第3話 クレアと桜の帰り道

「んー!まんぞく……」

 両腕を夜空にぐんと伸ばし、恍惚こうこつとした表情でクレアさんが呟く。

 ひんやりとした空気の中で、白い息が舞っている。


 夜道の街頭に照らされて綺麗に笑いながら、「ねぇ、さくちゃんもそう思わない?」と後ろを歩く私に問いかけた。

 配信も無事に終わり、今は真夜中の帰り道を、ふたりでゆっくり歩いている。


 思わず見惚れそうになる自分に喝を入れ、先ほどまでの配信を思い出して答える。


 えっと、今日の配信、今日のはいしんは……お料理を作って、一緒に食べて……お喋りして……。

 満足……うん、まんぞく……。


 ――じゃ、ないな。


「――満足かどうか、の次元の話じゃないですよっ!何なんですかっ!今日の配信はっ!お料理が完成して、ふたりで食べ始めたところまでは良いですよ!でも、その後っ!『じゃーん、シャンパン持ってきちゃった』から始まり、それを飲み干した後……」


 先程までの光景がフラッシュバックする。

 ひとりで開けたシャンパンを、あっという間に飲み干した彼女は明らかに更に上機嫌になった。

 頬は上気して赤味がかり、瞳はきらきらと潤みだす。


 ボトルが空になったのを見計らって、お水かジュースを飲むか聞こうと口を開きかけた時。

『あ、シャンパン無くなっちゃった。えへへ、実はぁ~、じゃ~ん!ワインも持って来ちゃったんだぁ~』

『へ、へぇーー。……まだ飲むんですね』


 当然よぉ、とご機嫌な彼女が満面の笑みで答える。

 その時、コメント欄に『逃げろ、さくたん。そいつ置いてっていいから』という様なメッセージがちらほら出てきていたのを覚えている。


 でも、酔っ払いって、人によっては放置しちゃいけない人もいるよね。

 気分悪くなったりしたら介抱しなくちゃだし。

『逃げろ』『クレアは酒癖、ちょっと、まぁまぁ、だいぶ悪いぞ』

 少しずつ、不安になるようなコメントが多くなってくる。


 ああ、そういえば酔っているクレアさん、見たこと無いな。

 って、目を離した隙にもうワイン飲み干しちゃってるし。


『えへへ~じ・つ・は、更にもう1本ワインを持って来てて』

『……』


 ゆっくりと距離を取ろうとしたら、気づいた彼女に腕をガッチリ掴まれる。

 胡乱うろんな目をした彼女に警戒して抵抗を試みたものの、そのまま後ろから抱きかかえられた。


『あ、え、ちょ、クレアさんっ』

 私の焦ったような声で、更にコメント欄は『何が起きてるんだ…』『遂に犬養がクレアに……』『昨日、宣言してたもんな……』と変な憶測で湧いている。


 だから何を宣言していたのっ!


『あ、もうワイン無いや。買ってこよっかな』

『えっ、いやいやいやちょっと、いなくならないで!』

 追加のお酒を買いに行こうとするクレアさんを必死で止める。

 こんなに手のかかる年上って、他にいるのだろうか。


『うへへ~なぁに?さくちゃん、私がいないと寂しいの~?』

『いや、断じてそうではなく、配信中に勝手にいなくならないで下さい』

『もう、寂しいなら寂しいって、素直に言いなさいよぉ~。あ、さくちゃんも飲む?』

『飲みません。未成年なんで』


 クレアさんにぎゅっと抱きしめられて、もはやほとんど会話にならない。

 ついさっきまで、美味しく料理を食べていただけだったのに。


 食べ散らかして、飲み散らかした机を見る。

 これをこの後片付けるのか……。

 思わず溜息が出る。


 こんなものでいいのだろうかと配信画面を見ると、視聴者からの『てぇてぇ』『いいぞもっとやれ』『このふたりの空気感いいよな』の文字。

 私とクレアさんの視聴者達よ、本当にそれでいいのか。


 私に抱き着き、隙あらばキスをしようとする彼女を押しのけつつ、何時に配信切るんだっけと半ば泣きそうになっていたのが、ほんの1時間くらい前。




「――いやぁ、本当に楽しかったわ」

「私の今の回想を聞いて、よくそんなことが言えますね?」


 照れたように彼女が笑う。

 いや、何にも褒めてないんだけれど。


「さくちゃん、だいぶ明るくなったよね」

「え?まぁ、誰かさんのお陰様で?」


 ううん、多分違うよ、と首を振り、我儘な年上のその人は立ちどまった。

「私と出会ったこととか、Vtuberを始めただとかもあると思うけど、高2になって更にさくちゃんは明るくなったよ。少なくとも――」


 クレアさんが手を伸ばし私の頬に触れる。

「喜怒哀楽がはっきりするようになった。よく笑うようになった。はっきり怒るようになった。よく悩むようになった。さくちゃんの可愛い顔が、もっともっと可愛くなった。きっと今、とても良い人達に囲まれているのね」


 ふと、今日私と一緒に遊びたいんだと駄々をこねた友人と、それを宥めていた友人達の顔が思い浮かぶ。

 胸の奥が、温かくなる。

「でも、それだけじゃないですよ」

「うん?」


「私が困っていた時、いつもクレアさんが傍にいてくれたから。だからあんなに嫌だった劇も乗り越えられた。今日だって結局、楽しかったし。――クレアさんが同期で、良かったです」

「うふふ、そうね。これからも傍に居るわよ。兎に角とにかくあなたは、ひとりで抱え込むことも多いんだから、もっと私に頼んなさい。私も、あなたが同期で良かったわ。――メリークリスマス、

 そう言うと、ちゅっ、と私の額に口付けた。



 ずるいなぁ、今のは怒れないや。



「ほら、そろそろ帰るわよ。私はお泊りでもいいんだけどね」

 そうやって目の前に差し出された綺麗な手を、迷わず私は手に取った。

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