第6話 ふたりは、寄り添いあう


『――と、いうわけで、なんとか羊毛フェルトのぬいぐるみが完成しましたー!』

 電話口でそう報告すると、『よくやったわね~。えらい、さくちゃん』とクレアさんが通話の向こうでパチパチと手を叩いている音が聞こえてきた。


 昨日、北斗さんと羊毛フェルトやその他の材料を買いに行き、カフェで作り方を教えてもらった。

 数時間でできる、とは言われたものの私は全くの初心者だ。


 しかも今回は吉谷とお揃いのものをふたつ作る予定だったから、残りは自宅で二日がかりで仕上げたのだった。


 完成したぬいぐるみを指でつつく。

 机の上に、ちいさな猫のぬいぐるみが、寄り添うようにふたつ、ちょこんとのっている。

 まるで私と吉谷のようだ。


『あの百合豚もたまには役に立つじゃない。で? いつ渡すの~?』

『クレアさんてほんと、北斗さんに容赦ないですよね…。北斗さんの方が先輩なのに…』


 これはこれで、このふたりはそこそこ仲が良いのである。

 ゲーム実況や雑談コラボもよくしているし、掛け合いも息ぴったりで面白い。


 同族嫌悪、ってやつなのかもしれない。


『ん? どうしたの? さくちゃん』

『あ、いや、えっと、いつ会えるかはこれから聞いてみるつもりです』

『そっか。春休みになってあんまり会えてなかったんでしょう~? 大丈夫?』


 本当に、春休みはほとんど会えなかった。

 学校があれば毎日会えるのに。

 でも逆に、付き合い立てで舞い上がっている私には、強制的に距離を取らざる負えない今の状況が丁度いいような気もしている。


 そんなことをクレアさんに伝えると、『舞い上がっているならそれで別にいいじゃない。後で後悔するより、全身で好きって気持ちを伝えなさいな~』と返された。


『えー、でも、歯止めが利かなくなっちゃったら……とと、吉谷だ』


 会話の途中でスマホが震え、ぽこん、とメッセージアプリの通知が表示される。

 そこに表示された吉谷の名前とその内容に「え…」と思わず声が漏れる。


『どうしたの~?』

『いや…』


 吉谷からのメッセージには “ 昨日、有住が男の人と歩いているの見たんだけど…。友達? ” ということが書かれていた。

 いやいやいやいや、誤解されているのか何なのかは分からないけど、はやく返さなきゃ。


 これは放置するとマズい気がする。


『なんか…吉谷が昨日、私と北斗さんが歩いてたところ見たらしくて……ちょっと返信しますね』

『いや、さくちゃん、それ今すぐ電話しなさい』


 いつになく真面目なトーンのクレアさんが、はっきりと言い放つ。

 メッセージを打ちこんでいた手がぴたりと止まる。


『え、電話の方がいいかな』

『ええ、そうね。すぐに電話しなさい。私はもう切るから。あのね、さくちゃん――』


 クレアさんが、はっきりと私を諭すように語り掛ける。


『同性同士で付き合うって、ライバルが普通の人の倍あるようなものだと思うわよ。あなたは元々、女の子しか好きになる、ってタイプの人でもないでしょう? それは相手の子だって分かっているはず。不安だと思う。いまこの瞬間も。大切な宝物は、しっかりと大切にしなさい。こういうことの積み重ねで信頼を失うの。なくして後悔するのは愚か者のすることよ』


 ぷつん、と言うだけ言って通話が途切れる。

 いつも間延びした声のクレアさんがたまに見せる、真面目な声色に、内心ビビっている自分がいる。


「私だって、分かってるもん……」


 ただでさえ、犬養桜であることを隠しているのだ。

 私は普段から、吉谷に対して後ろめたさを感じてはいる。

 吉谷のなかで、私にされている隠し事が、いつもどこかで引っかかっているのも感じている。


『……はい』

『あ、吉谷。今から会えないかな。ちゃんと説明したいんだ』


 結局すぐに電話して、このあと吉谷の家にお邪魔することになった。





 久しぶりに入った吉谷の部屋は、特段の変化もなく私を迎えてくれた。

 些細な変化といえば、事務所が出している犬養桜のグッズが少し増えていたことくらい。

 新しく発売されたクリアスタンドや缶バッジが既に並んでいて、こそばゆくなる。


「なんかごめんね。わざわざ来てくれてありがとう」

 そう言ってジュースを置いて隣に座る吉谷は、心なしか声に元気がないように感じた。


「私こそごめん。あの、昨日一緒に居た人は先輩で、買い物に付き合ってもらってただけだから」

「うん、そっか。分かった」

「……」

「……」


 気まずい。

 分かった、とは返ってはきたものの吉谷の声にはまだ元気がない。

 はいそうですか、とすぐに納得できるものでもないよね、とは思うから、私自身が他にも伝えないといけないことがあるのかもしれない。


 次の動きをどうしようかと考えながら、目を泳がせる。


「あのさ、最初から私は有住が浮気しているだとか、そういうことは疑っていないよ」

「そ、そっか」

「でも、ちょっと不安になっちゃったんだ」


 吉谷に目を向けると、真っ直ぐにこちらを見つめていた。

 穏やかな顔をしているけれど、その顔を見ているとどことなく悲しそうだった。


「私、有住のことが好きなの」

「うん、知ってる」


 私も吉谷のことが好きだ。

 それこそ、生まれて初めて手作りの何かをお揃いであげたい、と思って作ってしまうくらいには。


「有住ってさ、私と話す時にちょっと声が甘くなるんだよ。知ってた? ふにゃって笑う表情も、抱きしめてくれた時の有住の匂いも全部ぜんぶひっくるめて。私は有住のことがどんどん好きになっていってる」


「ちょっと待って、急にそんなこと言われたら、恥ずかしくてしにそう…」


「大丈夫? 」と吉谷が覗き込んでくる。

 その顔に触れたくて吉谷に手を伸ばしたら、やんわりとそれを避けられる。


 私の手から逃げる様に、隣に座っていた吉谷が立ち上がり、ひとりだけ学習机の椅子に座り直した。

 その行為に、心が痛む。

 心の奥の柔らかい部分を、まるで鋭利な刃物でスパッと切られたように。


「ちゃんと聞いて? それでさ、そうやって有住の存在が私のなかで大きくなっちゃってさ、……私、怖くなってきちゃったんだ」

「怖くなってきたって、なに?」


 私は床に敷かれたラグの上に、吉谷は学習机に備えつけられた椅子に座って、視線を交わす。

 吉谷は私の届かない位置から私を見下ろし、ゆっくりと話す。


「有住が私から離れていっちゃうこと」

 困った様に吉谷が笑う。

 その後、顔が苦しそうに歪んだから、一瞬、泣いているのかと思ってしまった。


 吉谷の後ろの窓からは、夕陽が差し込んでいる。


「私が吉谷から離れるわけないじゃん」

「分かってる。毎日、メッセージでも好きだって言ってくれるしね。でもね、ずっとそうかは分かんないでしょ。実際、私、昨日、有住があの男の人と歩いているの見た時、お似合いのカップルだなぁ、って思っちゃったんだよね。……もう、そんな怒った顔しないでよ」


 思わず眉間に皺を寄せていたらしい。

 吉谷に指摘されて、「だってっ……」と口から言葉が出たものの、後が続かない。

 言いたいことは沢山あるし、私だって吉谷がバイト先の後輩にとられそうで不安だったのに。


 拳をぎゅっと握りしめる。


「……意味わかんない」

 結局、そんなことしか言えなかった。


「そうだよね。私もこんな自分、うじうじしててイヤだよ。苦しいし。だからね、もう――」


 その瞬間、ぞわりと背中に鳥肌が立った。

 この先は聞きたくない。

 吉谷は、いま、何を言おうとしているの?


「やっ…」

「――我慢するのやめようと思って。有住のことが好きだって、ウザいくらいに伝え続けるよ」

「へ?」

「どうしたの?」


  「あ、いや、別に…」と思わず目を逸らす。

 まだ心臓が大きく脈打っている。背中にイヤな汗が伝う。

 一瞬でもした最悪の想像は、現実では回避されたけれど、こんなにも心と身体に悪いとは。


「私も…吉谷のことが好きだよ…」

 胸を抑えながらようやく絞りだした言葉に、私の彼女は少し元気を取り戻したように目尻を下げる。


 「良かった。今日はそれを伝えたかったんだ」と、今度は本当に満足そうに微笑みながら椅子から降り、私の傍に戻ってきてくれた。

 吉谷自身は満足した様子だけれど、私はそうもいかない。

 心身へのダメージが大きすぎる。


「吉谷、ごめん…、しんどい、触りたい…触らせて……こっちきて…」

「え?あ、う、うん」


 返事を聞くや否や、しがみつくように吉谷を抱きしめ、自身の膝の間に座らせ抱え込む。

 一部の隙間も許さない気持ちで、ぎゅっと抱きしめ、吉谷の体温を全身で感じる。


「どうしたの?」と聞かれても暫く答えきれなくて、ただ抱きしめることしかできなかった。


「別れよう、って言われるかと思った」

「え、言わないよう、そんなこと」


 本当、言われなくて良かった。

 冷や汗がまだ止まらない。


 吉谷のお腹に回した両腕に力を籠めて、更に私の方に引き寄せる。

 目の前にあるうなじに額を押し付けると、吉谷の身体がぴくりと反応した。


「あ、ありずみそれは…」

「――あゆむ、ずっと私の傍にいて。大切にするから」

「……っっ」

「本当に、一生大切にするから。本当だから」

「えっと、それってさ……ああもう、いいや」


 吉谷の体温もどんどん上がっていく。

 凄くちいさな声だけど、「分かった。傍にいる」とぼそりと呟くのが聞こえた。


 その返答に、ほっとする。

 そのままうなじに口づけると、跳ね上がるように吉谷の身体が震えて、耳まで真っ赤になっているのが後ろからでも分かった。


「あゆむ、――今日は、キスしてもいい…? おねがい」

「…ん。分かった」


 ごそごそと私の腕のなかで吉谷が動いて、横向きになる。

 顎に手を添えて、親指で唇に触れる。

「いい…?」


 こくん、と吉谷が頷いたのを合図に、初めてその唇に口づけた。


「んっ…」

 柔らかい。

 耳たぶも、頬も、瞼も全部柔らかかったけれども、唇は更に柔らかい。

 そのままついばむように、何度もちゅ、ちゅ、とキスを繰り返す。


「ふぁ…あり…ずみ…ちょっ」

 クセになりそう。

 どれだけ時間が経ったのか分からないけれど、吉谷から離れたくない。

 吉谷は先ほどから唇を話す一瞬一瞬の間に何かを言おうとしているけれど、もっともっとと欲しくなって、口を塞いでしまう。


「ちょ…もうすとっぷ…むぐっ」

 吉谷を抱きしめながら、もう一方の手で耳たぶを撫でる。

 ――可愛いなぁ。

 薄く目を開けると、顔を真っ赤にした吉谷が一所懸命に目を瞑って、ぷるぷると震えている。


 ――もう、めちゃくちゃかわいいなぁ、わたしのかのじょ。


「ありずみ、すとっぷすとっぷっ!」

「あ、ごめん」

 思考が溶けそうになっていたところで、吉谷から本当にストップがかかった。


 恥ずかしそうに服の袖で口元を隠して、後ずさろうとするもんだから、にじり寄って引き寄せる。

「私のこと、ウザいくらい好きだって伝えるんでしょう?」

 ほらほら、とまた腕のなかに閉じ込めてあおってみる。


「そ、そ、そうだけど」

「あ、ちょっと待ってて」


 そういえば、私が今日ここに来た目的はもうひとつあるんだった。

 一旦、吉谷を解放して持ってきた鞄のなかを漁る。ラッピングするヒマは無かったんだけど、まあ、いいや。


 はいこれ、と目の前に見せたのは羊毛フェルトで作った私お手製のぬいぐるみだ。

「私が作ったの。お揃い。この作り方を昨日は教わってたんだ」


 吉谷の手にひとつ握らせる。

 手のひらの上で、ちいさな猫がこちらを見つめている。

 にこっ、と微笑むと「……すき」と吉谷の方から抱き着いてきてくれた。


「もうすぐ春休み終わるね」

「うん…」

「そうしたら毎日吉谷に会える」

「うん…」


 ぎゅっ、と吉谷が私の服の裾を掴む。

 私は吉谷を抱きしめる。

 夕陽に染まる部屋のなか、そうして私達は暫くの間、寄り添いあっていた。




 ===================

 はぁ~い!

 以上で高校2年生の春休み編は終わりでございます。

 いかがでしたでしょうか……?


 次回からは、更に日が空きますが、進級後のお話に移行します。

 4月に入ってからになるか、早くても3月下旬になるかと思います。。

 とはいえ出来そうならすぐ書くけれど…。

(約束はできない)


 長い目で、生温かな目で彼女たちを今後も見守っていただければと思います。。

 ではまた、お会いできる日を楽しみにしております。


 ここまでお読み頂きありがとうございました。


 ちりちり

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