誕生日の思い出

僕が十歳になった日、両親はお寿司を出前してくれた。プレゼントに何をもらったかは覚えていないが、その日の夕食の記憶は今もぼんやりと残っている。あれは土曜日の夜、僕は届いたばかりのお寿司を食べながら、テレビを見ていた。


番組の内容はおそるべきものだった。1999年7の月、天から恐怖の大王がやってくる。人類は滅びるという予言の存在を、僕はその時はじめて知った。僕は、楽しみにしていたお寿司の味も分からなくなった。この世が滅びるなんてことがあるのだろうか。両親は僕の不安を笑い飛ばしたが、僕はそれから運命の7月を迎えるまで、毎日が不安で仕方なかった。「終わりなき世のめでたさを」というお正月の歌を耳にしても、この世は終わるんだと反論したい気持ちにかられ、一方ではこの歌のとおりであってほしいと願った。


予言のもたらす不安と戦っていたのは、僕だけではなかった。テレビゲームが大好きな僕の弟は、その頃プレイステーションを欲しがっていた。ある時、弟は母親に泣きながらプレイステーションを買ってくれと懇願した。曰く、もうすぐ恐怖の大王が来てみんな死んでしまう、プレイステーションをやらずに死ぬのは耐えられない、と。


結局、1999年7月には何も起きなかった。その後も2000年問題、マヤの予言など、人類の破滅を予感させる何かを僕たちはくぐりぬけ、こうして生きている。あれほど恐れていた予言の数々は、すべて妄想か商業主義的メディアの飯の種に過ぎなかったと笑い飛ばして、ファティマ第三の予言も大方ノストラダムスと似たようなもんだろう、とタカをくくっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生きる @matsuonyaon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る