第1話 犬養桜は、私の推しである

 つまるところ、私の今の生活は犬養桜いぬかいさくら(さくたん)の配信を観ることで全て成り立っている。

 朝起きるとすぐに彼女の過去配信動画を探し、それを流しながら学校に行く準備をする。


 学校から帰宅すると、ただひたすら寝るまでその動画やまとめサイト、SNSで彼女の行動の足跡を辿る。

 最近では、ようやく収益化したばかりのさくたんに投げ銭をするため、アルバイトも始めた。


 私の今の生活は、犬養桜の配信を観ることで、全て成り立っている。


 そう、彼女の。

吉谷よしたに、おーい、吉谷」

 配信を……。

「おーい、ばか谷。授業終わったぞ。お昼だぞ」

 観る……ために……。

「……ぅあ、おはよう」

「やっと起きたか。にっこにこで涎垂らして寝てたわよ。きたなっ」


 水中から急上昇するように、くぐもった周囲の声が急速に鮮明に聞こえだす。霞がかっていた意識が現実味を帯びる。

 皆の開いた弁当の匂いが教室に溢れていた。

 途端に、思い出したようにお腹が空いてくる。


 一瞬、私を揺り起こした有住を、犬養桜と錯覚してしまいそうになった。


 流石に寝ぼけすぎている。

 こいつと可愛いさくたんとは、似ても似つかない。

 まあ、有住ありずみも美人っちゃ美人なんだけど。


「昨日も誰だっけ、犬養とかって子の配信観てたの?」

「う……うん。あ、そうそう、昨日はさくたんの歌ってみた動画公開日でさ。寝る直前までずーっと聴いてた」

「えっ……。それって4、5時間くらいずっと聴いてたってこと?」

「あー、まあ、動画公開が20時で、夜1時くらいに寝たから、そうなるね」

「こわっ、……寝る前に聴くにはアップテンポだと思うんだけど……」

「なんで知ってんの?」

「あー、私も昨日、聴いたからさ」


 それを聴いて、感心する。

 パソコンオタクのこいつでも、さくたんの良さが分かるとは。

 ようやく魅力を分かってくれる仲間が身近に見つかったのかと、笑顔で返答しようかと思ったら。


「まぁ、私はハマんないけどね」

 なんて言いやがった。

 許さん、とばかりに立ち上がり、有住に詰め寄る。


「ねぇちょっと有住、あんたちょっと顔が良いからって、私のさくたんのこと悪く言うんじゃないわよ」

「それって私のことちょっと褒めてる……?あと“私のさくたん”ってとこが鳥肌……」


「あ、褒めちゃった。違うの!犬養桜はね!もう魅力が凄いの!まずその声が凄く可愛い!そしてマジレッサーの異名を持つ程の真面目さ。あと多分下ネタの知識に疎いんだろうね。視聴者からのコメントをなんにも疑問を持たずにそのまま読み上げちゃった回があるんだけど……」

「あ、もういいわ」


 有住はもう聞きたくないとばかりに両手を耳で塞いでいる。

 目は死んだ魚の様な目をしていた。


 せっかく仲間を見つけたと思ったのに、有住の目は節穴だった。


 こいつには、感情の起伏ってものがあるのだろうか。いつもパソコンばかり触って何がなんだか分からないことをしているからそうなるんじゃないのか。


「それ、いま頭の中で考えていることそのまま口から全部出ているからね。っていうか、私も感情くらいあるし、ばか谷」


 表へ出ろ、イヤだ出ないもん、と言い合いをしていれば「おーい、有住、吉谷、早くこっちおいで」と窓際から声が掛かる。

 いつも有住と小競り合いをしているから昼食時間が短くなるんだ、と文句を言いながらふたりで窓際に待つ友人らのもとへ移動する。


「もう、ふたりとも早くしてよ。っとに、吉谷は本当にその…さくたんだっけ?が好きだよねぇ」

「うん、私、さくたんにガチ恋だから」

「ぶっ」


 隣に座って紙パックのジュースを飲んでいた有住が急にふきだした。

 とても汚い。

 汚いが、友達なので持っていたウェットティッシュを渡して一緒に周囲を拭いてあげた。

 黙っていれば美人なんだよな、黙って動かないでいれば。


「だからそれ全部いま口から出てるからね、その悪口」

「有住は黙って机拭いてて。えーでもさ、ガチ恋って、さくたん女子じゃん」


 弁当の卵焼きを口に運びながら、友人のひとりが疑問をそう口にする。

「関係ない」

「どうする?アバターは可愛いけど、中の人がとんでもない感じだったら」

「中の人なんて存在しない」

 重症だなぁ、と誰かが呟いた。


 重症でもいい。

 恋は盲目、なんて昔から言うじゃないか。

 例え現実世界で出会うことが無くても、いや、寧ろ出会わない方が良い。

 だって本当に実物の犬養桜に出会ったら、ただの視聴者と配信者の関係ではいられなくなりそうだから。

 そう思うくらいには、私は自分の想いを拗らせているのだ。

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