第3話 犬養桜と、3Dお披露目配信


 お披露目配信の三日前、私は色々と限界を迎えていた。

 ようやくやって来た緊張感にも打ちのめされており、何をするにも気もそぞろだった。


 協力してもらうゲストのライバーさん達とも打ち合わせやリハーサルは終わっているし、歌やダンスの練習もみっちりやった。

 当日の流れだって何度も反芻はんすうして、頭に入っている。


「有住ー」


 ああでも、スタジオ入りの時間は念の為もう少し早くに行っていたほうがいいかもしれない。当日は何があるかわからない。電車が遅延する可能性だってある。


「あれ?おーい」


 そうだ、初めてのことだし、ちゃんと備えておいた方がいい。

 喉だって労わらないと。当日喋れなかったら洒落にならない。


「おーい、有住ってばさー、おーい。むーー」


 やれるだけのことは全部やるんだ。だから帰ったらもう一度事前の準備リストを確認して……。


 どん、という軽い衝撃にハッと気づけば、背中に感じる重みと、馴染みのある温もりと匂い。

 背後から覆いかぶさってきた歩が、しゅんとした顔で「大丈夫?」と聞いてきた。


「最近、忙しい?」と問う歩に「うん、ちょっと」と返す。

 すると「そっか」とそれ以上は踏み込まず、歩が俯いた。


 こういう時、理由を明かせないことがもどかしい。

 心配させちゃっている罪悪感もある。


「愛花」と教室では滅多に言わない名前呼びで呼ばれ、「はい」と答える。


「あのさ、私には何もしてあげられないかもしれないけど、私は絶対に愛花の味方だよ」

 こんな教室の端っこで言うには大仰過ぎる、強い覚悟のこもったセリフは私の身体を包み込み、やがてじわりと沁み込んでいった。


 さっきまで不安で不安で仕方ない気持ちでいっぱいだったのに。

 今すぐに配信しても構わない、だなんて思えてきたんだから不思議だ。




 ―――そして、本番当日がきた。



 スタジオに設置されているモニターには、待機所にいるリスナーのみんなのコメントが流れている。

 今回はライブ会場を模したバーチャル空間で、コメントが流れるたびに背景には流れ星や星の瞬きが投影される仕組みになっている。


 みんなが盛り上がれば盛り上がるほど、私が立つステージは光り輝く。


 コメント欄にはメッセージに混じって沢山のペンライトの絵文字も流れている。

 既にみんなとの一体感を感じて、喜びで鼻血が出そうだ。

 そんなことを言うと、応援で駆け付けてくれていたクレアさんと北斗さんが「流血沙汰はやめてよ〜」と爆笑していた。


「さぁ、いってらっしゃーい」

 時間が来て、クレアさんの優しく包み込むような声に背中を押され、スタジオの真ん中に足を踏み出す。



「いってきます」

 さぁ、ここからは、私のステージだ。





『はーい、みなさん、こんにちは〜!心は狼、見た目は子犬。真面目な狂犬、犬養桜ですっ!今日は待ちに待った私の3Dお披露目配信だよ〜!今日は一緒に楽しんでいきましょー!!!まずは一曲!聴いて下さい――』


 そんな弾けるような挨拶とともに、私は歌い踊り出す。

 画面の向こうのみんなに向かって、叫び、手を振り、笑いかける。


 それにシンクロするように、コメント欄は騒がしくなり、ステージ上の星達は煌めき、輝きを増す。


 自分の歌を、まずは一曲聴いて下さい、だなんて、有住愛花は絶対言わない。


 こんなに笑顔でくるくると表情を変え、人前で激しく踊るなんてこともしない。


 応援に駆け付けてくれたゲスト達と大喜利をしたり、『愛してるよゲーム』で膝から崩れ落ちるなんてこともない。


 小道具を使って物ボケをしてみたり、即興でコントをしてみる、なんて学校の廊下で中学生男子がやっていそうな遊びもしない。


 でも全部ぜんぶ、犬養桜ならやる。


 歌だって歌うし、踊るし、ゲーム実況もするし、ちょっとえっちな話だってする。


 犬養桜は、有住愛花とは別人だ。


 犬養桜である時こそ、私は別の自分になれる。

 ずっと独りぼっちだった有住愛花じゃなく、みんなに好かれる、犬養桜に。


 すごく、キラキラした時間だった。





 瞬きをするくらい一瞬に思えたけれど、上がりきった心拍数と流れる汗が時間の経過を教えてくれる。


 あっという間に終わりの時が迫ってきていた。


 後は、最後にリスナーのみんなへのメッセージを伝えるだけだ。

 静かに息を吸い込む。


『みんな、今日は本当にありがとう。配信日が近づくにつれてどんどん緊張が高まっていって、本当は配信が始まる直前まで、不安で仕方なかったんだ』


『配信する度に思います。私は、この仕事が、応援してくれるリスナーのみんなが大好きです。とても愛おしいと思っています。……だからこそ、この場を借りてちゃんと伝えたいことがあります』


 ぎゅっ、と拳を握る。

 すぐ傍では、仲間のライバー達が『ガンバレ』と口パクしながら手を振っている。


 なんだなんだ、と賑わうコメント欄を真っ直ぐ見ながら、自分を奮い立たせた。

 笑顔で、前を見据える。画面の向こうのみんなに向けて。



『―――私、犬養桜は、今月までの配信をもって、暫くの間、活動を休止します』



 その時に見たキラキラと輝くステージを、私はきっと忘れないと思う。

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