ある街の片隅で
午後のミズ
スイートスイーツビター
甘いお菓子が好きだ。チョコにクッキー、ケーキにドーナツ、お饅頭。チョコは毎日食べるぐらい。
そして、甘いお菓子を食べるタイミングはとても重要だと思う。
でも、私はいいお菓子を食べるタイミングが分からない。折角買っても、家に着いたら食べる気がなくなってしまう。
そうして美味しいお菓子は景色の一つになる。おいしいお菓子は辛い時に食べるように取っておいているのに、いざその辛い時が来ても食べる気にもならず食べないのだ。
じゃあ、いつそのお菓子は食べればいいの?
「あっ、これ俺の好きなやつじゃん」
「あっ」
私はそれだけしか言えず、そのまま布団の中に潜り込んだ。
腰が痛い。なんかお腹が変な感じする。布団から出たくない。
お前の為に取っておいたやつじゃないのに。
彼はアルフォートの箱を持って私のいるベットに座った。
そうして私の唇にキスをした。抹茶の味がした。私の限定の抹茶味のアルフォートが……。
それで私にはひとつもくれないまま一人で全部を食べてしまったのだ。それは私がいつか食べようと思って取っておいたアルフォートだったのに。そのいつかはもう来なくなってしまった。
私はムスッとして一言も口を利かないまま床に投げ捨ててあった下着とジャージを着て、眠ろうとする。
「
ヘラヘラしながら布団に包まっている私に抱き着いてくる。
あー鬱陶しい。うざったい。私のお菓子を何の断りもなく食べておいて、うざ絡みしてきて。
「やめて、寝かして」
私はイラついた心を押し殺して言った。でも、声は低くなってしまう。
「なんだよ、さっきまであんなによがってた癖になに怒ってんだよ」
彼の声色も少し怒気を帯び始める。
「別に……。疲れただけ……」
よがってたってそんなの関係ないし、さっきと今は別。私はお菓子を食べられたことに怒ってるのに。
「だって、アルフォート勝手に食べたじゃん。あれ、私が楽しみに取っておいたやつだったんだけど」
私は布団を頭まで被って言った。
「あー、そんなことか。じゃあ、明日ケーキ食べ行こうよ。おいしいとこ知ってるからさ」
そんなこと?
私の楽しみに取っておいた限定のアルフォートをそんなこと?
はあ……。
怒るのも馬鹿らしくなってきた。この男はそういう男なのだ。最近冷めかけていた気持ちはこれで決定的なものになった。正直行きたくないけど、ケーキに罪はないから行くことにした。
「うん……、じゃあ寝るね」
私は今度こそ眠ることにした。気持ちはグルグルするし、お腹の下ら辺はきゅっとするけど気にしないことにした。
彼はそれから何も言わずにベランダに出るとタバコを吸い始めた。開いてる窓の向こうから夏の湿気を含んだ生ぬるい風に乗ってタバコの匂いが室内へと入ってくる。
嗅ぎ慣れたタバコの匂い。美弦の匂い。
くさい。
私の狭い部屋にはテレビとベット、ガラスのテーブル、クローゼット。壁には服が掛けてある。それだけの部屋。でも、美弦が来るようになってからなんだかタバコ臭くなった気がする。それがずっと嫌だった。
私は目を閉じて、まだ入学したての頃を思い出す。
私が美弦を好きになったのは、タバコ吸ってて、お酒飲んで、バンドマンで、ちょっぴりカッコよかったからなのだ。いかにも大学生って感じで、子供の私にはそんな美弦が大人に見えた。今にしてみればこんな男を好きになってしまった理由が分からないけど。
大学生になっても私は高校生の頃と何も変わっちゃいない。お酒は飲めないし、タバコも吸わない。オシャレもそこそこで大学で友達はできたけど、私には大人らしいことが何一つ似合わない。
あっ、セックスぐらいかな……。
でも、それだって美弦が泊まりに来る度に毎回誘ってきて、最初の頃はすごく大人だって思って嬉しかったけど、なんか大人じゃないのかもな。なんて思えてしまった。
ただ疲れるだけ、美弦から私への愛って何なんだろうって。
大学に入ってからオシャレにお金と気を使って、髪の色を茶色にしたけどそんだけ。自分でも私の求めてる大人っていうのが分からなくて、いつも他の人の方が大人だなって思えてしまう。
朝、目を覚ますと美弦が隣で吞気そうに眠っている。顔の作りはやっぱりよくて、それでいて性格があんなだから余計に腹が立つ。
それに、しょっちゅう私は美弦の凶悪な寝相の悪さで起こされる。今朝もあまりいい睡眠を取ることができなかったように感じる。まだ腰が痛い。
「ねえ、ケーキ食べに連れてってくれるんでしょ? 起きてよ」
吞気に眠っている美弦の鼻を摘まむと顔を嫌そうに振って「あと五分」と言って、またも眠りに着こうとした。早くケーキを食べたい。ケーキ食べたら、こんなやつとは別れてやる。
「もう……」
私は起き出すと、顔を洗い、歯を磨き、パンを焼き、と朝のルーティーンをこなす。ジャムとマーガリンを出して、パンが焼けた頃に美弦は起き出してきた。
ありがとう、の一言もなしに食パンを一人で食べだした。私の分も出してほしかったのに、トースターの中に入れっぱなし。
そうして、あまり言葉を交わさぬまま、昼が過ぎた頃に家を出て名駅へと向かう。
美弦はいつもと変わらない様子だったけど私はまだ昨日のことを根に持っていた。
「名駅に美味しいケーキ屋さんがあるんだよ」
ふーん。美弦は甘いモノ好きじゃないのになんでそんなこと知ってるのかな。きっといろんな女の子と行っていたに違いない。別にもう何とも思わないけど。時々、遊んでくれなかったり、友達から違う女の子と歩いてたって聞いたこともあった。その時は美弦のことが大好きだったから私が一番好かれているならいいと思っていたけど、今考えるとそれだっておかしな話だ。恋は盲目ってやつなんだろう。
東山線九番出口から外に出ると、真夏のムッとした空気と名古屋駅前の雑踏が見られる。その光景に更に私は顔をしかめた。いつ来ても私は名古屋の人が多い所と夏が凄く蒸し暑いことに慣れない。
美弦は左に曲がり名鉄の方へ歩いていく。どこに行くのかは教えてくれない。私はただ無言で彼の後を付いていく。
銀色のグルグルが今日も駅前の道路の真ん中で鈍く光っていた。はじめて名古屋駅に来た時は不思議だと思っていたが、見慣れた今でも不思議に感じる。
あれはいつ撤去されるのだろうか。撤去されるという噂を聞いてから一年近くあそこに鎮座しているような気がする。
しばらく歩き、ナナちゃん人形の横を通り過ぎると、私と美弦は名鉄百貨店に入った。エレベーターで地下一階へと向かう。地下一階へと降りるとそこは、カフェやレストランが並んでいた。
そうして、いくつも並ぶカフェを横目に私達は歩き、一軒のカフェに着いた。休日の昼時ということもあり人の数は多く活気づいている。
店の前のショーケースにはまるで宝石のようなケーキが並びキラキラと輝いている。チョコレートケーキ、ズコット、ミルフィーユ、タルトなど様々な種類のケーキが並んでいる。
美弦はなんの躊躇いもなくお店に入った。でも、とてもお高そうでおしゃれなお店で足は重くなった。ぎこちない動きで美弦の後に着いていき、案内された席に座る。
メニュー表はシンプルでいて、ファミレスとかのカラフルでにぎやかな感じではない高級感があった。
それがなんだか私には似合わないなって思った。ここで不釣り合いなのはただの大学生の私と美弦。キラキラした店内のシャンデリア、机は豪奢な木の机。お金持ちそうなおば様達の談笑する声。お皿とフォーク、コーヒーカップとソーサーのぶつかる音が耳の奥に響く。私の彼に対する冷めた気持ち、不満、怒り、それら全部を店内の音と雰囲気が私を攻撃しているみたいに感じられた。
それからとても美味しそうなズコットが出てきたけど、どんな味だったのか分からない。美弦はチーズケーキとコーヒーを注文した。なんか男の人っぽいなって、それもコーヒーが飲めるのも大人に感じた。
私はコーヒーも飲めない子供舌でそんなことだけで大人っぽさを感じてしまう子供だ。
気が付くと私と美弦は名古屋駅のコンコースにいた。大した話もせず、お店を出てから当てもなく名古屋駅の方に来てしまった。不意に私は立ち止る。
小学四年生ぐらいの男の子が所在無げに壁際に立っていた。迷子だろうか? 行きかう大人は誰も見向きもしない。そこには男の子なんていないように。まだ子供の私だけが気付いたみたいだ。
私は美弦に何も言わずに男の子に声を掛けた。
「ねえ、どうしたの? 迷子?」
男の子は私に気付くと、
「えっと、お姉さんを待っていて」
「お姉ちゃんとはぐれたのかな?」
「本当の姉ではないのですが、知り合いのお姉さんです」
随分と受け答えがしっかりしている。私はしゃがんで男の子と目線を合わせる。
「そっか、探すの手伝おうか?」
男の子は私の出した手を見て少しだけ逡巡したが、手を握った。
振り返ると美弦がいた。すごく嫌そうな顔で男の子のことを見ている。
「なあ、子供なんてほっといて帰ろうぜ」
「そんなに帰りたいなら一人で帰ればいいじゃん。私はこの子のお姉さんを探すから」
「なんだよそれ、俺のことはほっといて、その子供に構うのか」
私が冷たく言ったのに対して、美弦の言葉は熱を帯びる。
もうケーキも食べたし、ここで終わりにしてしまおう。
「もう、無理。今まで我慢してきたけど、別れたい」
「まだ昨日のお菓子食ったことで怒ってんのかよ」
「違う、それだけじゃない。もっと前から嫌なことはたくさんあった。だからもう続けられない」
「そうかよ、もう今日は帰るわ」
男の子と握っていた手に無意識に力が入る。
私が大人だって思っていた美弦だって子供だった。男なんてみんなこんなものなのかな。自分勝手。
大人ってなに? それに人間関係も私の家の冷蔵庫のお菓子と一緒でタイミングとかあるのかなって思った。
ある街の片隅で 午後のミズ @yuki_white
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