第16話
「まあ、大変。もう、こんな時間。ここでは給食があるの。大魔女様の魔法で料理を出すのとは違って、ちゃんと調理をするのよ。調理場へ急がなくちゃ。さあ、あなたたちも手伝うのよ」
「ええー! 俺ら料理なんてできねぇよ」
僕には今からの手伝いよりも、気にかかることが一つあった。
「なあ、山田。お前、力の解放をしてもらう前に、魔法が使えていたよな?」
「うん。そうだね」
「どうして、そんなことができたんだよ」
「あら、今さら? もしかして気づいていなかったの? ヤマダは力の目覚めの段階よ。だって、最初から、彼には心の殻なんてなかったんですもの」
「なんだって?」
「なるほど」
内野は分かったような顔をしている。僕もそう言われてみて、納得がいった。山田の精神面は僕らとは違う。そのことに、今さらながら気づかされた。
「ところで、力の目覚めって何?」
「それは言葉のとおり、力が目覚めるの。解放は解き放つことでしょ? それだけでは魔法を正確には使えない。あなたたちに、それが分かるようになるまでは、まだ時間がかかるわ。それより、調理場へ急がなくちゃ」
調理場に着くと、
「そこにあるエプロンをつけて、手を洗ってちょうだい」
リリアンはそう言って、手際よく作業を始めた。調理場にいるのは僕らだけ。
「ねえ、もしかして、いつも君一人で作っているの?」
「そうだけど……」
広い調理場で、包丁が野菜を切る、小気味良い音が響いた。誰が切っているのか? もちろん、包丁だけが宙を浮いている。リリアンは見習いとはいっても魔女だ、それくらいのことはできるのだ。
「そっか、君には魔法があるんだよね」
「ヨシダ、口を動かさずに、手を動かすのよ」
リリアンに、ピシャリと言われた。どこかで聞いたせりふだ。僕はまごついた手で、野菜を鍋に入れていると、山田は、慣れた手つきで魚をさばいている。内野はというと、肉の塊と悪戦苦闘している。
「おい、この包丁、切れねぇぞ」
ごっつい手に握られた包丁が、その手からするりと抜けると、
「まあ、失礼だわ」
と言って、内野の顔の前で、ブンブン空を切った。
「あぶねぇ!」
「あなたの方がよっぽど危なっかしいわ。そこで見ていなさい」
包丁はそう言って、肉の塊を切り始めた。
「さあ、急いで。時間は待ってくれないわ」
リリアンは自分の手を使い、魔法を使い、テキパキと器用に調理していく。料理がこんなに手間がかかり、めんどくさいものだなんて思わなかった。調理が終わって、ほっとしたのもつかの間。次の仕事を言いつけられた。
「まだ終わってないのよ。これをワゴンに乗せて、食堂に運んでちょうだい。そこの扉の向こうが食堂よ」
すべての仕事を終えると、僕らも生徒たちと一緒に席に着いた。料理の味はまあまあだ。食べたあとはもちろん片付けもやらなければならないだろう。
「さあ、あとは片づけよ」
リリアンが言うと、テーブルに並んでいた食器が、一斉に飛び、そのまま調理場の流しへと直行した。それはリリアンの魔法だ。流しの水で、食器をジャブジャブ洗い、スポンジがキュッキュッと、こする。まるでそこに透明人間がいるみたいだ。
「あなたたちはテーブルを拭いたり、調理器具を片付けたり、まだやることは山ほどあるの。しっかり働きなさい」
彼女はとんでもなく、人使いの荒い人だ。
「終わったわね」
リリアンは時計を見ると、
「午後の授業は終わってしまったみたい。とにかく、ケーシュリー先生のところへ行きましょう」
と言って、調理場を出て、廊下を歩きだした。廊下の窓の位置がさっきと違う。この城は本当に不思議だ。そう思い、外を見ていると、光る珠がこちらに向かって飛んできている。
「あれ何?」
僕が言うと、リリアンは、窓の外を見るなり、
「危ない! 伏せて」
彼女は僕らの前に立ちはだかり、スティックを振るった。スティックの先から光がほとばしり、飛んできた光に向かって弧を描いて落ちた。リリアンの魔法は届かなかったのだ。別の方向から光の線が空を走るように、まっすぐ飛んできて、光の珠に突き刺さった。そのとき、爆風と共に強い光が一面に広がった。僕には何が起こったのか分からなかった。
「敵の襲撃よ」
「敵って?」
「決まっているじゃない。魔法使いよ」
「どうして、俺らに攻撃を?」
「分からない? あなたたちが人間だからよ。魔法使いたちは、この世界を征服するつもりなのよ」
「そんなこと、意味ないよ」
「あなたに意味がなくても、彼らにはあるの。人間の考え方では、この世界のことは理解できないわ。それに、あなたたちはまだ幼い。難しいことは理解しなくてもいいの」
リリアンに言われると、何だか釈然としない。
「あなたたち、何をしているの。早くこっちにいらっしゃい。もうみんな避難しているのですよ」
僕らのもとに駆けつけてきたのは、ケーシュリー先生だった。
「とうとう、仕掛けてきましたね。これから魔法使いと戦うのですね。それなら、あたしも一緒に戦います」
「何を馬鹿なことを言っているのですか! あなたに何ができる言うのです。とにかく避難しなさい。あなたたちもリリアンと一緒に逃げるのです」
「できません。この攻撃は僕らのせいでしょう?」
「とにかく、今はそんなことより逃げるのです。リリアン行きなさい」
「先生は?」
「私のことは心配いりません。私を誰だと思っているのですか?」
ケーシュリー先生はそう言うと、ほうきに乗って外へ飛び出した。外はもうすでに魔女たちが、応戦している。激しい光と爆音の中、両者が互角に戦っている。しかし、こちらには子供たちがいる。ときどき、学校に向かって光の珠が飛んでくる。それを魔女がすんでのところで、何とか食い止めている。
「学校を守らなくちゃ」
リリアンは魔女たちと共に、戦う気だ。
「僕らもやるよ。力になれれば」
「それは無理よ。足手まといだわ」
「言ってくれるじゃないか」
内野は闘争心を燃やしたらしく、腕をまくって、素手でも戦う勢いだ。
僕らはひとまず、学校の中の一番安全と言われているエリアに向かった。そこは大魔女の魔法でバリアが張られている。ドーム型の天井は透明で、空一面を見ることができた。ここからは外で起こっている事態がよく見えるのだ。
「なんて恐ろしいことなのでしょう。魔法使いは野蛮で、秩序を持たないのですね」
アリスは憎しみを込めて言った。
「本当に怖いわ」
ルーシー・Kは怯えているようだ。
「見て! 大魔女様よ」
生徒の一人が声を上げた。空を滑るように現れた大魔女は、スティックを振るい、すべての魔法使いをなぎ払った。その力は今までの戦いが、まるで無意味なくらい圧倒的に強かった。
「やったわ!」
「決着がついたわね」
アリスがぽつりと言うと、
「いや、そうでもないよ。見てごらん。空の向こうを」
山田は冷静に言った。本格的な戦いが、今始まろうとしていた。
「あれは、大魔法使い」
大御所の登場だ。大魔女対大魔法使い、この対決は避けられないのだろうか?
『いけない。二人を戦わせてはならない』
ジュリアーノの声が突然、僕の頭の中に響いた。
「ジュリアーノさん? どうして僕にそんなことを言うの?」
『お前じゃから言うのだ。よく聞け。今、大魔女の力を見たであろう。今まであの二人が戦わずしてきたのは、あの力があるからじゃ。強大な二つの力がぶつかり合えば、この世界は滅ぶであろう……』
その声は、そこで途絶えた。再び僕が外に目を向けると、互いに牽制しあう二人が動かずにいた。
「大魔女様! 戦ってはいけません。それはあなたがよくご存じのはずです」
僕はそう言って、外に飛び出そうとした。
「いってはだめ! あなたは何の役にも立たないわ」
リリアンは僕をつかまえて言った。
「あなたはただの人間よ。何を考えているの?」
「そうさ、僕はただの人間。だからこそ、この世界では重要な役目を果たせる。大魔女様はそう言ったんだ。僕にはまだ、その意味が分からない。けれど、僕は僕らしく行動するべきなんだ。僕はこの戦いを止める」
僕は真剣だった。リリアンはそれに気づき、
「あなた、覚悟はできているのね」
と言って、僕をつかまえていた手を放した。内野と山田を見ると、彼らもそのつもりらしい、
「リリアン。僕たちがこの戦いを止めてみせるよ」
山田はそう言って、小枝の魔法スティックを取り出した。そして、彼はそれに念を込めるように見つめ、
「僕に力を!」
と言った。すると、小枝は立派な魔法スティックに変わった。
「やるじゃないか。そんなら俺も」
内野は何を思ったのか、髪の毛を一本抜くと、
「魔法スティックに変われ!」
と叫んだ。まさかと思ったが、それもまた、立派な魔法スティックに変わった。
「それじゃ、行くぜ」
内野は先頭きって、外へ飛び出そうと欄干に足をかけた。ここは二階で欄干の下は何もないから、空を飛ばなければならない。そこへ魔法のほうきが飛んできた。
「あたしが必要でしょ。早く乗って」
「気が合うじゃないか」
内野はそう言って、ほうきに乗り、一直線に飛んだ。
「僕も行くよ」
山田もそのあとに来たほうきに乗って、飛んで行った。
「驚いたな。内野まで魔法スティックを出すなんて……」
「ヨシダ、何をぐずぐずしているの。あたしも行くわよ」
リリアンも、そう言って外へ飛び出すと、すかさずほうきが彼女の身体をすくい上げた。
「決心するのが遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ」
リリアンのほうきは、欄干の下で待ち構えていたようだ。
「ねぇ、あなたはまだ?」
ほうきはもう一本いて、僕を待っていた。
「行きたいのはやまやまだけれど、僕には魔法スティックを出す方法が分からないんだ」
「まあ、方法なんてないわ。分からないの? ただあなたが強く念じればいいのよ」
そうか、僕には信じる心と、強い思いが足りないんだ。すると、いつの間にか、僕の手には、あのしずく型のブローチが握られていた。
「これは……」
僕はそれに、魔法スティックに変われと念じた。たちまちブローチから、まばゆい光が放たれて、一瞬のうちに光がおさまり、そこには立派な魔法スティックがあった。
「ほら、できるじゃない。さあ、これで行けるでしょ。早く乗って」
僕はほうきに飛び乗り、仲間のもとへと向かった。一度はなぎ払われた魔法使いたちも体制を整え、魔女たちに攻撃している。激しい魔法戦争の中、大魔女と大魔法使いだけは、まるで違う空間にいるようだ。二人の周りは、すべてのものが避けて通る。けれどその空間は、穏やかではなかった。ピリピリと張りつめた空気が、何者も寄せ付けないといった感じだ。
「もうやめて!」
リリアンは魔法使いと、魔女たちの戦いを必死で止めようとしている。山田は、魔法の衝撃波をすべて花火に変えている。内野はそれらをあめ玉に変えた。僕はというと……。
「あんた、なにしているのさ。しっかりしてよ」
ほうきに叱咤されて、我に返った。目の前で起きていることに、僕はどうすればいいのか考えていた。でも、ここでは考えてもダメなんだ。彼らのように行動しなければいけない。僕はこの戦いの核となっている二人の間に入ろうとした。しかし、二人の周りにある見えないバリアに弾き飛ばされた。
「気をつけろよ。一人じゃムリだ。お前には俺らがいるじゃないか」
内野が僕の身体を受け止め、そのとなりには山田もいた。
「そうだよ。僕たちがいる」
「あたしのこと、忘れてない?」
リリアンも協力してくれるようだ。僕ら四人は、大魔女と、大魔法使いのいる、球状のバリアへと手をかざした。
「いい? 分かっているわよね。集中して」
僕らは念じた。そして、事は起きた。激しい稲妻のような光が僕らの手から放たれ、それはバリアを、徐々にはがしていった。それに気づいた大魔女は僕らを見た。その瞬間、大きな衝撃波が大魔女を吹き飛ばし、その波動がバリアを内側から破壊した。リリアンは素早く、大魔女に駆け寄り彼女の身体をとらえた。一瞬、気を失いかけた大魔女が、気を取り戻し、体制を整え、大魔法使いに向かって衝撃波を放った。とうとう始まってしまった。二人の戦いが。
『困った二人だね。そろそろ、私たちの出番が来たようだよ、ジュリアーノ』
その声は僕の頭の中に響いた。おばあさん魔女のジュリアンヌ。僕らの前に、彼女は急に姿を現した。それは本当に突然だった。
「ジュリアンヌさん。この二人を止められるの?」
「まさか。二人を止めることができる者は、この世界を創った神だけよ。けれど、私は神を信用していない。なぜなら、神は荒々しいもので、われわれの理解を超える存在だからね。何を考えているのか分からない。何をするのかもね。現に、ここで起こっていることは、神が仕掛けたことなのよ。そのことを大魔女様はご存じなの。けれど、この事態は避けられないことなの。ただ、あなたたちのように、別の世界から来た者には、この世界の理屈を覆すことができるの」
ジュリアンヌはそう言って言葉を切った。それから、
「大魔女様、いえ、ジョアンナもうお止めなさい!」
と大魔女に向かって言った。
「ウィルバート、止めるんだ!」
いつの間にか、ジュリアーノも大魔法使いの後ろに現れていて、魔法スティックを向けていた。
「双子か……。われわれを止めることはできない。ジョアンナは我にひれ伏す者。我がこの世界の覇者なのだ」
大魔法使いの声は低く響き、まるで地の底から聞こえているのかと思うほど、それは威圧的で、身体の産毛がゾワゾワと逆立つような感覚があった。
「あなたは変わってしまった……」
大魔女は悲しそうに言った。変わった? 僕には大魔法使いがどう変わったのかよく分からなかった。
「神……。もしかしたら、この声は神の声かもしれない。僕がこの世界に来てから、ずっと聞いていた声に似ている。僕に、この世界から出ていくように脅迫してきた。この世界から出て行かなかったら、命の保証はないとね」
「山田、そんなこと、僕に言ってくれなかったじゃないか」
「うん、ごめん。その声は僕にしか聞こえていないだろうし、僕たち人間を恐れているのを感じたんだ。だから、僕はその声に屈することはなかったし、怖くもなかった。吉田に相談してもよかったけれど、君が不安定なのを感じていたからね、そのときに言うべきじゃなかったんだ」
「そうか」
僕は彼の心の深さを感じた。
「なんだ? どういう意味なんだ?」
内野はまだ、理解できていないようだ。ここにいる大魔法使いは、神に憑かれているようだ。そう思ったそのとき、僕のすぐ横で何かが爆発した。
「大丈夫かね? 危ないところだったよ」
キッチョリーナがほうきに乗って、攻撃をかわしながら言った。気がつくと、僕らの周りでも激しい戦いが繰り広げられていた。
「神が相手じゃ、われわれは歯が立たないじゃろう。しかし、引き下がれはしない。神はわしのことをよく知ってる。ここで命果てる運命なのかもしれない」
ジュリアーノがぼそりと言った。
「そんなことはさせません。あなた方双子はわたくしと、ウィルバートにとって、かけがえのない存在なのです。わたくしの命に代えても守ります。そして、ウィルバート、あなたを取り戻します」
大魔女は魔法スティックで、大きく円を描くと、そこには不思議な模様が浮き出た。魔法陣だ。呪文を唱えると、光の蛇が出てきて、大魔法使いに絡みつき縛り上げていった。
「ははははっ。この程度の魔法で、この私を倒せると思っているのか」
神は言った。
「お前とは話す価値もない。ウィルバートを返しなさい」
大魔女が言った。
「お前ごときが何を言う。ウィルバートは我の一部、そして、お前もそうだ。我に返るがよい」
「お前など怖くない」
「我は神なり」
「この世界はお前のものではない。わたくしも、ウィルバートもお前のものではない」
「神を冒涜する者よ。消えるがよい!」
神は怒りをあらわにし、荒くれた。神の怒りは風を生み、雨を降らせ、雷を轟かせた。魔法使いたちも、魔女たちも戦いどころではない。ひとまず休戦し、おのおのが自分を守る魔法をほどこした。もちろん僕らなんて、自分で身を守ることもできない。ジュリアーノと、ジュリアンヌがバリアをつくり、その中にいる。大魔女はさらに呪文を唱え、何やら大仕掛けの魔法を使うようだ。魔法陣は倍の大きさになり、光を放ち始めた。そして、それはグルグルと回転を始めた。するとそこから渦を巻いた風が起こり、大魔法使いを吸い込み始めた。彼もそれに対抗し、魔法陣を破壊しようとしたが、その魔法すらも、大魔女の魔法陣に吸い込まれた。勝負はこれで決まるだろうと思ったが、大魔法使いは大魔女に向かって魔法スティックを振るった。そこから、黒い光が走ると、リリアンがそれをさえぎるように立ちはだかった。黒い光はリリアンを直撃した。彼女は後ろへ勢いよく飛ばされ、大魔女がその身体を捕まえた。リリアンは色を失い、ただの黒い塊となった。
「愚かな人間よ。お前はここで果てる運命なのだ」
「なんてことを……」
黒い塊となったリリアンを強く抱きしめ、大魔女は光る大粒の涙を、その目から落とした。
「許せない!」
山田が魔法スティックを振るった。そこから飛び出した光の粒は、まっすぐ大魔法使いに向かって飛んだ。それはとても頼りない光だった。しかし、神にとっては……。
「止めろ! なんだこれは?」
大魔法使いは、恐ろしいものを振り払うかのように、両手を振り回した。
「俺の攻撃も受けてみろ!」
山田の攻撃に続いて、内野もスティックを振るった。驚いたことに、彼の魔法スティックからは、きれいな花が飛び出した。カラフルな花が風に舞うように飛んで行く。何を考えているのか、僕には理解できなかった。大魔法使いは苦しみもがいている。
「ほう、これはすばらしい」
ジュリアーノが感嘆の声を漏らした。この非常事態に……。
「ほほっ。まだ分からないのね。あなたが今やるべきこと、それがなんなのか。考えなくても、答えはほら、目の前にあるのよ。お友達を見て御覧なさい」
ジュリアンヌが言った。僕は魔法スティックを振るった。しかし、何も出てはこなかった。
「ヨシダ、お前は今何をしたい? それだけを考えるのじゃ」
僕が何をしたいか? それは……。大魔女とリリアンを見た。僕はこの二人が幸せになることが望みだ。そうか、分かったよ。
「これを食らえ!」
僕は魔法スティックを思い切り振るった。そして、そこから飛び出したものは……。
「白い鳩? いやあれは紙じゃな」
それは紙。でもただの紙じゃなかった。この世界、この物語の始まりの書かれた書物。それらの文字が薄れていく。そして、すべてが白紙に戻る。パタパタと飛ぶ書物は、大魔法使いの身体に当たると、再び文字が現れた。何が書かれたのかは分からない。しかし、物語が書き換えられていることは見て取れる。自分で出した魔法なのに、この展開には驚かされる。
「見よ。ウィルバートが戻ってきたぞ」
大魔法使いはたくさんの白い書物の鳥に囲まれると、その表情には感情が戻ってきたように、穏やかな笑みをたたえて眠った。彼の身体をやさしく包んでいるのは先ほど大魔女が出した、白く光る蛇で編まれたハンモック。魔法陣は消え、大魔女は元の姿に戻ったリリアンを抱きかかえている。白い書物の鳥が空を飛び回ると、空を覆っていた闇が、カーテンを引くかのように、サーッと引いていき、青く澄んだ美しい空が姿を現した。これがこの世界の、本来の空なのだろう。そして、黒い森は元の緑を取り戻した。すべてが絵具で塗られたように、塗り替えられてゆく。
「これが魔法界の、本来の姿よ」
「うむ。わしらの世界じゃ。何年振りじゃろうか」
ジュリアンヌと、ジュリアーノは感慨深げに言った。
「大魔女様? あたし、生きているのね? あのあと、どうなったのかしら? 大魔法使いを倒したのですか?」
リリアンが目を覚まし、そう尋ねたが、大魔女はただただリリアンを愛おしそうに抱きしめている。
「リリアン。終わったんだよ。見てごらん」
リリアンは、明るくなった世界を見回した。
「ここは魔女界なの?」
「そうだよ。正確には魔法界だよ。もう、魔女と魔法使いは対立することもないだろう」
「どういうこと? 大魔女様が勝ったのなら……」
「それは平和とは言わないよ。誰かが支配する世界だなんて」
「そうだ。『この世界に平和と秩序を』だぜ。大魔女様がいつも言ってたじゃないか。世界は一つとなる」
「終わったのじゃ……」
「そうね。世界の消滅と創世。それは繰り返される」
双子の魔法使いは、そう言い残して、姿を消した。そして、大魔法使いと魔法使いたちも、いつの間にか、いなくなっていた。
「大魔女様。終わりました」
僕の声に、彼女は虚ろな目で周囲を見回した。
「終わったのですね……」
「はい。城へ戻りましょう」
僕らは城の中の、ある部屋へと行った。
「お疲れのようだね、大魔女」
ベッドがしゃべった。莉子の言っていた大魔女のベッドだ。ということは、ここは大魔女の部屋。
そこへ、あわただしく、キッチョリーナが入ってきた。
「大魔女様、お休みになられた方がいいのでは?……」
「ええ、そうしたいのだけれど、わたくしには、やらねばならないことがあります。いろいろと……」
そう言ったが、大魔女はひざを折り、ベッドへもたれかかった。
「ムリすんなよ」
内野が、大魔女を軽々と抱き上げると、ベッドへ寝かせた。彼の体格は見せかけだけではない。運送屋を営む父の手伝いで、体を鍛えているのだ。
「さあ、これからが忙しいわよ。大魔女様がお休みになられている間に、この城の修復をしなければなりません。そのあとは……」
窓の外を見たキッチョリーナは、何を考えているのだろうか?
「リリアン、人間たちと共に、この城を元通りにしてくるのです」
「そんな! あたしにはそんな魔法は使えません」
「いいえ、それは違います。あんたが魔法を使えないのではない。魔法を使わないだけ。気づきなさい。あんたは人間。彼らも人間。あんたなら分かるでしょう?」
キッチョリーナの言葉は、とてもやさしかった。僕はそこに愛を感じた。
「分かりました」
リリアンはそう言って、僕らを引き連れて、その部屋を出た。城の外では、魔女たちが城の修復に大忙しだ。
「リリアン」
僕が声をかけると、
「分かってる」
と、ぼそりと言った。魔法が使えないのは自分のせい。それは彼女も分かっているのだ。自分が人間であることを、彼女はどう思っているのか? 嫌なのか、それとも……。
「お前はお前でいいじゃん。あんまり、がんばりすぎるなよ。人間と魔女、どこが違うんだよ。俺らだって魔法が使えるんだ。どこも変わんねぇよ」
「そうだよ。君は大魔女様にあんなにも愛されているんだもの。幸せだね。キッチョリーナさんや、ケーシュリー先生も、君のことをとても大切に思っているよ」
内野もたまにはいいことを言う。山田は恥ずかしげもなく、愛なんて言葉を口にする。僕にはまねできないな。
「分かってる」
リリアンはそう言って、僕らを振り返った。
「でも、大魔女様はあたしを人間界に帰そうとしているの。あたしを捨てた母親を探しているのよ。向こうの世界では十年経っている。あたしを生んだ母親がまだ生きていても、きっとあたしのことなんて……」
リリアンは感情的になって、声が震えた。彼女は何か持っている。手の中に握りしめている物は何だろう?
「ヨシダ、これが気になるのね? オマモリっていうの。あたしが大魔女様に拾われたとき、首から下げていたものよ」
「それ、とても大切な物だよね。見せてもらってもいい?」
「ええ」
僕はそれを手に取った。中に何かある。
「中を見たい? 紙が入っているの、人間界の言葉が書かれているわ」
「見てもいいの?」
「ええ」
紙を広げてみると、そこには名前が書かれていた。
「田中愛莉。君の本当のお母さんがつけた名前だね。大魔女様もこれを知っているんだ。君の幸せを考えているんだろう」
「幸せって何? あたしは人間界に行くことなんて、望んではいない」
「君はそのことを大魔女様に言ったの? 君の本当の気持ちを伝えたの?」
「あたしには、そんなことを言う権利はないわ」
「権利なんて関係ないよ」
「もういいの!」
リリアンはぐっと堪えている。
「あなたたち! この非常事態に何をしているのですか」
そこに現れたのは、ベテラン魔女のミリィとサブリナ。
「あの……」
「まあ、いいでしょう。あなた方には何もできないのですから」
そう言うと、彼女たちは壊れた壁を修理しながら廊下を歩いていった。
「僕、思ったんだけれど、魔法はね、必要な時に必要な魔法が使えればいい。そういう時に力が発揮できるんだ。君が魔法を使えないのは、君に必要ではないからだよ。だから、それでいいんだ」
山田の言葉はとても暖かく、声は優しくて穏やかで、聞いていて心地がいい。リリアンも気持ちが落ち着いたようだ。
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