第2話 有住は、ご機嫌になる
「――有住ってさ、犬養桜でしょ」
注文ボタンを押そうとした姿勢のまま、身体が強ばり身動きが取れなくなる。
ひやり、と背筋が冷たく感じた。
血の気が引いているんだ、いま。
周囲の雑音が、急に遠くなる。
それくらい自分が焦っているのだと感じる。
「な、な、なんで」
「……ほらね。そこで焦っちゃう時点でダメなんだよ」
さっちゃんは怒ったようにテーブル越しに身を乗り出すと、私に軽くデコピンをした。
訳が分からず、弾かれた額を押さえる。そのまま目の前の相手を見つめるしかない。
この状況、一体どうすればいいの。
「はぁ。黙っていようと思ってたけど、多分、傍でサポートする人が居ないとダメそうだなって思ってさ。有住はいつも、吉谷のさくたんトークに露骨に反応し過ぎ」
「うぐっ」
ごもっともな指摘に、何も言えなくなる。
「そもそも声は生身なんだからバレないことの方がおかしいでしょ。吉谷は特殊なだけ。そのうちあいつの布教がうまくいって、クラスの他の人が犬養桜の配信観始めちゃったら、バレる確率はどんどんあがるよ。あとたまに身バレしそうなトークするのもどうかと思う。友達が新しいパソコン買ったから一緒にゲームしたって話とか、あれ吉谷の家に行った時の話でしょう?バカなの?」
「ごめんなさい……」
まぁいいけど、とため息交じりに呟くと、さっちゃんは注文ボタンを押す。
やってきた店員さんに、慌てて自分の欲しいメニューを伝える。
「取り合えずさ。有住を脅して何かしようって話ではなくて、私もできる時はたまにサポートするよって話。バレそうな時に一緒に誤魔化すくらいならできるから」
「さっちゃん……。好き……」
「はいはい」
思わずテーブルの上に置かれていたその手を両手で握る。
この光景を今、他人に見られたら勘違いされるかもしれない。
最近、主に吉谷絡みで他人に誤解されることが多いから、もう大分私も麻痺してきた。
「お~来た来た!この話はこれぐらいにしとこう。誰が聞いてるか分かんないし。さぁ!ケーキ食べよ」
「うん!」
目の前に置かれたふたり分のケーキを見て、にこりとさっちゃんが笑う。
いつもしっかりしているさっちゃんが、今日は殊更、頼もしく思えた。
初めてのふたりきりでのお出掛けは、私に大きな安心感をくれたんだ。
――翌日。
昨日は家に帰った後も、身バレした驚きと味方ができた嬉しさにずっと興奮しっぱなしだった。
なんだか早くさっちゃんに会いたくて、教室に入って早々、その姿を探す。
「あ、有住おは……」
「居た、さっちゃーん!」
「お、有住。おはよ。どした?元気じゃん」
えへへ、さっちゃんに早く会いたくて、と笑うと周囲が珍しく「有住が人間にデレている」とざわついた。
普段からあまりにこにこすることないからな、私。
それでも構わず、さっちゃんに笑いかける。頬が勝手に緩むのだ。
そんなさっちゃんは私の背後にちらっと目をやると、「あっ」とちいさく呟いた。
「有住、後ろでヤキモチ妬いてる奴がいる」
その言葉に振り返ると、吉谷が頬を膨らませて教室の入り口で立ち尽くしている。
「ああ、おはよー。吉谷」
「……私さっき、おはよう、って言ったもん」
「?」
ご機嫌斜めなようなので、頭を撫でてやる。
「昨日、楽しかった?」
「うん、かなり」
そっか、と絞り出すように言うとまた心なしかしょんぼりしてしまったので、吉谷は逆に元気が無くなるような事があったのかもしれない。
その後何度も、どうしたの、と聞いても、なんでもない、としか言わないので、一体何があったのかと少し心配になった。
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