第14話
「ここにいたのだね」
物語に聞き入っていた僕らを現実に引き戻したのは……。
「キッチョリーナさん。今いいところだったのよ」
「そりゃ悪かったねぇ。ところで、今何時かしってるのかい?」
リリアンは懐中時計を服の中から取り出すと時間を確認した。
「まあ、あなた、どうして時間を教えてくれなかったのよ」
時計に文句を言った。
「さあ、分かったら早くするんだよ」
キッチョリーナはそう言って、コツコツと靴の音を鳴らして行ってしまった。
「どうしたの? 何の時間なの?」
「食事よ。時間に遅れたら大変なんだから。さあ、急ぐわよ」
そう言って、リリアンは僕の手をつかんで走り出した。僕は山田の手を、山田は内野の手をつかんだ。こうすれば迷子にはならないだろう。
「ねえ、遅れたらどうなるの?」
「もちろん、ご飯抜きよ」
それを聞いた内野は、最後尾から走り込んできて僕に並んだ。
「それは困る。俺、腹が減ってるんだ」
育ち盛りのこいつにとって、飯抜きなんて拷問に近い。必死で走っている。体力のない山田はもう足がついてこれないようだ。
「リリアン、もっとゆっくり走ってくれないかなぁ?」
「何を言っているのよ。男でしょ」
僕は、かわいそうな山田に肩を貸して、
「僕につかまって、もう少し頑張ろう」
と言ったが、僕も体力には自信がない。
「いいよ。吉田、僕を置いていってよ」
「もう、しょうがないんだから」
ふらふらの山田を見かねて、リリアンが山田に魔法をかけた。すると、山田の身体は軽くなり、まるでガスの入った風船のように浮いた。
「おっ、それいいな。俺にも魔法かけてくれよ」
「あなたは走りなさい。体力はありそうだもの」
そう言われて、内野はちょっと残念そうだ。大きな二枚扉の前に来ると、リリアンは乱れた髪を手で直してから扉を開けた。
「遅れて申し訳ありません」
彼女がそう言って、深々と頭を下げるので、僕らもそれにならった。薄暗い部屋の一番奥の大きなイスに大魔女が座っていて、大きな長いテーブルがあった。食事だと聞いていたのに、そこにはまだ何も用意されていない。そのテーブルの両サイドに魔女たちが座っている。大魔女は懐中時計を取り出し、僕らに見せた。それは変わった時計で、彼女の服のどこに入っていたのだろうと思うほどに大きなものだった。
「わたくしの時計では、今、定時刻となりました。早く席に着きなさい」
大魔女は大きな時計を懐へしまった。僕らもすすめられた席に着いたが、山田はまだ、ふわふわと浮いていた。
「あなたのこと、忘れていたわ」
リリアンが魔法を解くと、山田はうつぶせになったまま、ドタツと床へと落ちた。
「痛いなぁ」
彼はムックリと立ち上がって席に着いた。
「さあ、食事を始めますよ」
大魔女が立ち上がり、両手を広げると、部屋中にいくつものシャンデリアが浮かび、部屋を明るく照らし、テーブルの上には、これでもかというほどの量の贅沢な料理が並んだ。
「すっげー。これ全部食っていいのか?」
内野はそれを見るなり目がらんらんと輝いている。それにしても、この量の料理をすべて平らげるつもりなのだろうか?
「ええ、もちろんよ。でも待って、大魔女様のお言葉を聞くのが先よ」
リリアンはそう言って、料理に手を出しかけた内野を制した。
「魔女界に平和と秩序あらんことを願う」
大魔女はそう言って、ワイングラスをかかげ目を閉じた。魔女たちはそれにならってワイングラスをかかげた。僕らもあわてて目の前にあるワイングラスを持ち、同じようにかかげた。そのとき、グラスのチーンッとなる音がした。見ていた限りでは、誰のグラスも触れ合ってはいなかった。大魔女が先に料理に手をつけたことを確認すると、ほかの魔女たちも食事を始めた。
「めんどくせー儀式だなぁ」
内野はぼそりと言った。けれど僕はそうは思わなかった。日本でも食べる前には、いただきますと言うし、キリスト教徒は神に感謝の言葉を述べるのだ。内野は口いっぱいに食べ物を詰め込んでいる。不思議なことに、食べても食べても減らない。皿の底から食べ物がわいているかのようだ。僕のおなかはもう限界だった。それなのに、目の前にある料理は出てきたときと変わらず山盛りだ。大魔女の魔法なのだろう。
「人間の子供たちよ、食事はいかがだったかしら?」
「はい、とてもおいしくいただきました。もう満腹です」
僕はそう答えたあと、内野を見やった。まさか、まだ物足りないなんてことはないだろうな?
「俺もこれ以上は食えねぇ」
さすがの内野もギブアップのようだ。全部食べる勢いだったのだが、食べても減らないのだから無理もない。食べ過ぎてパンパンになった腹を抱えて苦しそうだ。山田は黙々と食べていたが、腹八分目というのをわきまえている。というより、彼の場合は、僕から見ても小食なのだ。育ち盛りなのに、たくさん食べないから、あんなふうにひょろっこいのだ。
「そうですか。満足していただけて良かったです。ではみなさん、あいさつを」
大魔女が言うと、みんなスティックを持った手をかかげ、
「魔法よ永遠なれ」
と言った。僕らはスティックを持っていなかったが、何も持っていない手を同じようにかかげた。すると、テーブルに載っていた全ての物が一瞬のうちに消えてなくなった。魔法とは便利なものだ。
「さあ、もうお子様は寝る時間よ」
リリアンは部屋を出るなりそう言った。
「まだそんな時間じゃないだろう」
「あら、あなた、この世界の時間が分かるの? 魔女界では時間を守ることは重要よ。だから、みんな時計を持っているの。時計を持たなければ時間を知ることはできないわ。私の時計を見て、あなたは今が何の時間か分かるかしら?」
リリアンに見せられた時計は大魔女が僕ら見せたものとはだいぶ違う。
「気がついたようね。そう、大魔女様の時計とは違うわ。誰一人として、同じものは持っていないの。あなたたちの世界では、どうやって時間を現すのかしらないれど、この世界では、時間の表し方も人それぞれよ。文字だったり、絵だったり、暗号のようなものだったりするの。私のは、見ての通り絵よ。誰が見ても分かりやすいでしょう」
そう言われてよく見ると、それは三人がベッドで寝ている姿だった。
「何で僕らの絵が出ているの?」
「決まってるじゃない。これは魔法の時計よ。時間を表す絵は、私の都合で変わるのよ」
「ちぇ、そんなのずるいぜ。俺らはまだ寝る気なんてねぇよ。城の探検がまだ済んでねぇしな」
「ここは、あなたたちの世界じゃないのよ。ここでのルールを守ってよ」
「分かっているよ。ここでのルールにはなるべく従う。けれど、今のは君のルールだろ? もう少し、城の中を見て回りたいんだけど……」
リリアンは腕組みをして、少し考えてから、
「いいわよ。少しだけなら。でも、ここは魔女界、分かっていると思うけど、人間のあなたたちに対して、魔女たちは好意的ではないわ」
「気を付けるよ」
「それで、どこに行きたいのかしら?」
「どこと言われても、この城の中については全く知らないからね。君のお勧めの場所とかないの?」
「ないわ。あっても案内できない」
「それじゃ……。探検はまた明日にして、魔法を教えてくれない?」
山田はどうしても魔法を使ってみたいらしい。
「それも無理。あたしは誰かに魔法を教える立場にないから。この世界の掟。魔法を教えることのできる人には条件があるの」
「それじゃ、もう一度、図書室に連れて行ってよ。君が魔法を習うときに最初に手にしたという赤い本を読んでみたいんだ」
「分かったわ。今度は迷子にならないでね」
リリアンはそう言って歩きだした。廊下を歩いていると、外では魔女がほうきに乗って飛んでいる。さっきよりも外は暗くて何だか不気味だ。
「ねえ、外にいる魔女は何をしているの?」
「その質問には答えられないわ」
「魔女って、普段何をしているの?」
「いろいろよ」
「ねえ、魔女って……」
執拗な山田の質問に、リリアンはうんざりしたように、
「あなたねぇ、なんでそんなにいろいろと聞いて来るのよ。それを知ったところで、あなたに何の得があるの? どうして知りたがるの?」
と山田を振り返り、腕組みをして渋い顔をした。山田はリリアンが何で迷惑そうにしているのか分からず、きょとんとしている。
「まあ、落ち着けよ。こいつは好奇心が強いんだ。何でも知りたがる。特に人間界にはないものに興味があるんだ」
内野はマイペースな山田の代わりに、彼の言動に悪意がないことを説明した。
「よく分からないわ。人間って、おかしな生き物ね」
クルッと向きを変えると、リリアンは歩き出した。図書室につながるルートがさっきとは全く違っていた。はっきりと覚えていたわけではないけれど、図書室の前の廊下の窓が違っていたのだ。
「さあ、着いたわ」
ドアを開けると、ほこりっぽい空気が、廊下の方へと流れてきた。部屋はさっきよりもさらに暗くなっていた。
「ちょっと暗いわね」
そう言ってリリアンが、スティックを振ると、壁にある照明に灯りが灯された。
「ねえ、図書室にろうそくがあんなにあって危険じゃない?」
「あら、どうしてよ」
「だって、本に火が移ったら燃えちゃうよ」
リリアンは怪訝な表情を見せて、壁のろうそくに近づいた。
「これのどこが危険なのかしら?」
そう言って、ろうそくの火に手をかざした。
「危ない!」
僕は駆け寄り、彼女の手をつかみ、ろうそくから離した。
「熱くなかった?」
「ええ、熱くないわ。触ってみればいい。ろうそくの火が熱いなんてことはないわ」
そう言われて、恐る恐る炎に触れてみた。
「本当だ。熱くない」
「人間界の常識と、こちらの常識は違うのよ。よく覚えておくことね」
山田と内野はもうすでに、あの赤い本に見入っていた。
「分かったよ。魔法スティックを出せばいいんだね」
山田はそう言って、いきなり魔法でスティックを出そうとしていた。内野はそんな山田を見つめている。
「無理よ。人間がそんな簡単に魔法を使えるわけがないじゃない」
リリアンのそんな言葉に負けずに、山田は何とか魔法でスティックを出そうと必死だった。
「リリアン。君が魔法を使えるようになったのはどのくらい練習してからなの?」
「それはいい質問ね。あたしがこの世界に来たのは百年前。まだ赤ちゃんだった。それから十年で、今のあたしに成長したわ。そのとき、魔法を習い始めたの。魔法スティックを魔法で出すことなんてできないあたしは、大魔女様の魔法でスティックを出してもらったの。それを使って、その初等科の魔法を習得したの。それには十年かかったわ。ここには学校があってね、まだ案内していないけれど。この世界ではね、魔女たちは生命の木から生まれるの。生まれた時から、魔女は魔女の姿なの。分かるかしら? 人間は生まれたときは赤ちゃんでしょ? だけれど、魔女は赤ちゃんではないの。生まれてすぐに歩けるし、言葉もしゃべれる。ただ、そのときは未熟で、子供のような姿をしているの。ちょうどあたしや、あなたたちのように。それでも、十年もすれば、立派な大人の姿になれるわ。あたしはもともと人間だから、百年経ってもこの姿のまま。だから、ほうきにもバカにされるのよ」
「そうか、よく分かったよ。人間の僕らが魔法を使うことは難しいんだね」
「やったよ!」
そう言って、山田が高々に掲げたものは……。
「まさか、魔法スティックを出したの?」
リリアンも驚きを隠せないように声を上げた。
「あら、何これ」
山田が持っていたものをよく見ると。細い小枝だった。
「あなた、これじゃ魔法なんて使えないわよ」
リリアンは、つまらないものを見たと、がっかりした表情だ。
「そんなことはないよ。小枝だって、魔法で出すなんて、人間ではありえないことだ。すごいじゃないか」
僕は山田なら、何かやってのけそうな気がしていた。今は小枝しか出すことができなくても、きっと彼なら本物の魔法使いになれそうだ。
「よくできました。人間にしては素質がありそうね。それじゃあ、そのスティックを正しく持ちましょう。ここに描かれている持ち方の絵をよく見るのですよ」
本は次の指示へと進んだ。
「では、まず始めに、物を浮かせることを覚えましょう。ここに鳥の羽があります」
本が言うと、そこに描かれていた鳥の羽が、ふわりと浮き出て、本物の羽になった。
「いいですか。まずはスティックにあなたの念を込めてください。それから、スティックを羽に向けて、羽を浮かせるように命じてください」
山田は言われたとおりにやって見せた。すると、羽はふわりと浮かんだ。こんなに簡単に魔法が使えるなんて……。
「こら!」
本がいきなり怒り出した。その原因は内野だった。
「あっ。ばれた?」
内野が羽に向かって息を吹きかけていたのだ。
「僕は真剣にやっているんだから、じゃましないでよ」
山田はさも、迷惑そうに言った。
「ではもう一度」
本に言われて、山田が再挑戦した。しばらくたったが、何も起こらなかった。
「あきらめずに、根気よくやることが大切です。しかし、集中力というのは、そう長く続くものではありません。休憩してからやり直せばいいでしょう」
「そうですね。一つ聞いてもいいですか?」
「はい。どうぞ」
「魔法を使うとき、呪文を言わなくてもいいんですか?」
「高度な魔法を使うときには、呪文があると効果的ですが、今の時点では必要ありません。それに、あなたが呪文を使うとき、あなたの国の言葉でいいのですよ。難しいことではありません」
「ありがとうございます」
山田は納得したようだ。そしてまた、羽を浮かす魔法にとりかかった。彼の中にあった何かが払拭されたのだろう。羽に魔法がかかり、ふわりと浮かび上がった。それを、彼は自由自在に操った。
「お見事です。初等科第一章、羽をクリアしました。その次に行きますか?」
山田はそれを聞くと、手を止めて、
「はい!」
元気よく返事をした。
「あら、残念だわ。もうこんな時間。外を見てごらんなさい。真っ暗よ」
リリアンが窓の方を見ながら言った。
「それじゃ、仕方がないね。子供はもう寝る時間だよ」
本棚に収まっていた古い本が出てきてそう言った。
「いいかね、よく聞くんだよ。子供は夜が来たら寝なくちゃならない。あんたらの世界ではどうか知らないが、夜更かしする子供は命を取られるのさ」
どういう意味だろう? 本当に命を取られるのだろうか? そもそも、この世界に来て、子供と言ったらリリアンしか見たことがない。
「あら、子供はいるわ。さっき話したでしょう? 生命の木から生まれた者は、まだ子供の姿をしているって。彼らは、あっちの塔にいるのよ。学校があってね、宿舎もあるの。彼らは集団生活をしているの。あたしもかつてはそこにいたわ。でも、卒業しなくちゃならない歳になっても、なかなか魔法がうまく使えなくて、そこで十年も余分に留年したの」
「そう」
なんて言って励ましたらいいのか、言葉が見つからない。
「さあ、早く寝るんだよ。リリアンお前もまだ子供なんだから、命を取られないようにしないとね」
「分かっているわ。だから、あたしだって、この子たちに言ったのよ。もう寝る時間だって」
リリアンは子ども扱いされたことが気に障ったようにむくれた。図書室を出ると、廊下は真っ暗だった。
「ほら、こんなに暗いわ。何か起こる前に早く部屋に行かないと」
リリアンはそう言って、スティックに灯りを灯した。
「でも、ここは大魔女様の城でしょ? あの方の魔法が及んでいるなら、何かが起こるなんてことはないだろう?」
僕の質問に、リリアンは眉をひそめた。
「あなた、何もわかっていない。それとこれとは別なの。大魔女様のご加護より、もっと強力な力が存在する」
「それって、もしかして神のこと?」
山田が聞くと、
「しっ。それを口にすることは禁じられているの。なぜなら、存在を信じることがそれに力を与えるから」
とリリアンは声を低くして言った。それと言ったのは神のことだろう。
「お願いだから、今は何もしゃべらずに歩いて。部屋まで案内するから」
リリアンは神を信じているようだ。だから、こんなに怯えているのだろう。部屋に着くと、リリアンはピンク色の鈴を取り出した。
「あたしは、自分の部屋で寝るけど、何かあったら呼んで。この鈴を振ればどこにいても聞こえるから。試しに呼ぼうなんて、ふざけたことしたら怒るわよ」
鈴は僕の手に渡されたけれど、内野が手に取り、鳴らそうとしたのを見て、リリアンが注意した。
「大丈夫、そんなことしねぇって」
そんな内野に、
「あなたが一番、信用できないのよ!」
とリリアンは言葉を返した。山田はそれを見て、クスッと笑った。
「じゃ、おやすみなさい」
彼女はそう言って、真っ暗な廊下を歩いて行った。灯りを灯さないせいもあってか、彼女の姿は数メートル先で、すっと消えたように見えた。
「さ、僕らも寝よう。何か起こっても困るしね」
「そうか? 何か起こった方が面白いと思ってるんじゃないのか?」
内野は結構するどいところをついてきた。確かに、何か起こった方がスリリングだが……。
「何言っているのさ。もうすでに、いろんなことが起こっているじゃない。内野が言っているのは、本が言っていた、神の話しでしょ? 子供の命を取るっていう。だけど、それが本当のことだったら、大魔女様にも止めることはできないんだよ。僕は命を取られたくはないよ」
「そうだね。山田の言うとおりだ。とにかく、今日はもう寝よう」
とても寝付けそうになかった。いろいろなことが起こりすぎて……。ベッドに横になると不思議と緩やかな眠気を感じた。
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