第18話
ゴロリと身体が地面で転がり、そこがもう、人間界であることを悟った。
「山田、今何時だ?」
「十一時。僕らがここから魔女界に行った、その日のままだよ」
「そうか、あの時六時だったから、ここでは五時間しか経っていないということになる」
「なんでだ?」
「言ってたじゃないか。この世界と向こうの世界は、時間の流れ方が違うんだ」
「とにかく、今すぐ帰った方がいいんじゃない?」
「そうだね。なんて言い訳しようか?」
「一応、本当のことを言っておくよ」
山田は素直だな。今回ばかりは、言い訳のしようがないだろう。麻里もあれを目撃しているんだから。僕らはそれぞれの家に帰った。
「ただいま」
玄関に鍵はかかっていなかった。
「賢ちゃん」
母さんが、リビングから駆け寄ってきて、僕を思い切り抱きしめた。
「賢一、無事でよかった。捜索願いを出そうかと思っていたところだ。今回ばかりは笑って許されないぞ。何があったんだ。分かるように説明しろ」
僕はすべてを話した。二人はそれを黙って聞いている。いつも僕の理解者である父さんも、このときばかりは厳しい表情だった。
「そんなこと……」
母さんは、僕の言っていることが、とても信じられないと言った。
「まあ、とにかく、こうして無事に帰ってきたのだから……」
まだ納得のいかないという顔をしている母さんをなだめ、先に寝るようにと言ってから、僕と父さんは、秘密基地へと行った。
「お前の話しは大人には理解できない。ただ、お前は僕にいつも正直に話してくれていることはよく分かっている。麻里からも話は聞いている。今日は本当にヤキモキしたぞ。お前にもしもの事があったらと思うと、気が気じゃなかった」
「ごめんなさい」
「まあ、これからはあんまり心配かけるようなことをするなよ」
「うん」
返事はしたものの、いつもその約束を破ってしまう。
「さあ、もう遅いから寝なさい」
不思議なことに、僕はあんまり眠くはなかった。いろいろありすぎて、まだ興奮が冷めないのだ。明日は土曜日で学校は休みだから、寝坊しても大丈夫。そう思っていたが……。
「お兄ちゃん、いつまで寝ているの。お休みだからって、ぐうたらしてちゃだめよ。起きなさい」
いつものように、麻里が起こしに来た。
「もっと寝かせてくれよ。僕は疲れているんだから」
「だめよ。そんないいわけ聞きませんからね」
まるで母親のような口調だ。
「分かったよ。起きるから、先に行っててよ」
起き上がると、身体中がだるかった。朝食を済ませて、しばらくぼーっとパソコンを眺めた。ホームページを更新しよう。
『三つ池の魔女は異世界から来た。この事実を信じようと、信じまいと個人の自由だ。以上、報告を終わる』
今回のミッションは多少危険をはらんではいたが、無事に済んでよかった。魔法界のことは、あまりおおやけにはできない。こんな簡単な報告では、きっと質問が殺到するだろう。
「ま、そのときはそのときだ」
僕は独り言を言って、パソコンを閉じた。そのとき、玄関のチャイムが鳴った。
「お兄ちゃん! 省吾くんが来てるわよ」
麻里が階段下から言った。僕は部屋から顔を出し、
「上がれよ」
というと、
「おじゃまします」
と言って、内野が駆け上がってきた。
「なあ、リリアンの母親、見つかったか?」
彼にそう言われて、うっかり忘れていたことに気づいた。
「そうだ、探さなくちゃ」
「けどよ、手がかりがねえし」
「うん。リリアンの母親がつけた名前、田中愛莉。それだけじゃ、手がかりとしては情報が少ない。母親の名前が分かればいいんだけれど……」
田中なんて、ありふれた名字だから、それだけでは探しようがない。しかし、母親は自分の娘のことを忘れていないだろう。だとすれば、聖マリア教会に現れる可能性もある。
「なあ、吉田、どうするんだよ」
「今考えていたんだ。教会に行こう。早百合さんがもしかしたら、何か手掛かりになる情報を持っているかもしれない」
「なんで?」
内野には、僕の考えが分からないようだ。
「とにかく、山田をさそってから行こう」
僕は、お寝坊さんの山田に電話をした。やっぱり寝ていたようだ。
「なあ、長谷川には連絡しないのか?」
「忘れていた。彼女をさそわないと、また怒られちゃうよ」
長谷川さんに電話をすると、
「吉田君、私すごく心配したのよ。急にあんなことになっちゃって。ホームページ、さっき更新したでしょ。本当はもっといろいろなことがあったはずよ。全部話してもらいますからね……」
「分かったから……。あのさ、今から、聖マリア教会に集合だよ。じゃ、もう切るよ」
僕は受話器から耳を放し、そのまま切ってしまった。
「俺、やっぱり女子は苦手だぜ」
僕の横で聞いていた内野は、苦笑いしている。
「僕も同感だよ」
僕らは自転車に乗り、山田の家へ行った。
「おはようございます」
チャイムを鳴らし、ドアを開けると、リビングから山田の母親が出てきた。
「あら、おはよう」
「透ちゃん! けんちゃんと、しょうちゃんが来てくれたわよ」
山田は二階にいたらしい。まだパジャマ姿のままで、のそり、のそりと下りてきた。
「おはよう」
血の気のひいた白い顔に、寝ぐせのついた髪。
「今起きたのかよ」
いつものことだが、内野もあきれたように言った。
「うん」
山田はそう言って、リビングの方へ行った。
「ごめんなさいね。起こしたんだけれど、なかなか起きなくて……。今から朝ごはんなの」
「いいですよ。僕ら先に行っているからと伝えてください」
さっきは電話に出たけれど、布団からは出てこられなかったのだろう。仕方がない、彼は低血圧だからな。
「ごめんなさいね」
山田の母親は、申し訳なさそうにそう言った。聖マリア教会につくと、門の前で、長谷川さんが待っていた。
「遅いわよ。そっちから誘っておいて。それより、早百合さんにはアポとったの?」
「もちろんだよ」
中へ入ると、礼拝堂の方から声が聞こえてきた。そして、シスターが数人そこから出てきた。その中の一人が僕らの方へ近づいてきた。
「おはようございます」
僕らはあいさつをして、お辞儀をした。
「おはようございます。さあ、あちらでお話を」
そう言って、あの、立派な応接室に通された。
「さあ、なんでも聞いてちょうだい。あなた方のホームページを見ましたよ。魔女が異世界から来ていたなんて、想像もしませんでした。わたくしはもちろん信じます。あなた方が聞きたかったことは十年前の赤ちゃんのことよね?」
「はい」
「わたくしは、その赤ちゃんのことはよく分からないわ」
「その子は向こうの世界にいました。魔女がわが子のように大切に育てています。僕らが知りたいのは、その子の母親についてのことです」
「まあ、そうだったの」
シスターはそれほど驚いた様子ではなかったが、
「うっそー!」
長谷川さんのほうは、かなりびっくりしている。僕はそれを無視して、話しを続けた。
「その母親は、ここへわが子を捨てたことを、きっと悔んでいると思うのです。だから、もしかしたら、ここへ来ることがあるかもしれないと思ったのです。赤ちゃんの名前をその母親が愛莉と名付けています。名字は田中。心当たりはありませんか?」
シスターは少し考えてから、
「もしかしたら、と思う人がいます。その方は田中芳江さんといって、今は隣の町に住んでいて、年老いた母親の面倒を見ています。毎年、決まってこの時期になると礼拝堂に足を運びます。彼女が以前、わたくしに、話したことがあります」
シスターはそこで、言葉を切った。僕らに話してしまってもいいのかと、考えているようだ。
「話してもらえませんか? 僕はその方の娘さんかもしれない子に頼まれているのです」
僕はリリアンから託された、あのお守りをシスターに見せた。
「これは……。田中芳江さんがいつも大事に持っている物によく似ています」
それを手にしたシスターは、これで確信ができたようだ。
「お話ししましょう。彼女は人には言えない罪深いことをしてしまったと、告白してくださいました。もちろん、その内容はお聞きしませんでした。もしそれが犯罪につながることだったとしても、ここでは罪を悔やみ、懺悔することが許される場です。罪を罰することはしません。彼女が抱えているものが、何なのか分かりませんでしたが、とてもおつらそうなのが見ていて分かりましたから……」
シスターはそこまで言うと、声を詰まらせた。
「そうだったのね。赤ちゃんを置き去りにしてしまったことを悔やんでいたのね、さっそくその人に会いに行きましょうよ」
長谷川さんはそう言って、立ち上がった。
「待ってください。その人をこれ以上苦しめるわけにはいきません」
「そんな、私は苦しめるつもりなんて……」
と彼女は口ごもった。
「僕らは、そんなドジは踏みません。うまく要点だけを伝えてきます。その方がどこに住んでいるのか、教えてくれませんか?」
「分かりました」
山田も合流して、僕らはシスターに教えられた住所を頼りに、隣町へと向かった。
「住所はたぶん、このあたりだと思うけれど……」
電信柱には、番地の書かれたプレートがある。それを頼りにここまで来たが、住居を見つけるには、なかなか難しい。
「ちょっと待って、僕のケータイで地図を出してみるよ」
山田がケータイを取り出した。
「ここであっているみたいだよ。たぶん、その角から二番目の家だ」
その家には表札はなかった。
「隠れて、誰か出てくるみたい」
長谷川さんが、声をひそめて言った。僕らは角のブロック塀に隠れた。出てきたのは、車椅子にお年寄りを乗せて押す、四十代くらいの女性だった。
「あの人が、田中芳江さんだろうか?」
「分からない。自転車で追い越してみようか?」
僕らはその女性の横を追い抜きざまに、チラリと顔を見た。それからその先にあった公園に自転車を止めた。
「どう? リリアンに似ていると思うけどな」
「どうだろう、顔を見ただけじゃ分からないな」
「シスターに写真でも借りておけばよったね」
「あら、写真があるかどうかも、分からないじゃない」
「とにかく、シスターの言っていた、年老いた母親を連れているという共通点がある。きっと、間違いないよ。声をかけてみよう」
僕らは、意を決して、彼女に近づいてみた。その人は、うつむき加減で、とぼとぼと車椅子を押していた。
「あのー。突然、失礼ですが、あなたは田中愛莉さんのお母さんでしょうか?」
僕が話しかけると、ビクッとして、彼女は顔を上げた。
「あなた……。なぜその名を……」
明らかに動揺している。唇がわなわなと震え、それを隠そうと手で顔をおおった。
「そうなんですね。僕らは彼女の……」
「やめてください! なんなんですか? あなたたちは……」
その人は急に感情的になって、取り乱した。
「落ち着いて下さい。僕らは、愛莉さんに頼まれてきたのです。お願いですから、話しを聞いて下さい。もし、今、ご都合がよくなければ、日を改めます」
僕がそう言うと、
「いえ、ごめんなさい。今ここで話してちょうだい。戒めはしっかりと受け止めます。この人のことは気にしないで、私の母なの。認知症で、あなたが何を言っても分からないの」
「戒めだなんて。僕らはただ、愛莉さんから預かってきたものがあるんです。あちらでお話ししましょう」
僕らは公園の中の、屋根付きの休憩場所で話しを続けた。
「愛莉さんは今遠くにいて、あなたに会うことはできません。けれど、この十年間、彼女は育ての親と共に幸せに暮らしてきました。これを……」
僕はリリアンから預かったお守りを手渡した。
「愛莉さんはずっと大事に持っていました。今の親に引き取られてから、一度も会ったことのないあなたのことを想っていたのです。しかし、それは、彼女にとっても、育ての親にとっても、複雑な思いを生んでしまった」
田中芳江さんは、僕の話しを、涙を流しながら聞いている。
「十年という節目で、育ての親が愛莉さんの気持ちを確かめたのです。あなたにとって、これからお話しすることは、酷なことですが聞いて下さい。本当の親を見つけたことを本人に伝えました。もし、本当の親と暮らしたいのなら、会わせてあげましょうと……。けれど、愛莉さんはそれを拒みました。なぜかおわかりでしょうか? あなたが憎いわけではないんです。今の母親と別れたくないのです。僕は知りました。血のつながらないあの親子は、しっかりと愛情で結ばれていることを。これはお返しします。彼女は今、とっても幸せです。そう伝えてくれと頼まれました。もう、あなたは苦しまなくていいんです」
僕が言い終わると、彼女は声を上げて泣いていた。
「愛莉ごめんなさい。ごめんなさい……」
すると、車椅子のおばあさんが突然、
「愛莉、愛莉、ああ知っているよ。私の孫だよ。どこにいるんだろうね?」
としゃべりだした。
「お孫さんは遠い国で、幸せに暮らしていますよ」
山田が言うと、
「ああ、そうかい。それはよかった。よかった」
と穏やかに笑った。僕らはその場をそっと離れた。
「なあ、これでよかったんだよな? けどよ、あの人、なんだかかわいそうだぞ」
「僕には何もしてやれない。でもね、きっとあの人の心は救われたんだと思うよ」
「そうね。女って、結構強く生きられるものよ。大丈夫」
長谷川さんが言うと、そんなものなのかもしれないと思える。
「リリアンの頼み事はこれで終わったね。あとは、カルノリッチさんにブローチを返すだけだね」
「うん。今朝、連絡してみたら、今日は暇だからいつでも会えるってさ。蓮華寺公園を散歩しているから、また電話してって」
「じゃ、僕が電話するよ」
カルノリッチさんは電話にすぐ出て、サクランボで会うことにした。
「よし、行こう」
「お久しぶりです」
「変なあいさつね。木曜日に会ったばかりじゃない」
「そうでしたね。なんだか、すごく日が経ったように感じて……。まずは、これをお返しします」
僕はブローチを手渡した。
「これ、この文様。大魔女様の印だよ。あんたたち、やっぱり魔女界に行ったんだね」
「はい。向こうの世界は、僕らの常識を超えるものでした。とってもスリリングで不思議な世界です」
「そうでしょう。で、どんなことが起こったの? あたしに教えてよ」
僕らの経験したことを、事細かに話して聞かせた。
「そうか~。魔法、あたしも使ってみたかったな。ねえ、それで、魔法界は変わったんだね。みんなが幸せになったんだね?」
「はい」
「俺の魔法見せてやりたかったぜ。超かっこよかったんだからな」
お花を出すところとかね。その取り合わせがミスマッチングで面白かったよ。
「そうだね」
「あーあ。残念だねぇ」
カルノリッチさんは、魔法が見られなかったことを、心の底から悔しがっているようだ。
「私だって、行きたかったのに……。置いてけぼりを食わされちゃったのよ。本当に悔しいわ」
長谷川さんはちょっとむくれている。カルノリッチさんと別れて、サクランボを出た。
「さあ、今日はもう解散だ」
「腹が減ったな」
「僕、家に帰ったら、この出来事を書くよ」
山田は物語を書くのが好きなのだ。だから、ミッションが終わると、彼はそれを書き残す。
「なんだか、あっけないわね」
長谷川さんにとってはそうだろう。何もないまま幕切れになったのだから。
僕は青い空を見上げた。新しい魔法界の空も、こんなふうに青かった……。
三っ池の魔女~藤ヶ丘少年団~ 白兎 @hakuto-i
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