何冊もの距離を超えて
和泉茉樹
何冊もの距離を超えて
◆
大学図書館という奴は、結構、面白い。
僕が通う大学は東京都とはいえ、山手線の内側でもなければ、二十三区内でもなく、八王子のはずれにあった。
広いはずの敷地には古い校舎が密集していて、どこか窮屈だ。建物自体も古く、どことなく重苦しい。
しかし図書館だけは最近、新しく作り直されていたもので、全てがピカピカである。もちろん、それは器の話で、中身は昔のものがそっくりそのまま引き継がれている。
膨大な書籍は、相応の年月を経て、くたびれ、時代を感じさせる。
大学図書館が最も活用されるのは、レポートのための資料の調達場所としてで、この大学は幾つもの学部を一か所に集めているせいで、図書館の蔵書は多岐に渡る。
もっとも、僕がその本と出会ったのは、全くの趣味、個人的な「読書」という趣味による。
村上春樹の「1973年のピンボール」の文庫本。講談社文庫。黄色い背表紙。
実際には高校生の時に何度も読んだけれど、読み返したくなって、でも買い直すのも気が引けたのだ。地元から大学のそばに引っ越した時、ほとんど本は実家に置いてきてしまった。
そうして図書館でその本を借り、部屋に戻って布団に寝転がりながら読んでいた時、ページの隙間からそれが落ちてきた。
一枚のレシート。本を借りる時、発行されるものだ。僕もこの文庫本を借りる時に本と一緒に手渡されたが、捨ててしまった。
だからそれは、僕に発行されたものではない。
顔に落ちてきたレシートを払いのけ、手に取ってみると、赤い色が目に入った。レシートに赤で印字されることって、あっただろうか。
よく見てみると、それは手書きの文字で、赤いインクのボールペンで書かれているようだ。
その文字は「次はこれ!」と読める。
レシートには貸し出した本の一覧が並んでいる。
月村了衛の「影の中の影」の下に赤いペンで線が引いてある。
しばらく僕はその文字を眺め、レシートは文庫本に適当に挟んだ。
次はこれ、か。
◆
僕は月村了衛の「影の中の影」の文庫本を借りて読んだ。
これはいい小説だ。テンポが良くて、派手で、実に硬派。
その文庫本にもレシートが挟まれていた。そのレシートにもやはり「次はこれ!」と赤いペンで記入されている。
今度は有川浩の「図書館戦争」。文庫ではなく、ハードカバー。
文庫で出ているものをハードカバーで借りる理由がわからないけど、僕はこのレシートの後を追っているので、図書館でハードカバーを借りた。読む前にレシートの有無を確認したけれど、挟まれていない。
本を読み終わり、ふと気づいた。
この「図書館戦争」はシリーズものだ。
図書館へ行って、思い切って「図書館内乱」、「図書館危機」、「図書館革命」をハードカバーでまとめて借りた。
季節はまだ春の頃で、僕はまだのんびりとしたものだったし、大学生としての時間の使い方がわからなかった。サークルもなく、講義は目一杯とっても、空白の時間は十分にあった。
三冊はあっという間に読み終わり、「図書館革命」の最後のページに、そのレシートはあった。そのレシートにも赤いペンで「次はこれ!」がある。
今度の赤い線は司馬遼太郎の「関ヶ原」に引かれている。今度は文庫本だ。
図書館の本棚で、緑の背表紙。昔、「燃えよ剣」を読んだことを思い出しながら、「関ヶ原」を借りる。
本を手にとって表紙を見たとき、「関ヶ原」も読んだことがあると思いだした。するすると記憶が蘇った。島津の人間が薩摩弁が酷すぎるために、能だか狂言の言葉で会話をする、という描写が可笑しかったな。
最後に到達し、やはりレシートがあった。「次はこれ!」の示すものは、ガルシア・マルケスの「コレラの時代の愛」だった。
ガルシア・マルケスか。「エレンディラ」という短編集を勉強として読んだこともあるけど、重苦しくて、難解で、読み切って疲れた思い出があった。
今回はそうならないといいんだけど。
僕は本を返して、次にマルケスの「コレラの時代の愛」を借りた。
やっぱり重たいけど、自然と引き込まれる。これが作家の力、腕力って奴なんだろう。
ページの途中で、レシートが見つかった。赤い文字は「次はこれ!」となっているけど、僕はレシートをしっかり見ないまま、最後のページに移した。
今は本を読まないと。
ちょうどいいところなんだ。
一週間をかけて読み終わって達成感とともに、僕はやっとレシートを見た。
今度は森博嗣の「スカイ・クロラ」か。しかもハードカバー。例のもの凄い綺麗な装丁のシリーズだ。
季節はいつの間にか真夏のような日差しに変わっているけど、梅雨はまだ来ていない。
◆
本を読むことが苦にならない人間がいる。
僕のことだ。
森博嗣の「スカイ・クロラ」から最後の「スカイ・イクリプス」まで読み終わった時、気づくと雨が多い日が続き、梅雨本番になっていた。
レシートは最後の一冊にも挟まれていなかった。
ふむ、と思わず声に出している自分が、滑稽に思えたけど、これは何か理由があるのか。
例えば、誰かしらが先に本を借りて、レシートを捨てた?
それとも僕がどこかで道を間違ったか?
少し考えて、僕は本をカバンに詰め込んで大学の図書館へ行った。片道で十五分ほどだけど、雨がひどくて、図書館に着いたときはズボンの裾は色が変わっていたし、靴の中まで雨がしみこんでいた。
図書館で本を返し、ちょっと考え、文庫の棚へ行ってみた。そこに「スカイ・イクリプス」はある。
手に取ってみて、レシートを確認する。
果たして、最後のページに挟まっていて、僕は立ったまま、その二つに折られたレシートを確認した。
「よくぞ見つけた! 次はこれ!」
赤い線が引かれている先は、綾辻行人の「十角館の殺人」だった。しかも完全版ではない文庫本。
それを見たとき、自分がここ数ヶ月、ひたすら本を読んでいて、レシートそのものについて考えていないことに気づいた。
レシートに印字されている見知らぬ誰かの貸し出しの日付は、五月のものだ。
しかし、年度が違う。
そこにある数字は、一年前を示していた。
一年前か。
僕は一年前の誰かを追いかけていることになる。
でも追いつくのも、難しくはないだろう。
そんな風に思って、僕は文庫本の棚を移動し、綾辻行人の「十角館の殺人」を借りた。
これは長くなりそうだ。
◆
夏休みがやってきた。
暇ばかりだったこの半年も、いよいよ本当の暇がやってきた。
普通の大学生がアルバイトやらに励むところを、僕は親からの仕送りだけで凌いで、本ばかり読んでいたことになる。
綾辻行人の文庫本は、館シリーズの最新刊の「奇面館の殺人」まで突っ走り、つい数日前に読み終わっていた。
そして「次はこれ!」の文字が示す本、新海誠の「言の葉の庭」の文庫本を借りて、読んでいるところだ。
レシートの日付は、八ヶ月前。じわりじわりと追いついても、まだ先は遠い。
文庫本の最後のページにはまたレシート。
今度は、桜庭一樹の「GOSICK」の文庫本の第一巻。
うだるような日差しの中、大学図書館へ行き、まとめて借りる。十冊を超えるけれど、夏休みだけの措置でまとめていっぺんで借りることができた。
でもさすがに読むのには時間がかかった。
七月は過ぎ去り、八月半ばを過ぎた頃に、やっと読み終わった。
一人暮らしの部屋の布団から起き上がったとき、ふと自分の腕に目をやって、青白い肌をしているのが、 なんとなく可笑しい。日焼けしすぎるのも変だけど、僕はまるで不健康な色をしている自分に気づいた。
東京の夏は暑いので、買い物さえも日が暮れてから出ていたこともある。
文庫本をカバンに詰め込み、夕暮れ時、大学へ向かった。
図書館に入り、冷房の涼しさに少し震えながら、カウンターで返却手続きをする。
今回の「GOSICK」シリーズの最終巻に挟まっていたレシートで、赤い線が引かれていたのは、宮内悠介の「アメリカ最後の実験」の文庫本。
本棚に向かいながら、この誰かしらは実に縦横無尽に本を読む、と改めて感心した。
小説に限定されているようだけど、僕なんかよりよほど本について知っている。
いったいどこで、どうやって勉強しているのか、それが気になる。
もっとも、ただの根っからの読書好き、読書オタクなのかもしれないけど。
本棚にはちゃんと、宮内悠介の「アメリカ最後の実験」の文庫本があった。
大学の夏休みは九月半ばまである。
ここで一気に、レシートの向こうの誰かに出会えればいいのだけど。
◆
宮内悠介の「アメリカ最後の実験」
皆川博子の「蝶」
景山民夫の「虎口からの脱出」
池上永一の「テンペスト」
アンディ・ウィアーの「火星の人」
神林長平の「七胴落とし」
中山可穂の「感情教育」
田中芳樹の「銀河英雄伝説」
塩野七生の「十字軍物語」
◆
季節は冬になった。
僕は講義と読書の日々を続けていた。
塩野七生の「十字軍物語」の文庫本は全四冊で、これは比較的、新しい。
最後のページを読んだ後、レシートを確認した。
やはり「次はこれ!」の文字。
しかしさすがにその赤線を引かれているタイトルを見たとき、眉をひそめてしまった。
北方謙三の「水滸伝」の第一巻。
これは何か、すごい長いシリーズだったのでは。
僕はスマートフォンを取り出して、検索をかけてみた。
やはり、これは「水滸伝」全十九巻だけではなく、「楊令伝」全十五巻、「岳飛伝」全十七巻に及ぶ全五十一冊の巨大なシリーズで、しかもそこから現在刊行中の「チンギス紀」に続くのだ。
はっきり言って、これを読む精神力は並ではない。そして時間も膨大なものだ。
アパートの一室で思わず僕は窓の外を見ていた。
ここのところ、晴れる日は少なく、今も外では曇天がのしかかるように垂れ込めている。雨が降りそうだった。地元の寒さと比べれば大分マシだけれど、もしかしたら夜には雨ではなく雪になるかもしれない。
とにかく、「水滸伝」だ。
レシートの日付を確認。
四ヶ月前。誰かはこのシリーズは夏には読み始めている。
僕は勢いをつけて布団から立ち上がり、文庫本が四冊入ったカバンを手に部屋を出た。
コートの襟元を押さえながら、頭の中は読書のことと、レポートのことで、いっぱいだった。
もっとも、読書七割、レポート三割だけど。
◆
僕はその日を「岳飛伝」の十五巻を読みながら迎えた。
いつの間にか日付が変わっていて、あくびをした拍子に時計に気づき、こんな時間か、と我ながら呆れた。
もう冬も終わろうかという頃だ。
ここに至るまで、レシートは発見されていない。
自分が正しい道筋、つまり「水滸伝」から「楊令伝」、そして「岳飛伝」という道筋を選んでいるのなら、何も問題はない。
でももし違っていたら、僕はレシートを辿るのに失敗し、盛大な遠回りをしていることになる。
もっとも、ここに至ってはこの大水滸伝シリーズの虜になっているので、何も問題はないのだけど。
あのレシートを残している誰かも、同じ気持ちでいるような気がした。
三月が終わる前に僕はついに「岳飛伝」の第十七巻を読み終わり、最後のページにレシートを見つけた。
そこで「次はこれ!」の赤文字と矢印で示されている本は、阿佐田哲也の「麻雀放浪記」の第一巻。
レシートの貸し出しの日付は、ほんの一ヶ月前だった。
大学図書館へ向かう途中で、僕は羽織っていたコートを脱いだ。もう汗ばむほどだ。桜の木々では蕾が今にもほころびそうに膨らんでいる。
図書館で「岳飛伝」の十七冊をまとめて返却し、文庫の棚で「麻雀放浪記」を探す。全四巻。まとめて借りた。
帰宅して、すぐに読み始める。
集中すると、しかし物語のことしか考えない自分が、思考を支配する。
レシートはどうでもいい。
目の前の物語世界が、僕を包み込んだ。
◆
年度が変わった。
僕は進級し、しかし生活は変わらない。
四月の半ばに「麻雀放浪記」の第四巻の最後のページからレシートが出てきた。
記入されている「次はこれ!」は、米澤穂信の「氷菓」の文庫本。
このシリーズは、と思いながら、僕は大学図書館へ行った。
文庫本がおおよそ揃っているが、しかし最後の巻だけ、棚にない。
カウンターでとりあえず「氷菓」、「愚者のエンドロール」、「クドリャフカの順番」、「遠まわりする雛」、「ふたりの距離の概算」を借りて、棚にはない「いまさら翼といわれても」を予約した。
予約の手続きをしてくれた司書の女性が「すぐ戻ってくると思います」と教えてくれた。
「すぐ読んじゃう人が、借りて行きましたから」
そんな風に微笑まれて、僕がどう答えるか迷っていると、「どうぞ」と本がこちらに差し出された。
すぐ読んじゃう人?
そうか、司書の人は知っているのだ。
図書館を出てから、そんなことを言われる僕も、司書の間では話題になっているのではないか、と不意に気づいた。
帰り道、何度かかけられた言葉を検証した。僕がどう思われているか、ではなく、もしかして僕は、ずっと追いかけていた誰かに手が届きかけているのでは、ということだ。
つまり、「いまさら翼といわれても」を借りている誰かが、僕をここまで導いたのだ。
何冊もの本を隔てて、遠く離れていた誰かが、変な表現だけど、「ほんの五冊先」にいる。
部屋に戻って、僕は本を布団のすぐ横に積み上げて、ゆっくりと横になった。
一冊目の「氷菓」を手に取る。
何か、もったいないような気持ちを覚えながら、僕は最初の一行に目をやった。
こんな時でも小説は僕を、否応なしに現実ではない世界に連れて行ってくれる。
◆
五月の大型連休が終わった時、僕は「ふたりの距離の概算」を読み終わり、大学図書館へ向かった。
まだ予約した本が返ってきたという連絡は受けていない。
そして「ふたりの距離の概算」にはレシートは挟まっていなかった。
不思議だった。今まで、まとめて本を借りていた誰かは、今回だけ、先に部分的に返却したようだ。
何か事情があったのか、それとも、僕が追いついたと思っているだけで、実際には追いついていないのか。
大学図書館は休みの真っ最中らしく、閑散としていた。それを言ったら敷地全体が閑散としているけれど。
図書館に入り、カウンターで本を返した。
「予約されている文庫本ですが」
司書の人がパソコンを見ながら言う。
「今日が期限ですから、戻ってくるはずなんですけど」
少し困ったようにその司書の女性が言って、首を傾げる。どうします? と問いかけているようでもあり、すみませんね、と困っているようでもある。
まさか僕がここで待つわけにもいかない。見知らぬ誰かがいつ来るかなんてわからないし、そもそも返ってくるという絶対の保証はないのだ。
僕は礼を言って、いつの間にか後ろに並んでいた女性に場所を譲った。
とりあえず何か、面白そうな本を借りて帰ろう。
上の階へ向かおうとする僕の背中に声がかかったのは、その時だった。
立ち止まり、振り返ると、司書に女性が文庫本を掲げている。
表紙には青空のような背景に「いまさら翼といわれても」という文字が見えた。
そして司書の前にいる、さっき僕の後ろにいた学生らしい長い髪の女性が、目を丸くしてこちらを見た。
僕はその女性を見て、一瞬、息が止まり、立ち尽くした。
時間が止まる。
僕は意を決して引き返した。
僕たちの間にあった距離は今、ゼロになったようだ。
(了)
何冊もの距離を超えて 和泉茉樹 @idumimaki
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