第3話 吉谷、でれでれになる
バイト先に新しい後輩が入って来た。
おそらく150センチに満たない背丈に、くりっとした目。
少しウェーブがかった髪は柔らかそうで、思わず手を伸ばしたくなる。
守りたくなる女の子、ってこんな感じなんだろうな。
「吉谷さん、大丈夫?」
「あ、はい、すみません。大丈夫です」
それならいいけど、と首を傾げたマネージャーは改めてその子に向き直り、「じゃ、佐藤さん」と自己紹介を促した。
佐藤さんと呼ばれたちいさな女の子が頷き、話しだす。
「佐藤
「かわいー」
思わずそう呟くと、「吉谷さん…」とマネージャーが苦笑いする。
はっ、いかんいかん。
「佐藤さん、紹介するね。この子が
「宜しくお願いします。佐藤さん」と最大限の営業スマイルを振りまく。
「わ、すっごく可愛い…」
「え?」
「ああ、そりゃそうだよ。この子これでも、この近くの高校のミスコン2位の子だもん」
「うわー!やめてくださいよ!それ人から言われるの恥ずかしいんですから!」
慌ててマネージャーの袖を引っ張る。
ミスコンの投票なんて、私自身、絶対何かの間違いだと思っている。
もしくは、あの先輩率いる演劇部の策略だったのではと思っているくらいなんだから。
「私なんて、そこら辺にある
「そ、そんなことないですっ!」
おっと、と佐藤さんの勢いに押されて
「吉谷さんはすごく可愛いです! あっ…でも、こんなこと、今日会ったばっかりの私になんて言われても気持ち悪いですよね……。ごめんなさい……」
かと思えば勢いがあったのも一瞬で、途端にしゅんとなる様子は見ていて――。
「もう!可愛いなぁ!」
思わず私は佐藤さんの頭を撫でていた。
人によって髪や頭を触られるのをイヤがる人もいるから、一瞬手を止めたけれど、嫌がっているそぶりはないので、撫で続ける。
「わわ、髪がぼさぼさになります~」
うん、たいしてイヤがっていない。大丈夫。
なんだかこうしていると、子犬みたいだなぁ。
「吉谷さん、もうそのくらいに」
呆れたマネージャーに止められたものの、「早速仲良くなれたようで良かったよ。相性も良さそうだな」と安心してもらえたようだ。
それにしても。
「佐藤さん、ってキッチンの佐藤さんとカブりませんか?」
佐藤、という名前は、実はここには既にもうひとりいる。
ここで働いているバイト歴も長く、佐藤といえばみんなの頭に浮かぶのはまずその人だ。
「うーん。そうだな。じゃあ、悪いけど判別するために、下の名前で呼んでも大丈夫かな?」
「はいっ!大丈夫です」
素直だな。
思わずまた頭を撫でる。
少し頬が赤くなった佐藤、もとい凛花ちゃんは照れながらも私にされるがままになっていた。
「よし、じゃあ自己紹介はここまでにして、後は事前に打ち合わせた通りの段取りで、仕事の説明をお願いね。吉谷さん」
「はい」
それを合図に、私と凛花ちゃんのマンツーマンの指導が始まった。
凛花ちゃんは物覚えの良い、賢い子だった。
お客様が来た時の最初の対応や、かける言葉、メニューの種類、片付けのタイミングなど、教えたことを吸収してどんどん覚えていった。
性格も明るくて、先輩先輩、と付いて来る様子が本当に子犬のようで。
私に妹がいたらこんな感じなのかな、と思って可愛がってしまう。
「――でさ、本当に凛花ちゃんが後輩になってくれて良かったなぁって」
「――ふぅん。ねぇ、その子のこと下の名前で呼んでるの?」
凛花ちゃんがバイトに入って1週間が経った。
日課になっている有住との夜の通話で、その日にあったことを話していたら、たまたま「そういえば、新しく入った子、どう?」と聞かれた。
それで話していただけなんだけど…。
「え?うん、そう。佐藤って他にもいてさ」
「ふぅん」
まただ。
有住の少し不機嫌そうな「ふぅん」て相槌ち。
たぶん本人は気づいていない、不機嫌の合図。
「えーっと、有住、何か怒ってる……?」
自分の話ばっかりし過ぎた?
でも話題を振って来たのは有住だしなぁ。
「うーん。ごめんなさい。怒ってない。でも、そのうち時間見つけてバイト先行くわ」
「……? 分かった。待ってるね…?」
この返答で良いのかな。
いまいち会話が噛み合っていないような気もするけれど。
「今日はもう寝よっか。有住ももう疲れてるでしょ」
会えない日が続いている時に、ケンカなんかしたくない。
微妙な雰囲気にもしたくない。
なのに。
「うん……」
有住は通話を切ることを渋っているそぶりを見せた。
まあ、有住が通話を切りたがらないのはいつものことなんだけど。
私だってずっとこの声を聞いていたいし。
それにしても、こうして声だけで聞くとますます犬養桜に似てるよなぁ。
抑揚の付け方といい、話し方のクセといい、……うん、似すぎているくらい、似ている。
うーん。
「吉谷」
「あっ、はい」
思考の海に入り込みそうになった矢先、当の本人から名前を呼ばれる。
「あの、おやすみ。……っ」
「ん、おやすみ」
「おやすみ、あの…」
「ん?どしたの。有住」
少し様子がおかしい。
やっぱり何かあったのか。
そう考えた時――。
「おやすみ。――あゆむ」
「………へ?」
ぶつん、と突然通話が切れた。
どうやら有住がいきなり通話を切ったらしい。
画面を見つめたまま、思考がフリーズする。
突如として溢れ出した感情が限界値を超えそうで、ばふん、と音を立てて枕に顔を埋める。
びっくりした。
有住に名前を呼ばれたのなんて、たぶん、初めてだ。
まるで全力疾走した後の様に、心臓がばくばくと脈打っている。
「ありずみのばか。眠れなくなっちゃうじゃん……」
でも、ああ、そっか。
ちょっとヤキモチ妬いてくれてたのか。
そのことにも気づいて、その日は枕を抱いたまましばらくベッドの上を転げまわった。
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