第5話 さっちゃんと、ようやくやってきた夏休み



「はぁー、ようやく明日から本物の夏休みだよぉ」


 目の前で吉谷がぐったりと机に項垂うなだれている。

 無理もない。


 夏休みに入ってすぐの夏期講座も今日で一旦終わり。

 今は放課後の解放された空気のなか、教室の隅で帰宅前の雑談タイムだ。


 明日からは授業も何もない、本物の夏休みに入る。

 まぁ受験生の私達にとっては、勉強する場所が自宅か塾かに代わるだけだけど。


「休みとはいっても、2週間したらまた講座が始まってそのまま――」


 新学期だけどね、と続けようとした私は、一瞬、目にとまったソレに思わず口籠くちごもってしまった。


 なんというか、その。

 机の上で項垂れる吉谷のうなじに、まるで虫刺されのようちいさくあるそれ。


 ――明らかにキスマークでしょ。


 ワイシャツだから襟に隠れて分かりにくい位置にあるけど、たぶん、おそらく、いや絶対、そうだと思う。

 まぁ、ホンモノ見るの初めてですが。


 うん、ていうかこいつら夏期講座の期間中に何やってんだ。勉強しろ。

 おかげで、どこまで関係が進んでいるのか知りたくなっちゃったじゃないかこのやろう。


 取り敢えず気づかせてあげた方がいいかと、「よしたに――」と声を掛けようとした時。


「吉谷、なんか首の後ろ虫刺されみたいになってるから絆創膏ばんそうこうあげる。襟で擦れないように」


 傍に居た洋がさっと絆創膏を取り出し、吉谷に差し出した。

 途端に、同じくそこに居た有住がびくりとする。


 それはもう、一瞬、椅子から飛び上がったんじゃないかと思うくらいに。

 あたふたと目線が泳ぐさまは、明らかにクロだ。


 え、やっぱりふたりってそこまで進んでるの?


 対して吉谷はキョトンとしていて、

「えー、ダニかなぁ?シーツ換えたばっかなのになぁ」

 と、一番の当事者なのに何も分かっていない様子で首の後ろを押さえている。


 それにしても、いつもはふざけている洋も、本当はこんな風に気が使えるやつなんだよな。


「あ、自分じゃ貼りにくいだろうから、有住に貼ってもらいなよ。ね、有住。"責任をもって" ね?」


 前言撤回。

 でも、私も洋と同感だわ。


 こいつらはもう少し自制した方がいい。





「ていうかさー、ふたりってどこまで進んでるの?」

 "気になるからトイレの鏡で見てくる!" と吉谷が子犬のように走って教室を出ていく様を見送った後、洋からそんな質問がぶっこまれた。


「あ、え、えと〜」

 困った様子の有住が、ちらりと私を見る。

 おそらくその視線の意味はSOS、だけど。

「正直、私も知りたい」

「あうぅ……」

 私も気になるんだよねぇ。ごめん、有住。


「じゃあ質問。最後までシた?」

「う……し、してないっ!」


 ほんのり頬を染めた有住が、洋の質問に答える。

 恥じらいながら返答する様は客観的に見てやっぱり可愛い。いや、美人って感じか。


「吉谷にあんなに跡、残してるのに?キスマークでしょ、あれ」

 洋は興味津々で更に言及する。

 いつもならあんまり根掘り葉掘り聞くんじゃない、と洋をいさめるところだけど、何だか私も気になっちゃっているわけで。

 許せ、有住。と、心のなかで両手を合わせる。


「いや、あれはたまたま付けちゃっただけで……本当に最後まではシてない……」

 ふむふむ、最後までシてはいないけど、それに近いことはしているわけね。

 と、そこまでは言わないでおいた。


 流石に顔が真っ赤な有住を見ていると、そのうち蒸気が出始めるんじゃないかと思ったからだ。

 洋も同じように考えたらしい。


「……ただいまぁ~」

 その後教室に帰って来た吉谷は、項を抑えてちょっぴり頬が赤くなっていた。





 有住と吉谷は、どうしてお互いのことが好きになったんだろう。

 私が見ていたふたりは、結構初期から、もうお互いに、なんていうか "フィット" していた。


 よくケンカするけど、それって距離が近いからだし、何より心を許しているから。

 ケンカしても一緒にいるし。


 有住はなんだかんだ吉谷の世話を焼いているし、吉谷は吉谷でいつもすーっと、有住の傍に行く。気がつくとふたり一緒にいるのだ。


 まという雰囲気が、シンクロしている感じ。


 何だかそれって、羨ましい。




 帰宅後。

 自分の部屋で模試の復習をしていると、ポコン、とスマホのメッセージ通知が鳴った。

 メッセージアプリを開くと洋からで、直後、その本人から着信が入る。


『……はい』

『ああ、紗智?既読ついたから電話しちゃった。ねぇ夏祭り行かない?』


 相変わらず、最初から剛速球を投げてくる。

 まぁ結論から言ってくれるあたり、話しやすいんだけど。


『え、有住達と4人で行くってなったんじゃなかったっけ』

『それはお祭りの最終日でしょ。3日間あるから、その前日か、初日』

『……え、ふたりでってこと? もしかして、洋って私のこと……』

『キモッ』


 ……誰かこいつに、言葉の暴力について教えてやって欲しい。


『え、じゃあなに』

『今日の帰り道、桃瀬とばったり会って、3人で一緒に行こうって約束しちった』


『そんな私の許可を得ずに…』

『だぁかぁらぁ~、今許可とってるんでしょ、い・ま!』


 ほんとこいつ。

 でもまぁ、洋からしたら可愛い部活の後輩だ。しかも桃瀬は、結構洋からも可愛がられていた。


 頭を過ぎるのは、不安そうな桃瀬ちゃんの顔。私が断ったら多分、しょんぼりする。

 どいつもこいつも、私を置き去りにしやがって。

 息を大きく吸い込んで、電話の向こうにも聞こえる様に大きな溜息をつく。


『分かった。でも途中で変な気を利かせて、私と桃瀬ちゃん残して消えるとかないように』

『あ……マジで?ダメ?』

『ダメです。あんたも最後まで一緒にいること』

『ちぇっ』


 油断も隙もない。当日も変な気を利かせて私と彼女をくっつかせようとしてくるかもしれない。洋の考えることなんて大体分かる。


 とはいえ、祭りに何度も行けることは、少し楽しみだ。通話を切った後は、無意識のうちに鼻歌なんて歌ってしまった。


 ――かくして、お祭りの日がやってきた。

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