第13話

「図書室がいい」

 それまでうずうずしていた山田がすかさずそう言った。

「いいわね。しっかりついて来るのよ。この城は生きているの。人間には意地悪だから、うっかりしていると迷路に迷うわよ」

 城が生きているって、一体どういうことだろう? リリアンは部屋を出て、廊下を右に向かった。そこには窓があり外の仄暗い世界が見えた。

「ねえ、リリアン。この世界はいつもこんな空なの?」

「ええ、そうよ。どうして?」

「僕たちの世界では空はいつも色を変えるんだ。青い空、オレンジの空、灰色の空に、赤い空。七色の橋が空にかかることもある」

「うそよ、そんなの。人間界はとても恐ろしいところだもの。そんな美しいものなんてあるわけがないわ」

「リリアンそれは君の思い違いだよ。人間界にも美しいものはある。山田の言ったことは事実だ」

「そうだぞ。魔女ってのは、人間をどんだけ悪者にすりゃ気が済むんだ?」

「内野、リリアンは人間だ」

 リリアンは立ち止まり、

「あなた、なぜそのことを……」

僕を振り返った。

「さっき、評議会である魔法使いが言っていたのさ。大魔女様は人間の子供をわが子のように育てているって」

「そう。この世界では誰もが知っていることよ」

 リリアンは何でもないことのようにそう言ったが、さっきまでの明るい表情が消えていた。人間である事実が、彼女を苦しめているのだろうか……。リリアンはそれからしばらく無言のまま、いくつかの角を曲がり、階段を上がったり、下りたりを繰り返した。

「さあ、着いたわ」

 リリアンは洒落たドアの前で、僕らを振り返った。

「まあ、あれほど言ったのに……」

 リリアンの声に、僕が後ろを振り返ると、二人の姿がなかった。

「まさか、迷子になったんじゃないだろうな?」

「仕方ないわ。あたし、探してくるから、あなたはここを動かないで。中には本がたくさんあるけど、読んではいけない魔法の本もあるの。それはあなたが読もうとしても読めないけれど、触ってはダメよ怒るから。あなたが読んでいい本と、読んではいけない本は見ればわかるわ。でも、気をつけてね。本たちはおとなしく見えても気性が激しいから」

「分かったよ。忠告ありがとう」

 さて、気性の激しい本というのを拝ませてもらおうじゃないの。戸を開けると、僕の知っている古い紙とインクの匂いがした。

「おじゃまします」

 僕は本たちに向かって言ったが、もちろん返事はなかった。その部屋は窓が小さく、薄暗い。外が明るくないのだから当たり前だが。本を読むには暗すぎる。近くで見ると、どの本にも知らない文字が書かれていた。どれを手にしたらいいか分からないが、ふと気になるものを見つけた。それはどの本よりも厚くて、くすんだ赤い表紙だった。それを棚から取ると、ふわりとほこりが舞った。古い木の机に持ってくると、それを開いた。横書きのたくさんの文字と絵が描かれている。僕には何の本なのかまったく分からない。

「魔法学校初等科入門編。まず第一に、スティックを正しく持ちましょう」

 本は勝手にしゃべりだした。

「あのー、僕は魔法スティックを持っていません」

 僕が答えると、

「では、スティックを魔法で出してください」

 と言った。

「僕は魔法が使えません。これは魔法を教える本ですよね? 魔法が使えない人に、魔法でスティックを出すなんてことはできません」

「では……。何でもいいから棒を持ってきなさい!」

 本はちょっとヒステリックに言った。

「棒って言っても、どこにあるんです?」

「……」

 本は怒っているのか、僕の質問に答えてくれなかった。仕方なく、何かないか探してみたが、この部屋にはそんなものはなかった。

「棒は見つかりませんでした」

「では、残念ですが教えることはできません。魔法スティックもないなんて、魔法を教わる資格はありません」

 そう言って、その本は自分でぱたりと閉じると、元の場所へと戻っていった。

「そんなこと言ったって……」

 この世界のことをまったく知らないのだから、それくらい大目に見てくれてもいいじゃないか。僕は勝手なことを言う本にむくれた。

「他にまともな本はないのかなぁ?」

 独り言を言うと、

「まあ、人間のくせに生意気な。ここはあんたの来るところじゃないんだよ。さっさと出てお行き」

 棚から飛び出した一冊の本が、僕の周りをパタパタと飛び回った。それにつられたように、何冊も飛び出してきて、

「人間のくせに」

「生意気だ」

 と言いながら僕に襲い掛かってきた。

「やめてよ。僕が悪かった。みんなまともな本だよ。ただ、僕が知っている本とはだいぶ違っただけなんだ」

 と叫ぶと、本たちは僕を攻撃するのをやめておとなしくなった。

「そう、人間界の本は私たちとどう違うの?」

 青い表紙の本が言った。

「僕の世界では、本はしゃべらないし、飛んだりもしない。動くこともないんだ。ただ、じっと本棚に収まっている」

「まあ、そんなことって……。じゃあ、誰が本の中身を読んであげるのよ」

 茶色い表紙の本が聞いた。

「もちろんそれは、本を手にした人だよ」

「まあ、そんなのおかしいわ」

クリーム色の表紙の本が言った。この世界では当たり前のことが、僕にとっては異常なことで、この世界のモノたちには、僕の世界のことが異常なのだろう。

「それぞれの世界には、その世界での常識があります。僕らの世界とこちらの世界は、あまりにも違いすぎて、そのギャップが僕やあなた方を混乱させているんです」

「そうね。私たちはそんなこと、分かっているのよ。ただ、本ってとっても暇なのよ。分かるでしょ? これだけの本がいるのよ。毎日、誰かのために読んであげたいのに、それほどお呼びがかからないの。あなたがここへ来てくれて、本当はうれしかったのよ」

 と僕が最初に手にした、くすんだ赤い表紙の本が、棚から飛び出して言った。

「おまたせ。あら、もう本と仲良くなったのね」

 そう言って、リリアンが部屋に入ってきた。その後ろを、内野と山田が恐る恐る入って来る。

「お前、誰と話していたんだ?」

 内野は僕が誰もいない部屋でしゃべっていることを不思議そうにしている。

「この本と話していたのさ」

「まあ、なつかしい。あたしも初めて魔法を習うときにこの本を手にしたわ」

「よく覚えているよ。リリアンは物覚えが悪くて、センスがまったくなく困ったものだったよ。魔法が使えない魔女なんて、魔女界始まって以来だよ」

「あら、失礼ね。今はちゃんと使えるんだから」

 本と会話をするリリアンを、内野はぽかんとして見ている。

「おい、何で本がしゃべってるんだ? どこに口があるんだよ」

「おや、人間がまた増えた。常識を知らないね。この世界では本はしゃべるものなんだよ。それが当然なんだ。何度説明すりゃいいんだ」

 いつの間にか、机の上にいた相当古そうな本が言った。

「はじめまして。僕、山田透といいます。あなた、もしかしたらこの世界の始まりの本ではないですか?」

 山田はその古い本に興味があるようだ。

「あんた、文字が読めるのかい?」

いいえ。なんとなくそう思っただけです。もしよかったら、僕に物語ってくれませんか?」

「ああ、いいとも。あんたが人間でもかまわないさ。わたしを読みたいんだね」

 古い本はそう言うと、最初のページがめくられた。僕らは物語を聞くためにイスに腰かけ、本の言葉に耳を傾けた。


 始まりは終わり、終わりは始まり。この世のすべてのものは、無から生まれる。

 千年の昔、何もない闇の中に一つの光が生まれた。それはこう言った。

『我は神なり』

 神は一瞬のうちに大地を創り、暗闇に太陽を浮かべた。そして、大地には植物を生やし、山や川を創った。そして神は残りの力を使い、この世の果てで、わが身を大いなる生命の木に姿を変え、大地に根を下ろした。それと同時に大きな実を二つ実らせたのだ。それは生命の実といった。その実からもたらされた命。それはのちにこの世界を分断した二人。つまり、大魔法使いのウィルバートと大魔女、ジョアンナだった。この時には二人以外、この世には存在しなかった。神はすべての力を使い果たしたが、その力を二人は受け継いだ。魔法という力を使い、彼らは城を造り、豊かに暮らした。それを妬んだのは神だった。二人の仲を引き裂こうと、二人にはなかった負の感情を与えた。しかしそれは別の感情も生むこととなった。二人はその感情をうまく相手に伝えることができなかった。すれ違うこともあり、理解し合うこともあった。そのうち、二人は自分の命が生命の木からもたらされたことと、命は生命の木からしか生まれないことを知った……。

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