶ』の発音が、現代技術に慣れていない感じで可愛い。
「あはは。変なものまねばかりしてますけど……見ていただけて嬉しいです」
「いやいや、君が変わらないことを僕は嬉しく思ってるんだよ。動画を見るたびに、中林さんは中林さんのままなんだなあって」
──高校生のときからアホの子ってことかな……? まあいいや、事実だし。
行原先生は第二音楽室の鍵を持って、私を音楽室へ案内してくれる。高校時代に毎日のように通った音楽室の場所は私の中にいやでも刷り込まれているので、先生よりも早く歩いてしまいそうになった。途中よたよたと階段を上る先生を見て、こりゃいかんと先生の歩幅に合わせる。
「わあ! 懐かしい、第二音楽室変わらないなあ……ここ、景色いいですねえ」
窓を開け放つと田舎らしい山と空が飛び込んできて、窓枠が写真のフレームのようだ。くっきりとコントラストがついた濃い緑と、雲ひとつない春らしい澄んだ空。私はここから見る景色が好きだ。
早速私はグランドピアノの前に腰掛けて、鍵盤にゆっくりと指を乗せる。重厚感のある和音が身体に響いた。ここ最近は簡易的な電子ピアノだとか、よくてもアップライトピアノばかり弾いていたので、この感覚で高校生の私に引き戻される。
こうやって私はピアノを弾いていたんだ。何を弾いていたかは覚えていないけど、『あなた』がそこで笑ってファインダー越しに私を見ていたことは昨日のことみたいに覚えている。
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