第18話 シルヴィアとバルブロとモリーと

「メル!久しぶり!と言っても、そんなに経ってないけど」


 気安くメルの名を呼ぶシルヴィアに、メルは自分の名前を彼女に教えたかどうか記憶を探ったが、そんな記憶はない。だが、彼女は独自の情報網を使ってメル、つまり図書迷宮の管理人を調べていたようであったし、名前を知っていたとしてもおかしくはない。


「シルヴィアさん、どうしてここに?」


 尋ねながら、メルは「まさか」と口走る。


「本を盗みに?」


「なわけないでしょ」


 すかさず突込みを入れたシルヴィアは、もう、と唇を尖らせる。


 図書館司書の制服を着て、別人を演じるシルヴィア、黒いフード付きマントで素顔を隠し、屋根を疾駆するシルヴィア。男物の無骨な服を着て挑発的な笑みを浮かべるシルヴィア、そして、真っ赤なドレスを着て、その美貌を余すところなく晒しているシルヴィア。彼女はメルの前に現れるたびに、くるくるとその印象を変える。今の彼女が、最も彼女らしい本来の姿なのではないかと、メルは思った。


「私のこと泥棒だと思ってるの?」


「え、いや、だって私、あなたに荷物をひったくられましたし、泥棒ですよね」


「そんな細かい事どうでもいいの」


 手をひらひらと振って、シルヴィアは面倒くさそうにする。


「遠路はるばるここに来たのは、バルブロが行きたいって言ったからよ」


「言ってない」


 妙に長いローブで全身を隠したバルブロが仏頂面でぼやいた。


「行きたそうにしてたじゃない」


「してない」


「そういう事よ」


 何がそういう事なのかさっぱり分からなかったが、本を盗むつもりがない

なら何でもいい。


「バルブロったら、墓場の次にここが気に入ったらしいわよ」


 シルヴィアに無理やり話を向けられ、バルブロは渋々口を開く。 


「ここは、いい場所だな」


 どうも、メルへ話しかけたらしい。メルが辛抱して次の言葉を期待していると、バルブロは書架に収まった本の背表紙をそっと撫でた。


「本を大切にしている人たちのいる場所だ」


 背表紙から手を離し、バルブロは連なる書架の群れを見渡す。


「誰かに読まれるのを、待っている本たちだ。こういう本のあり方もあるんだな。俺たちは、副葬品として作られたから、本棚に並べられて、誰かに読まれるというのは新鮮に感じる。だが、ここではそれが当たり前だ」


 突然、バルブロの背中のローブがもぞもぞと盛り上がった。何事かと、メルとヴェスターは仰天したが、すぐに原因がわかった。背中の盛り上がりはだんだん下に下がり、地面すれすれのローブの下から黒い鼻がチョン、と覗いたかと思うと、犬のモリーが現れる。


 モリーは尾を振って、メルへじゃれついてきた。フサフサした毛並みに、キツネみたいにピンと立った三角の耳。牧羊犬として人気の品種によく似ている。メルがモリーの首筋を撫でてやるのを眺めて、シルヴィアが笑みを浮かべた。


「ほらね、モリーもここが気にいったみたい」


「らしいな」


 珍しく、バルブロがシルヴィアの言葉へ同意した。それからメルへ、「あの本は、どうなる」と尋ねた。


 モリーを撫でる手を止めて、メルはバルブロへ向き直った。


「ややこしいことになりそうです。所有権や、文化財保護とかの観点から、一度ソルヴィ家とヴィブリフェクス家の話し合いの場を設けるべきだろうと。裁判になるかもしれません」


「裁判か」


 眉を寄せるバルブロとは対照的に、シルヴィアはおかしそうだ。


「あらやだ、それじゃあ実家の悪事が明るみに出ちゃうかもしれなわね。いくら

正当化しようとも、やってることは盗みだもの」



「すみません」


 メルが謝ると、シルヴィアは「私、別に怒ってないわよ」と眦を下げた。


「むしろ、感謝してる。私はずっと、一族のやり方が疑問だったの。昔の風習や

昔の暮らしを忠実に繰り返し、子供にもそれを強いる。先祖の作った副葬書を取

り戻すことを大義名分に掲げて、本を奪い返してひたすら土に埋める。それをずっと繰り返してきた。良いか悪いかはさておき、古の者らしく、社会の陰に潜みながらね。でも、もうそんな時代はとっくに終わったのよ」


 シルヴィアの瞳が、少し寂しそうに揺らいだように見える。


「今は輝かしい文明開化の時代。その輝きは全てを明るみに出すわ。これまで曖

昧にされてきた、私たちのような古の者の存在も、やがては暴かれる。ヴィヴリフィクス家が戦後百年以上続けてきたこの本集めも、同様に。これでいい、これでよかったのよ。私ももう、一族の行いに一人で悩むこともない。一回全部明るみに出してみればいいのよ」


「それが理由ですか。あの時、私に仕掛け絵本を渡したのは」


 メルの問いに、シルヴィアは妖艶な笑みを返しただけだった。このことについては、それ以上語りたくはないようだ


「君たちは、これからどうするの?」


 ヴェスターが尋ねると、シルヴィアは「さほど変わらないわ」と首を横に振

る。


「私はもう本集めはしないけれど、諸国をあちこち回るわ。そのついでに、バルブ

ロみたいな書物がいないか探す。本を埋めるのには飽き飽きだけど、万が一にも自

我を持った書物がいて、帰りたがっているのなら、それは帰してあげたいから」


「バルブロは?」


「俺も変わらない。墓守の仕事を続けるだけだ。それが俺の、選んだ道だから

な」


 そう言ったバルブロの隣で、シルヴィアは少し寂しそうな目をする。だがそれもほんの瞬きする間のことで、シルヴィアは「そういうことだから」と表情をほころばせた。


「私たちのことは心配しなくて大丈夫。それよりも、あの仕掛け絵本を気にかけてちょうだいな。バルブロのように、自我を得ないとは限らないもの」


 シルヴィアの言葉に、メルの中の空想の翼が小さく羽ばたいた。


 亡国のお姫様と、美しい泉の色の鱗を纏った龍。この世にはもう存在しないはずの彼らが、図書館の中で、仲睦まじく語り合う姿を。ありえざる再会を果たす姿を。


「それじゃあ、私たちもう行くわね」


 シルヴィアの声に、メルの思考は現実へ引き戻される。


「ああ、そうだ。私たち、この後もあちこち王都を見て回ろうと思ってるの。ね、地元民しか知らないとっておきのスポットとかあったら、教えて欲しいのだけど」


「シルヴィア、彼女は今仕事中だ。それ以上、邪魔をするな」


「うるさいわね。これくらいいいじゃない」


 バルブロの小言に、子供のように、シルヴィアが両頬をぷっくりと膨らませて応戦する。


「私はね、やっと自由になれたのよ。好きにさせなさい」


「自由に?今までも自由に、あちこちほっつき歩いていただろう」


「それは、本を探していたからよ。今は純粋に観光を楽しんでるの。全然違うんだから」


「そしてその道楽に、俺も付き合わされているということか」


「何、嫌なの」


 シルヴィアの声音が剣呑なものに変わり、さっきから二人のやりとりを、右往左往しながら見守っていたモリーが鼻を鳴らす。だが、バルブロは「別に」と顔をそっぽに向けながらも答えた。


「そんなことは一言も、言っていない」


「あら、そう。じゃあいいのよ!」


 見る間にシルヴィアの表情に笑顔が戻った。バルブロはなぜかこっちに顔を見せてはくれないが、シルヴィアは満足そうにしている。


 二人の口論とも呼べないそれを眺めていると、自然とメルの口元にも笑みが溢れていた。


 自分のできることは驚くほど少ないけれど、今こうして目の前の二人が、以前より少しでも穏やかな気持ちや時間を抱いてくれているのなら、それで良いと思った。そして笑いあってくれたら、なお良い。


「あの」とメルは二人へ声をかける。


「せっかくですし、とっておきの場所、教えますよ。王都観光、二人で楽しんできてくださいね」

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