第15話

「……吉田、起きてよ」

 山田の声? 何で僕を起こしているんだろう?

「あっ。そうか、ここは魔女界だった」

 僕は夢を見ていた。何でもない日常、いつもの友達、家族と他愛のないおしゃべりをしている夢。

「そうだよ。寝ぼけているの?」

 低血圧の山田は、朝に弱いはずなのに、今日はやけに早起きだ。異世界に来てるせいだろうか?

「ああ、頭が混乱しそうだ。どっちが夢なのか、ときどき分からなくなるよ」

 となりのベッドを見ると、静かとは言えない寝息を立てて、気持ちよさそうに寝ている内野がいた。

「おい、内野、起きるんだ」

 僕がそう言ったとき、突然部屋のドアが開けられ、

「さあ、起きなさい! あら、もう起きていたのね」

 と元気よく、リリアンが入ってきた。それを見て、思わずクスッと笑ってしまった。なつかしいな。よく麻里がこうやって、僕を起こしにきたもんだ。こちらの世界に来て、まだ二日目だというのに、もう、ホームシックだなんて情けない。

「まだ寝ている子がいるみたいね」

 リリアンは寝ている内野に近づき、

「何時だと思っているのよ。夜更かしなんかするから起きられないのよ」

 と布団を思い切り、引っぺがした。

「~ムニャ、ムニャ。もう食べられないよ」

 内野は何かを食べている夢でも見ているのだろう。

「まあ、食いしん坊ねぇ。朝よ、起きるの!」

 なかなか起きない彼に、リリアンはじれたように、魔法スティックを持ち、呪文を唱えてそれを振った。すると、スティックから光の粒がほとばしり、内野は宙を浮いた。

「おい! なんだよ」

 さすがの内野も、これにはびっくりしたようで、あわてて身体を動かした。それは、とても滑稽な姿だった。空中で四つん這いになり、、犬かきをしている。まるで熊だ。魔法が解けると、彼はベッドに落ちた。

「今日は忙しいわよ。さあ、部屋の掃除をして。道具はこれ」

 そう言ってリリアンは、ただのバケツと雑巾、それとモップを僕らに持たせた。

「なんだよ。魔法で掃除してくれないの?」

「甘ったれないで。あなたたちは魔法が使えないんだもの。当然でしょ。掃除が終わるまでここで待っててあげる」

 彼女は腕組みをして僕らを監視している。

「やるよ」

 僕らは二人に言った。

「ねえ、水はどこにあるの?」

「その窓の下をごらんなさい。水汲み場があるでしょ。そこに汲みに行くの」

 窓から下を見ると、水汲み場はこの塔のすぐ横にあった。けれど、そこに行くにはまず、この城から出なければならない。

「あそこまで汲みに行っていたら、だいぶ時間がかかるよ」

「ええ、そうね。あなた一人じゃ、この城から出ることもできないんじゃないかしら?」

「それじゃ、水拭きをやめればいいじゃん」

 内野が言うと、

「それはだめよ。あたしが許さない。水を汲みに行くのは簡単よ。その窓から下に下りればいいの」

 とリリアンが有無を言わさずそう言った。

「じゃ、君が行ってくれればいいじゃないか」

「あら、それって、あたしに頼んでいるの? それにしては態度が大きいわ。頼まれても行かないけれど。だって、これはあなたたちの仕事だもの」

「じゃ、僕が行くよ」

 黙って掃き掃除をしていた山田が、バケツを持って言った。

「城の外に出たいんだけれど、君が出口まで案内してくれると助かるんだけれど」

「お安い御用よ。でも、もっと簡単な方法があるわ。さっきも言ったんだけれど、この窓から下に下りるの」

 リリアンはそう言って、ほうきにまたがった。

「さあ、あたしの後ろに乗って」

 山田は、言われた通りにすると、リリアンは床を蹴って窓へと突進した。窓の扉は大きく開かれ、窓枠が膨張した。あっという間に外へ飛び出し、それから、間もなく、バケツに水をなみなみと汲んで帰ってきた。

「ありがとう」

 山田にお礼を言われると、リリアンはうれしそうだった。

「ちぇっ」

 内野はリリアンの態度の違いにむくれている。

「さあ、早く済ませてよ。食事の時間になっちゃうわ」

 僕ら三人は急かされ、監視されながら黙々と掃除をした。

「ご苦労さま。これから食事だけれど、あなたたち、ちょっとほこりっぽいわ。このままじゃ食事になんていけないじゃない」

 ひどい話だ。僕らに掃除をしろと言ったのは彼女なのに……。

「もう時間がないわ。仕方ない」

 そう言って、袖から黒い鈴を取り出して、それを振った。

「なんだね。あんたに呼び出されるなんて、心外だよ。何か困ったことでもあるのかい?」

 鈴の音を聞いて現れたのは、ベテラン魔女のキッチョリーナだった。僕はこの人苦手だな。そう思った瞬間、キッチョリーナが僕をギロリと睨んだ。心を読まれたのだ。

「すみません」

 つい謝ってしまった。内野と山田は何を謝っているのか分からず、怪訝な表情で僕を見た。

「ごめんなさい。お呼び出ししてしまって。でも、この子たち、掃除をしたら、こんなにほこりっぽいんですもの」

 リリアンがそう言うと、キッチョリーナは汚いものを見るように僕らを見た。

「まあ、しょうがないねぇ」

 キッチョリーナは魔法スティックを振るうと、呪文を唱えた。そしたら、大きな樽が現れ、その中には水が渦を巻いていた。

「まさか、この中で僕らを洗う気じゃないよね?」

「あら、よく分かったじゃないか」

 そう言うと、僕らを魔法で浮かせると、ポイポイ樽の中に放り込んだ。

「わあー」

 とんでもない人だ。僕らは渦の中でもみくちゃにされ、泡だらけになった。不思議なことに、ちゃんと息はできるし、水を誤って飲んでしまうこともなかった。グルグル回され、目が回ってきたところで、突然、僕らは床に落ちた。樽が消えたのだ。

「きれいになったじゃない」

 リリアンにそう言われて、二人を見ると、服装が変わっていて、きちんとアイロンがかかったようにピンとしていた。髪型なんかは……。

「内野……」

 思わず吹き出してしまった。自分の髪型は見えないけれど、内野なんて、昔のお坊ちゃんみたいに七三分けだ。山田のさらさらで少し長めの髪は、後ろでまとめられ、黒いリボンが結ばれていた。

「吉田、俺を見て笑っているけど、お前、相当おかしいぞ」

 自分の髪を触ってみた。

「何これ? どうなっているの?」

 髪がふわふわしている。まさか、アフロじゃないだろうな?

「鏡を見たい?」

 リリアンがそう言うと、キッチョリーナが魔法スティックを振るった。すると、そこには大きな姿見の鏡が現れた。僕ら三人はその前に立つと、唖然とした。人のことは笑えても、自分が滑稽な格好をしているのは、とても笑えるものではない。内野はお坊ちゃんスタイル。白色の襟付きシャツに、紺色の短パンをサスペンダーで吊っている。山田は紳士スタイル。黒色のタキシード。そして僕は……。

「ひどいじゃないか。これじゃどうみても道化師だ」

「あら、似合っているのに。何かご不満?」

 リリアンは笑いをこらえるように言った。

「当り前じゃないか。僕のことをからかっているの? それとも、この国じゃ、これが正装なのか!」

「冗談の通じない子だねぇ」

 キッチョリーナはそう言って、また僕に魔法をかけた。今度は中世ヨーロッパの貴族風。髪はオールバックで、とてもセンスがいいとは言えないが、これ以上何か言うと、もっとおかしな格好にさせられそうだからあきらめた。鏡に映った僕ら三人は、まるでコメディアンのようだ。

「これでいいかね? さあ、食事の時間だよ」

 キッチョリーナは、姿見を消し、そこへドアを出した。扉を開くとそこはもうあの大食堂の部屋だった。魔法とは便利なものだ。そこで気がついたことがあった。リリアンが、このベテラン魔女のような魔法を使ったところを見たことがない。そう思ったとき、リリアンが僕を振り返った。心を読まれたのだ。

「早く席に着くんだよ」

 そう言うと、キッチョリーナは、ベテラン魔女の座る上座の方へ行った。

「では、みんな揃いましたね。『魔女界に平和と秩序あらんことを願う』さあ、いただきましょう」

 例のごとく、テーブルにいっぱいの料理が並んだ。

「いっただきまーす」

 内野は、大魔女が料理に手を付けるのを確認すると、あれもこれもと、口の中に押し込んでいる。

「そんなに慌てなくても、食べ物は無くならないわ。なんて、あさましいのかしら」

 リリアンは、内野にあきれ顔だ。

「朝からよく食べるよな」

 と山田を見ると、内野とは対照的に、彼は静かにゆっくりと食べている。食事が済むと、リリアンが、

「これから、魔法学校へ行くわ。あたしの仕事があるんだけれど、今日はあなたたちにも手伝ってもらうわ。いいわよね」

と僕らに、半強制的に言った。仕事の手伝いが何であれ、魔法学校に行けるとあっては、断る理由なんてない。

「うん。いいよ」

 喜び勇んで返事をしたのは、もちろん山田だった。僕らもうなずき、了承した。

「そう、じゃ、ついてきて。でも、その前に、魔法学校では服装にうるさいの。たとえ、あたしの手伝いと言っても、その恰好はふざけすぎているわ」

 この服装は僕らに責任はない。好き好んでこんな格好をしているのでないのだから。

「キッチョリーナさん。あたし、これから魔法学校へ行くんだけれど、この子たちの服装を変えてほしいの」

「分かったよ」

 リリアンに頼まれて、キッチョリーナは魔法スティックを振るった。そのとたん、僕らの服装は魔女たちのような黒いローブと、頭には黒いとんがり帽子。帽子は中ほどで折れていてくたびれた感じに見える。

「さあ、これでいいでしょう。いってらっしゃい」

 キッチョリーナはそう言って、マントを翻した。すると、一瞬のうちに姿が消えた。

「三人とも、似合ってるじゃない」

 僕らも恰好だけは、魔法使いになった。山田はとてもうれしそうだ。リリアンが歩き始めたが、いくつもの角を曲がり、階段を上ったり下りたりで、魔法学校に着くまでに日が暮れそうだ。といっても、ここでは日が出ていないのだから、暮れることもないのだろう。

「この階段を下りると学校に庭先に出るわ」

 僕にはもうさっぱり訳が分からなかった。常識的な空間なんて、ここにはないのだろうか? 目の前にある庭は、そこにあるべきものの広さを圧倒的に超えていた。

「学校ってもしかして、ずっと向こうに見える建物じゃないだろうね?」

「あら、決まってるじゃない。あれが、魔法学校よ」

「ここからじゃ、かなり距離があると思うけれど……」

「ほうきに乗って行けば、あっという間よ。あなたたちはほうきを持っていないから歩いて行くのね。それじゃ、先に行って待っているから急いで来てよ」

 リリアンはそう言うと、ほうきに乗って行ってしまった。

「マジかよ」

 内野がそう言いながらも、リリアンを追って走った。

「おい、待ってよ」

 僕は山田を振り返りながら、内野を追いかけた。山田は余裕の表情をしている。何か考えているようだ。僕らが必死で走っていると、

「お先に」

 山田は追い越して行った。彼はほうきではなく木の棒に乗っている。スピードはそれほど速くはないし、地面すれすれではあるが、彼は魔法で飛んでいるのだ。

「あいつの空想力も、たまには役に立つことがあるんだな」

 内野が感心しきりだ。この世界ではイメージすることが大事だと、ジュリアーノが言っていた。


 ようやく、学校にたどり着くと、

「遅かったじゃない。待ちくたびれたわ。さあ、仕事を始めるわよ。ついてらっしゃい」

 リリアンと、山田が校舎の入り口に立っていた。

「そういうけど、俺ら休まず走ってきたんだぜ。ちょっと休ませてくれてもいいだろう?」

「情けないわねぇ。男でしょ。これくらいの距離を走ったくらいで音を上げるなんて……」

 地面でへたばっている僕らを、リリアンは呆れ顔で見下ろした。

「リリアン、あなた今日は遅刻ですよ。この子たちは大魔女様のところにいる人間ですね?」

 突然、声がして、校舎から出てきたのは、赤めがねをかけた、いかにもスパルタ教師という雰囲気の魔女だった。

「ケーシュリー先生。おはようございます。今日はこの子たちのお守も頼まれているので、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」

「まあ、迷惑な話ですね。あなた、自分の立場をわきまえなさい」

 赤めがねの魔女はきびすを返すと行ってしまった。

「厳しい人だね」

「おっかねぇおばさんだなぁ」

「しっ、聞こえるわよ。魔女を怒らせると怖いんだから。覚えておいて」

「ねえ、君の仕事ってどんなことをするの?」

「朝来たら、まず掃除よ。教室では授業をしているから、使っていない部屋や、廊下を掃除する。それが早く終われば、お昼までは生徒たちと一緒に授業を受けることができるの。あたし、元が人間だから、ここの子供たちのようにうまく魔法が使えないの。だから、いまでもときどき授業で魔法を教わっているのよ」

 かわいそうに、落ちこぼれってことか……。

「ちょっと、聞き捨てならないわね。言ったでしょ、聞こえるって」

 リリアンは僕の心の声を聞きつけた。

「なんだ?」

 内野はきょとんとしている。

「ねえ、早く掃除を済ませれば、僕たちも授業を受けられるの?」

「ええ、大魔女様から許可を取ってあるわ」

「じゃ、急いで終わらせようよ」

 山田が俄然、張り切りだした。何しろ、この魔法学校で魔法の勉強ができるのだから……。それにしても、この校舎は広い。いつもはリリアンが一人で掃除しているなんて、酷な話だ。たとえ魔法を使っても、一日はかかるだろう。

「さあ、これでしっかり掃除をするのよ」

 僕と内野は、掃除道具を受け取ると、ほうきで廊下を掃いた。リリアンは、ここは任せたからと言って、どこかに行ってしまった。山田は何を思ったのか、ほうきを手にすると、

「ほうきさん、僕たちはなるべく早く掃除を済ませたいんだけれど、協力してくれるかな?」

 とほうきに話しかけている。

「あら、あなた人間ね。私が人間の頼みを簡単に聞くと思うの?」

 もちろん、ほうきは当たり前のようにしゃべった。

「そんなに人間が嫌いなの?」

「私は人間に会うのはあなたが二人目よ。嫌いかどうかなんて分からないわね。でもね、あなたは魔女じゃない。あなたの言うことをきく必要はないの」

「君が嫌なら無理は言わないよ。困らせてごめんね」

 悲しそうな表所で山田が言うと、

「まあ、お掃除ぐらいならいいわよ。ほうき仲間を集めれば、あっという間に終わるわ。私、あなたみたいな人間なら、好きになれるかも」

 ほうきは何だか、うれしそうに飛んで行った。山田はほうきにも好かれるタイプらしい。

「やるじゃねぇか」

 内野に冷やかされて、山田ははにかんだ。僕らの使っていたほうきたちも、いきなり動き出し、

「あたしたちも協力するわ。早く掃除を済ませて、あなたが魔法を使うのを見たいわ」

「こいつらもかよ……」

 ほうきたちは、山田がお気に入りらしい。

「じゃ、僕らは雑巾がけでもしようか」

 水の入ったバケツから、雑巾を出して絞ると、

「痛いじゃないか。もっと優しく絞ってくれよ。あんたらは見ていればいいさ。掃除ってのはこうやるもんだ」

 雑巾までも、しゃべりだした。ここではすべての道具が意志を持っているのだろう。便利なようでやりにくい。とにかく僕らは仕事を奪われて、ただただ、見ていることしかできなかった。僕らのいる廊下をすっかりきれいにすると、リリアンがほうきに乗って戻ってきた。

「あなたたち、いつの間にこのわがままなほうきたちを手なずけたのかしら? どこもかしこも、魔法のほうきたちが掃除をしているのよ。びっくりしたわ。あとは、一番の難関が残っているの。そこはあのほうきたちも苦手な場所よ。一緒に掃除してくれるかは微妙だわ」

「難関って何? 掃除する場所のことだよね?」

「もちろんよ。あなたたちも知っている部屋」

 彼女について行くと、その先には見たことのある扉があった。

「まさか、ここって」

「そうよ。図書室」

 僕は目を疑った。大魔女の城からあんなに離れていたのに、この図書室はなぜここにあるのか?

「あなた忘れたの? ここは大魔女様の城の中。図書室がここにあってもおかしくないわ」

 すべてがつながっているということか。

「ここの掃除がどうして難関なの?」

「それは、掃除を始めれば分かるわよ」

 彼女はそう言って、扉を開けて中へ入っていった。そして、袖をまくり、長いスカートの端を結んだ。

「おやまあ、リリアン。毎日懲りずによく来るよ」

「当り前じゃない。この部屋のほこりを御覧なさい。あなたたちが掃除をさせてくれないから、こんなになっちゃったのよ。今日こそは掃除させてもらいますからね」

 気合十分で、リリアンは本たちを容赦なくはたき始めた。すると、本たちが棚から飛び出し、彼女に向かってぶつかってきた。

「痛い! 掃除するのはあなたたちのためなのよ」

「うるさいねぇ。あたしゃ、ほこりっぽいのが好きなんだ。このままでいいと言っているじゃないか」

「あたしだって、言ってるじゃない。これはあたしの仕事なの。仕事をきちんとやらないと、あたしが叱られるの」

 とうとう、喧嘩が始まった。

「まあまあ、落ち着いて」

 仲裁に入ったのが悪かった。本たちの攻撃は、止むどころかヒートアップした。

「人間のくせに」

 僕らは総攻撃に遭って、図書室から退散せざる終えなかった。扉をしっかり閉めると、バタバタと、本が扉にぶつかる音がした。それから、ぶつぶつと文句を言って、静かになった。

「あー、びっくりした。何であんなに怒るのさ」

「知らないわ。あたしを困らせるのが好きなのよ、きっと」

「そうかもしれないね。本たち楽しそうだったよ。君のことが好きなんだよ」

 山田の解釈は僕らとは違うようだ。あんなわがままな本たちのことなんて、僕は理解できない。

「まさか、あたしが人間だからって、意地悪をしているのよ。本当に困った本たちだわ」

「図書室の掃除ができなかったら、俺ら、授業を受けられないんだろ?」

「いいえ、ここは掃除ができなくてもいいの。さあ、行きましょう。二時限目が始まるわ」

 いよいよ、魔法学校の授業が受けられる。

「ワクワクするよ。魔法を本格的に教わることができるんだもの」

 山田は目を輝かせている。リリアンについて行くと、子供たちの話し声が聞こえてきた。廊下の角を曲がったら、そこには黒いローブを着た子供たちがいた。彼女たちは僕らを見つけると、

「見て! 人間の子よ」

 と声を上げて、ざわめいた。そこには一人の魔女がいた。さっきの人だ。

「さあ、静かに!」

 と赤めがねの魔女は生徒たちに言ってから、僕らに向かって、

「あなたたちも、ぐずぐずしない!」

 とピシャリと言った。

「さあ、授業が始まるわよ」

 リリアンはうれしそうだ。教室の座席はひな壇のようになっていた。僕らはその一番後ろの席に着いた。生徒たちは無遠慮な感じで、僕らを振り返る。

「みなさん、彼らのことが気になるようですから、先に紹介しておきますよ。右から、ヨシダ、ウチノ、ヤマダです。知っての通り、彼らは人間です。今日からしばらく、ここで、あなたたちと共に勉強します。仲良くするように」

 赤めがねがそう言って、僕らのことを紹介した。

「ヨシダ、私の名前は赤めがねではありません。ウチノ、おっかねぇおばさんとはなんですか。三人とも、教室では帽子は脱ぎましょう」

 僕らはあわてて帽子を脱いだ。赤めがね、いや、ケーシュリー先生に僕らの心を読まれた。まったく迷惑だ。そう思ったとき、みんなに睨まれた。ここにいる子たちも、心を読むことができるのだろう。

「まあ、よろしいでしょう。さあ、皆さんこちらを向きましょう。授業を始めますよ。昨日の宿題はやってきましたね。ちゃんとできたか見に行きますよ。机の上に出しなさい」

 宿題が何なのか、僕らには分からない。前の席の子が机の上に出している物は、丸い水晶のような珠だった。

「リリアンあれは何?」

「水晶よ。昨日の宿題は、水を水晶に変える魔法。授業中にできなかった子は宿題でやってこなければならないの。リリアンは服の袖からそれを出した。丸いガラスのような物の中で、水がチャプチャプとしている。

「失敗だわ。なかなか難しいの」

 ケーシュリー先生が、僕らのところまでやってきて、

「まあ、リリアン……」

 そう言って、言葉を切ってから、

「あともう一息だわ。地道に頑張るのですよ。そうすればきっと、きっと立派な魔女になれます」

 肩を落としているリリアンを励ました。

「はい」

 リリアンは顔を上げて、微笑んだ。

「さあ、皆さん、よくできました。その水晶を使って、離れた場所を見ることができます。水晶のクッションを持ってきましたか? その上に水晶を置きましょう。まずはあなた方の身近な場所を見てみましょう。さあ、どこを見たいかしら?」

「はい!」

 手を挙げたのは、一番前の真ん中に座っている、小柄な生徒だった。ケーシュリー先生はその子の席へと行き、彼女の肩に手を置いた。

「どうぞ、アリス」

 アリスと呼ばれた少女は、

「蒼の森に棲む白いエルフを見たいです」

 とケーシュリー先生を見上げて言った。彼女は茶色のウェーブがかかった髪をしていて、きりっとした顔立ちの、利発そうな子だった。

「それのどこが身近なものです」

「そう言いますけれど、身近なものなんて、わざわざ水晶で見たいとは思いませんもの。まだわたしは、蒼の森に行ったことがないんです」

「当然です。あなた方はまだ、生まれて一年ですから、蒼の森には行かれません。未熟なあなた方が行けば、どんな危険に見舞われるか……。まあ、見るだけならいいでしょう。アリス、あなたならそれが可能かもしれませんね。念じるのです。蒼の森の方角に意識を集中しなさい」

「アリス、目を開けて御覧なさい」

「見えます」

 アリスはうれしそうに声を上げた。

「皆さん、御覧なさい。強い思いを込めて念じれば、初めての魔法でもこのように使うことは可能です。アリスよくできました」

 ケーシュリー先生は、手を叩いて褒めたたえた。ほかの生徒はそれを見て、われ先にと熱心に水晶に念を込めた。

「リリアン」

 その声に気づくと、ケーシュリー先生は僕らの目の前にいた。

「あなたはルーシー・Kに見せてもらいなさい」

 ルーシー・Kと呼ばれたのは、リリアンの隣に座っている少女。グレーのクルクルした髪に、同じグレーの瞳をしている。

「はい」

「私は黒の森のジュリアンヌおばあちゃんが映るように念じてみたの。今何しているかしら?」

 ルーシー・Kはそう言って、リリアンに向かって微笑んだ。とってもかわいい。僕がそう思ったら、彼女は僕を見て、ほほを赤くした。

「あなた、そういうことはやめなさい。風紀を乱します」

 一番前の席にいたアリスが、僕を振り返ってピシャリと言った。みんなニヤニヤしながら僕を見ている。全部まる聞こえだなんて、本当にやりにくい。

「そうでしょうね。あなた方はまず、心を読まれないようにする必要があります。そのためには、基本の魔法を身につけましょう。この授業が終わったら、あなた方には特別授業を行います。分かりましたか?」

「はい。ありがとうございます」

「では、授業を続けましょう」

 ケーシュリー先生は、一人ひとりの水晶を見て回った。


「皆さん、よくできました。これで、この授業は終わります。次回は変化の魔法をやります」

 生徒たちが、教室を出ると、ケーシュリー先生は僕らを前の席に座らせた。

「いいですか。これは難しい魔法ではありません。この世界では、皆が生まれ持っている力ですから。こんなふうに教える必要はありません。ですが、あなた方は人間ですから、きちんと学ぶ必要があります。知ってのとおり、リリアンは人間です。これから学ぶものは読心の魔法。これを身に着けることによって、相手の読心の魔法を防ぐことができます。では、始めましょう。目を閉じて、集中してください。いいですか、自分の意識を内へと向けて、そこにあなたがいるはずです。意識の中の無意識のあなた。力はそこに封じ込められているのです。殻に閉じこもっているから、魔法が使えないのです。それを開放することが、第一段階の魔法です」

 僕は言われたとおりにしたのだけれど、言っていることを本当に理解したわけではない。僕は魔法なんて使えないだろうという気持ちがある。

「ヨシダ、あなたは頑固ですね。少し、荒いことをしますがいいですか? あなたの心の殻を私が壊しましょう」

 僕はその言葉にびっくりして目を開けた。

「ちょっと、待ってください。それって、大丈夫なんですか?」

「まあ……。少しは影響があるかもしれませんが、仕方ありません。二人はもう殻を破りましたよ」

「そんな……。まさか、内野まで」

 僕だけが魔法が使えないのは嫌だけれど、無理やり、内なる力の解放だなんて、なんか怖い。内野は何だか放心状態だ。

「吉田、僕に任せて。お前の心が頑固になっているのは僕にも見えたよ。それは警戒心からだ。目をつぶって、僕が開放するから」

 山田の言葉に従った。彼ならやれる、そう信じているから。身体がポカポカとして、心地よかった。そして、僕は初めての感覚を味わった。熱い血潮がみなぎるというのか、そんな感じで身体の中を何かが駆け巡る。それこそが力の解放だった。

「終わったよ。何か感じたでしょ」

「ああ」

 あまりの驚きで、それしか言葉が出なかった。内野も意識が戻ったようだ。

「さあ、これで、特別授業は終わりですよ」

 ケーシュリー先生はそう言うと、山田を見つめ、

「あなた、本当にただの人間ですか?」

 と彼の能力に驚いている様子だ。もしかしたら、魔法使いの回し者と思われたんじゃないかとひやひやした。先生はやることがあるからと行ってしまった。

「よかったじゃない。あなたたち、こんなことって本当に特別なのよ。でも、なんで、ケーシュリー先生が、力の解放を手伝ったのかしら?」

「どういうこと?」

「だって、あなたたちは人間よ。先生の独断で、こんな大それたことができるはずがないもの。大魔女様の指示があったのかしら?」

 そう言われてみると、その行動が疑わしい気がしてきた。大魔女の指示がなく、こんなことをしたら、僕らはこの世界の危険因子になりかねない。たとえ、大魔女の指示があったとして、僕らは魔法を身に着ける必要があるだろうか? 大魔女には何か考えがあるのだろう。それは一体……。

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