第6話 有住は、ひとまずひとつの最適解を見つける


 ――距離を置こう、と最後まで言えなかった。


 吉谷が、静かに泣いていたから。


 ぽたぽたと、大粒の涙が吉谷の目から零れ落ちる。

 すくい上げてあげたい衝動に駆られるけれど、今の私では狼狽えることしかできない。


 そもそも何故泣いているのか。

 私が何かを間違えたのは確かだけれど、それが何なのかが分からない。

 今すぐに、ここから逃げ出したい。


「有住っ……は、……わたしのこと……、ぐすっ……、もう……きらい……?」


 泣きながら言葉を絞り出す吉谷は、見ていられない。

 私は吉谷の笑顔が見たい。

 こっちも段々泣きたくなってきた。

 でも多分、私には泣き出す資格なんてない。


「――私は、吉谷の事大好きだよ」

 今の私に出来るのは、自分の素直な気持ちを伝えるだけだ。

 後は吉谷に何を言われても、受け入れる。

 ぐっ、と腹を括った。


 「んっ……、ひっく、それなら……、ぐすっ、私から、離れるって……言わないで……」

「あ……、ごめん。分かった。離れないよ……傍にいる」


 段々と吉谷の思考を理解する。

 今の吉谷のベクトルは、どこまでも私に向いているんだ。


 私は、自分の事しか考えていなかったのに。

 吉谷から逃げる事しか。


『有住、吉谷を大切にしてやるんだよ…。子どもって肌の触れ合いとかスキンシップで安心を得る生き物だから』


 ようちゃんの言う通りに吉谷を子ども扱いするのは気が引けるけど、たまには私から勇気を出して踏み込んでみるべきなんだろう。

 深く息を吸い込んで、吉谷を引き寄せ、抱きしめる。

 私からする、初めてのまともなスキンシップかもしれなかった。


 ぎゅっと、力強く、ふたりの間に誰も、何も、入り込めないように。

 吉谷の身体は体温が高く、熱いくらいだった。

 本当に子どもみたいなやつだ。


 ついでにゆっくり頭を撫でてあげると、徐々に吉谷の様子も落ち着いてきた。

 その間に私も頭をフル回転させ、今の状況を整理する。


「――吉谷、さっちゃんに相談していたのはさ、一部、吉谷の事もあるんだよ」

「……っ、うん」

「私いつも、吉谷が犬養桜の配信の話をする時、何かしらして遮っちゃうじゃん。あれ、どうしても過剰に反応しちゃってさ。話を聞きたくないわけじゃないんだけど色々理由があって……、まぁ、それでさっちゃんに相談してたの」


 嘘は言っていないぞ、嘘は。

 一部、というか大部分をオブラートで隠しているけど。


「……私は、さくたんの話を有住に聞いて欲しくて、いつも同じ話ばっかしてごめん」

「うん、いいよ」


 そうなのだ。

 さっちゃんからも、洋ちゃんからも最近言われて知った事。


 ――吉谷が犬養桜の話をするのは、大体が私が傍に居る時なのだと。


 もしかしたら、吉谷が気づいていないだけで本人の心のどこか奥深くでは、私と犬養が結びつきつつあるのかもしれない。


 そうではないとしても、自分が好きなものの話を、私に聞いてほしいとか。

 それって、可愛すぎないか。


 全身から、言いようのない愛おしさが溢れ出す。

「吉谷、こっち見て」

「ん……」

 こつん、と自分の額と、吉谷の額をくっつける。


「これまでごめんね。これからはなるべく吉谷の事、大切にする」

 こんな風に、と気持ちを込めて吉谷の頬を撫でる。

 くすぐったそうに目を閉じる吉谷に「可愛い」と囁くと、笑顔になった。

 そう、これだ。


 私は吉谷の、笑顔が見たかったんだ。


 胸の奥をぎゅ、と掴まれたような感覚になる。

「私さ、今まであんまり友達らしい友達いなくて。だから距離感とか分からないん   だけど、こんな感じでいいのかな?」

「うん。私も、なんか他の友達と有住は違うや。これ、凄く嬉しいよ」

 そう言って頬に添えられた私の手のひらに、頬ずりする。


 可愛い。

 再び抱きしめて耳元で「可愛い」と呟くと、「ん…」と吉谷が身じろぎした。

 よく見ると耳が赤い。


 こういうスキンシップもきっと友達同士では必要なんだろう。

 明日、学校でようちゃんにお礼を言おう。


「有住」

「ん?」

「離れないでね」

「ん、大丈夫だよ」

 抱きしめたまま、吉谷の髪をもてあそぶ。

 

「有住」

「ん?」

「今度さくたんの配信一緒に観よ?」

「それは無理」


 ぷくっと吉谷が頬を膨らませて抗議する。

 私はそれを笑って返す。

 これまで生きてきた中で、一番幸せな瞬間だと感じた。

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