第4話 吉谷は、その感情に名前をつけた

 こごえるような寒さの中を歩いていると、時折、生温かい空気の流れに遭遇する。

 同時に、甘い焼き菓子や香ばしいソースの匂いも漂ってきて、周囲の屋台からの香りが流れてきているのだと気づく。


 ふらふらと引き寄せられるままに屋台に近づこうとすると、くい、と左手を引っ張られた。

「ちょっと吉谷っ、まずは参拝が先っ!」

 新年早々、眉間に皺を寄せた有住からお叱りを受ける。


「あはは、有住は吉谷と手を繋いでて正解だね。吉谷、この調子じゃすぐにはぐれて迷子だよ」

「子どもを連れてる気分だわ……」


 子どもじゃないもん。

 洋ちゃんと有住の会話を聞いて、そう反論しようかとも思ったけれど、そうすると「じゃあ大人ならいらないね」と繋いだ手を離されるかもしれないから、甘んじて受け入れておく。


 だってずっと、会いたかったのだ。

 ぎゅっ、と繋いだ手に力を籠める。


「ほら、吉谷、あとで皆で一緒に屋台を見て回ろ?」

 そう言って、優しく微笑む有住に、「うん…」とちいさな声で返事をする。


 怒られたから元気が無いと思われたのか、お腹が空いているのだと思われたのか。

「大丈夫?」と次は気遣うように顔を覗き込まれた。

「あ……、うん、だ、だいじょうぶ」


 変だ。

 何だか変だ。


「そう、じゃ、取り合えずさっさとお参りしちゃお。私も屋台見て回るの楽しみなんだ」

 珍しくはしゃいだ様子で、有住が繋いだ手を引っ張り、参拝の列めがけて歩いていく。

 これまでだったら安心感を連れてきてくれた「手を繋ぐ」というその行為が、今は何だか身体をムズムズとさせ、落ち着かない。


 冷え切った空気の中で、有住と繋いだ手だけが温かい。

 というか、繋いだ手のひらからその体温を感じてしまい、どうにも胸の奥が熱を持ってしまう。


 変だ。

 何だか今日は、変だ。

 体調が悪いのかもしれない。


「風邪だったらヤだなぁ……」

 ぽつりとこぼれた呟きは、雑踏の中で搔き消された。





 神社の本殿に近づくと、多くの参列者で長蛇の列が出来ていた。

 誘導係のアナウンスに従い、横4列に並び列に加わる。

「私甘酒飲みたい」と有住が楽しそうに話し。

「おみくじも引こうよ」と洋ちゃんが寒そうに猫背で要望を述べる。

「私、お好み焼き食べたいなぁ」とさっちゃんが呟く。


 ――楽しいなぁ。

「吉谷は?屋台に行きたいんだっけ?何食べたい?」

 ふと、私の方に顔を向けた有住を見て、昨夜の大晦日にした、メッセージアプリでのやり取りを思い出す。


『吉谷と話す時の私ってどんな感じ?』

 確かそう聞かれたか。


 あの時は、別にふつう、って答えたけど。

 よくよく考えたら、有住は話す時に凄く凄く、優しい顔をする。


 まるで、愛おしいものを見るような感じで――って。

「まるでオカンのようだ……」

「えっ、なに、聞き方変だった?ごめんね」

「あっ、いや、ちが……」


 きっと洋ちゃんやさっちゃんと話す時もそうなんだと思う。

 ――もしかしたら、クラスの他の人達と話す時も。

 胸の奥がぎゅっと掴まれたように苦しくなる。

 思わず、本当に何かあるんじゃないかと、自分の胸元の服を掴む。


 今日はずっとずっと、苦しい。

 楽しいし、嬉しいけれど、なんだか苦しい。





 皆でじゃれあっているうちに、私達が参拝する順番が回ってきた。

 当然のように、有住と繋いでいた手が離れる。

 名残惜しく思いながら、また今年も一年皆で仲良く過ごせますように、と手を合わせる。


 お賽銭には、ちょっと奮発して500円玉を投げ入れた。


 参拝後は、皆のしたいことをひとつひとつ消化していこう、と決まった。

 まずはおみくじを引き、甘酒を飲んで身体を温めた後、屋台を物色していく。

「あ、ここのお好み焼き美味しそう」

「私も欲しーい」

 さっちゃんと洋ちゃんが列に並んでいる間、私と有住は少し離れたところで通行人の邪魔にならないように待つ。

 参拝後、左手は、また繋がれていた。


 スマホを取り出し、SNSを開こうとすると。

「あ、スマホの待ち受け変えた?」と有住が覗き込んできた。

 吐息がかかるくらいの距離の近さに、心臓が跳ねる。


「ああ、ごめん。覗き込んじゃった」

「いや、いいよ」

 絞り出した声はちょっとだけうわずっていた。

 変に思われないといいけど。


「吉谷ってさぁ、本当、犬養桜好きだよねぇ。その新しい待ち受けも」

 くい、と顎で示されて、こくんと頷く。

 年末に暇つぶしで投稿サイトを見ていたら、お気に入りの絵師さんが描いたさくたんの新作画像を見つけたのだ。


 可愛くて、思わず見つけた瞬間に待ち受けにした。

「どんなところが好きなんだっけ?」

 有住が自分からさくたんの話を振ってくるのは珍しい。

 疑問に思いながらも、真面目に答える。


 一生懸命なところ、ちょっと抜けているところ、その声と性格、全部全部。

 好きなところをひとつひとつ上げていく。

 いつもなら途中で有住からストップがかかるのに、今日は最後まで話し切った。


 目の前には、ころころと笑う有住。

 しかも何だかとっても嬉しそうだ。


「吉谷ってさ、本当、さくたん好きだよね」

 また最初と同じことを言われ「うん、――好き」と素直に答える。

 その言葉に、今度は何故か有住が頬を染めた。


「吉谷は、犬養桜の他にそういう人、いないの?Vtuberって沢山いるでしょう」

 話題を少し変えるように質問が飛んで来る。

「他に?ああ、他にもチャンネル登録して観ている人はいるけど……」


 でも、さくたん程、大好きだという感情は湧いて来ない。

 この感情に一番近いのは――。

「あ」

「うん?」


 有住の顔をじっと見つめる。

「……最近、胸が苦しくてさ」

「え、何、病気ってこと?」

「……ううん、私もそうなのかなって思ってたんだけど、多分、違くて」


「それなら何?」

「ある人を見ると、ドキドキして、毎日が凄く楽しくなって」

「うん」

「その人にちょっと強い口調で何か言われると、しゅんとなって凄く悲しくて」

「なにそいつ、酷いやつじゃん。っていうか、それってVtuberじゃなくて生身の人間の話?」


「うん、そう。あと、酷い人ってわけじゃなくて、それは私が怒らせちゃうからで、いつもは凄く優しいの。優しくされると、何だか胸が苦しくなって」

「……本当に大丈夫なの?その人。騙されてない?」

「ううん、騙されてないよ。その人のことを考えると、ドキドキするんだけどさ。それって、さくたんのことを考える時のドキドキともよく似てて。――これってさ、もしかして」


「――好き、なのかもしれないね、その人のこと」


 ――ああ、そうか。

 ――やっと気づけた。


 ここ最近の、苦しさの正体に。

 得体の知れなかったこの感情に、名前がついて、色がついた。


 湧き出るように増幅したその感情が、熱を持ち、身体中からあふれ出そうになる。


「有住……、あのね」

「……」

「お待たせー」

「思ったよりすぐ買えたわー。ふたりも食べるー?」


 振り向くと、さっちゃんと洋ちゃんがこちらに手を振り、歩いてくるところだった。

 さっちゃんは両手にお好み焼きのパックを抱え、洋ちゃんに「お前、自分の持てよ」と文句を言っている。洋ちゃんはそんなさっちゃんからの文句もどこ吹く風だ。


「食べる食べるー」

 すっ、と有住がふたりの元に駆け寄った。


 あれ、とちいさな違和感が生じる。

 今の今まで有住と繋がれていたはずの、自分の空いた左手を見る。


 まあ、ずっと手を繋いでいるわけにもいかないし……ね。

 たったそれだけのことなのに、思いのほかダメージを受けた。

 外気に触れた左手は、早くも熱を奪われていく。

「ほら、吉谷、行くよ」


 立ち尽くしている私を呼ぶ有住の顔は、何だか泣くのをこらえているように見えた。

 気のせい…だよね。

 そう自分に言い聞かせながら、駆け寄ってまた有住の手を取る。

「甘えん坊だなぁ」とケラケラ笑う洋ちゃんの冷やかしに、「もう、うるっさいなぁ!」と文句を言う。


 喋っていないと、頭がおかしくなりそうだった。

 手を取った瞬間の有住が、びくりと震えたから。

 そして今も、私の左手を握り返してはくれないから。


「手、私と繋いでて良いの?」

「……? 有住以外の誰と繋ぐの?」


 あんたらふたりは、とさっちゃんの呆れた声が聞こえる。

「いちゃいちゃしてないで、有住は吉谷がはぐれないように掴まえててよね」

 そうしてやっと、有住は私の左手をぎこちなく、握り返してくれた。


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