掌編小説・『トーク』

夢美瑠瑠

掌編小説・『トーク』

(これは、2019年9月19日の「トークの日」にアメブロに投稿したものです)


掌編小説・『トーク』


 某ラジオ局に勤めている、糸居某は、今日が定年だった。


 45年間「糸居五郎の「朝はアンサー!」という朝の番組を担当していて、それなりに渋い語り口が人気を博していた。

 朝の番組だから、天気予報、交通情報、その日の主なニュース、聴取者からの様々な投稿、耳に快い音楽、週替わりの企画、そうしたもので番組は構成されていた。

 呼び物が、「お悩み相談」というコーナーだった。

 糸居某は三度離婚していて、人生の辛酸もそれなりに舐めていて、その人生相談も好評だった。

 そうして、45年間の総決算の今日に、糸居某が何をしゃべるか?

 そのトークに注目する人々は注目していたのだ。


「おはようございます。糸居五郎です。私は今日引退をしますが、私のことは嫌いでもBSKラジオのことは嫌いにならないでください!・・・違うか。

 今日限り普通のおじさんに戻ります・・・なんちゃって。

 糸居五郎です。晴れのこの日のために生島ヒロシさんに貰ったグリナを三つ飲んで8時間熟睡しました。元気ハツラツの64歳。普段はかすんで見えないディレクターのメッセージボードもよく見えます。では最初にお悩み相談から・・・

「私は18歳の女の子なんですが、先生にプロポーズされちゃったんです。先生のことは好きだけど、まだ18歳だし、大学にも行きたいんです。断ると赤点をつけられちゃうかも・・・赤点があると卒業ができないんです。どうしたらいいでしょうか?」というJK子さんからのお便りです。

 これは難しいですねー好きだったら大学を卒業するまで待ってもらったら?

 交際を深めていって、お互いを知りあってからのほうが、失敗する確率は低くなると思いますよ。それで嫌いになったら別れればいい。私は焦って結婚して三度失敗しましたけど(スタジオ内爆笑)いろいろな異性と交際するのは自分のためにもなるし、恋人がいるということで精神的な安定を得られます。定期的なデートやセックスも、美容や健康にいい。若いうちはいろいろな異性と交際するのがベストだと思いますよ・・・」


 そうして糸居某はいつもと同じく3時間しゃべり続けて、残るは最後の5分になった。さあ何をしゃべるか?

 聴取者もスタッフも、みな固唾をのむ感じになった。


「・・・皆さん、今日私はこの番組を卒業します。

 本当にお世話になりました。45年という年月には本当に色々なことがありました。一日も欠かさず毎日朝食を作ってくれた三人の女房たち、本当にありがとう。風邪をひいて、声が出ないときもありました。女房に逃げられて、もう世界が真っ暗闇、そういう時でも明るくしゃべらなければなりませんでした。交通渋滞でスタジオまでたどり着けない、そういう時には女性のアナウンサーに代役を頼みました。

 どんな時でもスタッフは明るく、優しく、私を支えてくれました。

 糸居五郎というちっぽけな存在が、精一杯に自分の全てを表現し尽くしている、そのけなげさが共感を呼んで、こんなに番組が長寿になったのかと思います。

 私は凡才ですから裸の自分をさらしつくさなくては、到底3時間という時間を持たせることはできない、そういう、毎日が真剣勝負でした。

 そうして、このかけがえのない時間は私を育ててくれました。私などと言う、本来はひ弱いだけの男が、この空間と時間の中で鍛えられて、成長して、それなりの見識とか、語彙とか、人生における宝となるもの、限りなく人生を豊かにする素晴らしいギフトを、たくさん授けてもらえたのです・・・

 私はこのスタジオや、ここで過ごした時間や経験のことを一生忘れないでしょう。 

 それは私の人生そのものだったのです・・・

 本当にありがとうございました。そして、さようなら・・・」

 

 ー糸居某はマイクの前に立ち上がって、深々と一礼をした。


 はからずも、スタッフたちのスタンディングオベーションが起こった。

 たくさんの聴取者たちはみな涙していた・・・



<了>


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