第5話 〇〇は、ガラスの靴を持って逃げる

 にゃあ、と何処かで猫の鳴き声が聞こえた。

 振り向いても姿は見えなかったけれど、またどこかに入り込んでいるんだろう。


「吉谷、どうかした?」

「ううん、何でもない」


 衣装に着替えた有住がこちらに問いかける。

 緊張しているようで、少し表情が固い。

 有住の方に手を伸ばそうとして、背後から声が掛かった。


「有住さん、吉谷さん、準備して。――幕が上がるよ」

「「はい」」


 この日のために、約1か月を費やしたんだ。

 やってやる。



 幕が上がる。劇が始まる。

 私と有住の、ふたりの劇が。



「吉谷、一緒に頑張ろう」

 私が伸ばしかけて引っ込めた手を、有住がぎゅっと握った。




 ――シンデレラは、世界中で有名なサクセスストーリーだ。


 愛する両親を亡くし、意地悪な継母と姉達に虐げられる日々を送るシンデレラ。

 そんなある日、王子のお妃選びの為に数日間をかけて、王城で舞踏会が開かれることになる。


 それを知った継母と姉達は目の色を変え、舞踏会へいく準備をする。

 舞踏会初日。

 当然のように家族に置いて行かれ、留守番をしていたシンデレラの前に、魔法使いが現れる。


「かわいそうなシンデレラ。舞踏会に連れて行ってあげよう」


 そうして魔法使いは、そこにあったカボチャやネズミに魔法をかけ、綺麗な馬車やドレス、ガラスの靴を作り出した。

 舞踏会の会場に訪れたシンデレラはその美しさで注目を浴び、王子の目にとまる。


「僕と一曲踊ってくれませんか」


 その一曲で、王子とシンデレラは互いに恋に落ちる。


 けれど。


 シンデレラには、タイムリミットがあった。

 0時の鐘が鳴ると同時に魔法が解けるため、いつも早足に王城を後にしなければならなかったのだ。


 連日開かれる舞踏会で、0時の鐘が鳴る前に王城を後にするシンデレラ。

 王子はその状況に痺れを切らす。

 いつの間にか、シンデレラのことを深く愛おしいと思うようになっていたのだ。


 舞踏会の最終日。

「帰らないでくれ。お願いだ」

 王子に強く引きとめられているうちに、いつの間にかタイムリミットの0時直前になってしまう。


「……ごめんなさい」


 慌てて王城を離れるシンデレラだが、つい、履いていたガラスの靴の片方を落としてしまう。


 そのガラスの靴を手掛かりに、王子達はシンデレラ探しを行う――のだが。





「――ガラスの靴が無いって、どういうことよっ!」


 舞踏会から数日後の、シンデレラと継母達が家の中で会話をするシーン。

 ここまでは何のトラブルもなく、全く素人の私と有住も落ち着いた演技が出来ていたと思う。


 舞台上で継母達と話す有住を見ながら、もうそろそろガラスの靴の持ち主を探す王子として、舞台に出ようとしたその時だった。


「さっきまで持っていたじゃない!」

「いや、そうなんですけど、舞台袖に捌けて飲み物を飲むためにあそこに置いていたのに一瞬で無くなってて……」

「そんなこと、あるわけ……あっ」


 焦る常盤先輩と演劇部の人たちの目線を追うと、遥か彼方へ走っていく猫の姿。

 ガラスの靴を咥えて走る猫。

 そういや、この間もブローチ咥えてたな。

 どうやらキラキラしたものがお好きらしい。


「っと、え?それじゃあ、ガラスの靴無しでやれってこと??」

 舞台裏の皆の目線が、私に集まる。

 舞台の上では、既に一通りのセリフを言い終えて、私達の登場を待つ有住達。


「え、え、でも、え?」

 狼狽えながら周りをきょろきょろと見回すことしか出来ない。

 ここからは、アドリブも入れるってことだよね?


 もう一度舞台を覗く。

 舞台に立つ人達は、勿論、裏でガラスの靴が無くなったことなんか知るはずもなく。

 ただただ私達が出てくるのを待っている。


 やばい。

 不安そうな有住と、目が合った。


 有住が待ってる。


 ああ、もう。

「――私、行ってくる」


 ここから先は、私のターンだ。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る