第17話
「僕もそう思うよ、リリアン」
今の彼女に、城の修復は必要ではないだろう。彼女にしかできないことをやればいい。彼女が今やるべきことは……。
「大魔女様のところへ戻ろう」
大魔女の部屋へ戻ると、彼女は窓の外を眺めていた。
「大魔女様」
リリアンが言うと、彼女は振り返り、
「このときが来てしまいましたね。あなたは、彼らと共に、人間界に帰らなければなりません」
そう言った。
「どうしてですか? リリアンがそれを望んでいないことを、あなたは分かっているのでしょう?」
僕が言うと、大魔女は、
「それを、あなたに説明する必要はありません」
と返してきた。
「それなら、あたしにその理由を教えてください。なぜ、人間界に行かなければならないのですか?」
「あなたの母親を見つけたのです。今でもあなたのことを忘れてはいません。彼女はとても不幸です。あなたがそばにいてあげなければならないのです」
「あたしはそんな人は知りません。そばにいてもその人を幸せになんてできません」
「そんなことはない! あなたの本当の母親なのですよ」
大魔女は、だんだん感情的になってきた。
「大魔女様。あなたの気持ちはどうなのです? このまま、本当にリリアンを手放していいのですか? あなたは不幸にはならないのですか? 人間界では生みの親と育ての親が違うというケースもあります。あなたはリリアンの育ての親なのですよ。これからもリリアンをわが子として育てていくことは、あなたの義務でもあります。本当の気持ちを抑えてまで、リリアンを人間界に送り返す必要はないと思います」
僕は何とか、この二人に幸せになってほしかった。何が正しいとか、間違っているとかじゃない。血のつながりもない、魔女と人間が親子でもいいじゃないか。僕はそう思った。
「リリアン、あなたはここに残りたいのですか? このチャンスを逃したら、もう二度と、人間界に行くことはできないのですよ。本当の母親に会えなくなってしまうのですよ。それでもいいのですか?」
「ええ、あたしはここにいたいのです。知らない世界になんて行きたくはないわ」
「分かりました。人間の子供たちよ。あそこを御覧なさい。見えるでしょう、あなたたちにも」
僕はそう言われて、窓の外を見た。空の一部が歪んでいる。空間にひずみが生じているのだ。
「はい、見えます。あれが僕らの世界と、こちらの世界を結ぶ、時空の裂け目ですね」
「ええ、用意はいいですね」
大魔女に言われて、僕は、あることを思いだした。
「大魔女様。僕は、ある人に頼まれたことがあります」
「何かしら?」
「魔女界では二百年の時が流れましたが、莉子という人をご存じでしょうか?」
僕がそう言うと、タンスの中からワンピースが突然飛び出してきて、
「ええ、知っているわ。莉子を知っているのね?」
としゃべりだした。
「あなたは、ロンダですね」
僕に話しかけられたワンピースは、大魔女の陰に隠れてしまった。
「ほほっ。怖がらなくともよい。この子は莉子からメッセージを預かってきたようです。そうですね?」
「はい。もし僕らが、魔女界に行くことができたなら、莉子は元気ですと、伝えてほしいと言っていました。これを……」
僕は、元はしずく型のブローチで、魔法スティックに変わってしまったものを見せた。
「分かっていました。元に戻しましょうね」
大魔女が魔法をかけると、魔法スティックは元のブローチになった。
「まあ、これは私のだわ。莉子にあげたのよ。どうしてあなたが持っているのよ」
「莉子さんは、これを持っていれば、魔女たちに会えるかもしれないと言って、貸してくれたんです。人間界に戻ったら、これは、莉子さんにお返ししますよ」
「それならいいわ。莉子に会いたかったのに。どうしてあの子は、ここへ来なかったの?」
「それは無理というものですよ。莉子はもう、あなたが知っている莉子ではないのですから」
「何だか寂しいわ……」
ロンダが本当に寂しそうにしているのが分かった。ただの服なのに不思議だ。
「仕方ないのさ。人間界に戻ったら莉子に伝えておくれ。わたしたちも相変わらずだってことをね」
ベッドのパーラが言った。
「莉子は私のことも、あなたに話したかしら?」
タンスのジェイミーが言った。
「はい、聞きましたよ。タンスのジェイミーさん。サイドテーブルのスーリーさんに、ベッドのパーラさん。そして、ワンピースのロンダさん。皆さんのことを鮮明に覚えていましたよ」
僕がそう言うと、ジェイミーはとてもうれしそうにした。それが大魔女の魔法のおかげであることは伏せておくとしよう。
「ヨシダ、そのブローチにわたくしの印を残しましょう」
大魔女はそう言って、しずく型のブローチにある文様を刻んだ。
「さあ、お別れの時間です」
そう言って、大魔女は三つの鈴を鳴らした。すると、キッチョリーナ、ミリィ、サブリナの三人が姿を現した。僕らはベテラン魔女たちのほうきに乗せられ、時空の裂け目の前に来た。
「人間の子らよ、我らの世界を救ってくれたこと、心より感謝申し上げる」
大魔女は、僕らに向かってそう言うと、深々と頭を下げた。
「ヨシダ、ありがとう。そして、さようなら。あたしはここへ残ることに決めたわ。本当の母親のことは気になるけれど、もしあなたが、あたしの生みの母に会うことがあったなら、これを渡して、あたしは幸せに暮らしていますと伝えてほしい」
リリアンはそう言って、僕にお守りを渡した。
「うん。分かったよ。君の母親を探して、きっと渡すよ」
「ヤマダ、あなた、魔法のセンスがあるわ。ここへ残ればいいのに。ほうきたちも、あなたが帰ってしまうのを寂しがっていたわ」
山田はちょっと困ったような顔をして、
「僕の帰る場所は向こうにあるんだ」
と言った。
「リリアン、俺にも何か言うことねぇの?」
内野が言うと、
「特にないわ」
とあっさり言われ、がっかりしている。
「うそよ。ウチノ、ありがとう。意外と頼りになったわ」
リリアンはそう言って、内野を抱きしめ、頬にキスをした。あまりに唐突すぎて、内野は目をまん丸にして硬直している。
「お別れがすんだようですから、トンネルを開きます」
大魔女が、魔法スティックで円を描くと、そこに黒い渦ができた。そして、真っ暗なトンネルが向こうの世界とつながった。
「ここへ飛び込みなさい。危険はありません」
ここへ来て、そんな無茶苦茶なことを言うなんて……。
「人間たちよ、待ちなさい」
突然響いたその声は、大魔法使いだった。彼は三人の魔法使いと、双子の老魔法使い、老魔女を連れていた。
「私たちも、あなた方にお礼と、お別れの言葉を述べたい。あなた方にはとても感謝している。そして、永遠にさらばだ」
「わしらも、お前たちに会えてよかった。ヨシダ、人間界に戻っても、忘れてはならないぞ。想像することは大事なことだ」
「そうね。ジュリアーノの言うとおりよ。私たちはあなたのことを忘れない。とてもいい出会いだったわ。さようなら」
「お世話になりました」
見送ってくれたすべての者に、僕は感謝の意を込めてお辞儀をした。
「行くがよい」
大魔法使いが、僕ら三人を白い繭にくるんで、そのままトンネルへ飛ばした。あっという間の出来事だった。
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