第17話 再会

 メルの報告を聞き終えたマクレガン館長は、長い夢でも見ていたように、閉じていた目をおもむろに開けた。眠っていたわけではない。メルの語り口に、思わず目を閉じて、聞き入っていたのだ。語り部であった祖母には遠く及ばないが、この子の言葉には、胸を打つような強い力が宿ることが、時折、ある。


「ミス・アボット。報告、ありがとうございます」


 緊張した眼差しを向けてくるメルへ、マクレガン館長は柔らかい口調で告げた。


「この一件に関しては、私だけで判断することは不可能です。あなたの話したことを裏付ける資料を揃え次第、ソルヴィ家とヴィヴリフィクス家、場合によっては、シュフルヴ国とリヴレ国の話し合いの場を、設けるべきでしょう。まず、所有権、そして、文化財保護も争点となってくるでしょうね」


「裁判ですか」


「まあ、そうなるでしょう」


 マクレガン館長は目を伏せ、手元の書類へ目を移す。書類には、例の仕掛け絵本の写真が載っている。損傷箇所や保存状態を指摘する書類で、ヘインズが作成したものだ。


「図書館としては、なにができるのでしょうか」


「図書館の役割は、本を収集・保存し、次世代へ継承してゆくことです。今できるのは、争点となる「硝子の龍の仕掛け絵本」を、決着がつくまで、当館で丁重に保管する他ありません」


 書類の束を集め、黒のファイルへ閉じる。


「それ以上は、我々の出る幕ではありませんよ」


 たしなめるように、マクレガン館長は上目遣いに見る。


「この後のことは、私が処理しておきますから、あなたは普段の職務にあたってください」





「本当に、これで良かったのかな」


 書架の整理をしながら、メルはぽつりとこぼした。梯子に登っていたヴェスターが、「え?」と振り返る。


「仕掛け絵本のこと」


 床を見つめたまま、メルは言った。


 王都へ帰ってから、既に一週間が経過している。ヴェスターの背に乗ってコレス・ヴェルトへ戻ったメルは、ヘインズと合流して王都まで強行軍で帰ってきた。館長は長期の出張で不在だったため、今日やっと、報告することができたのだ。


「後悔してるの?あの時、本を葬らなかったことを」


 ヴェスターに尋ねられたが、メルは「そうじゃないわ」と否定する。


「でも、これで良かったのかどうかがわからない。コルキアの時もそうだったけれど」


 結局、メルが自分でできることは本当に限られているのだ。


 いや、むしろ、何もできないと言ってもいいのかもしれない。


 コルキアのことも、彼女を心配する気持ちはあったけれど、結局は遠い国へ護送されゆく彼女を見送ることしかできなかった。


 今回も、あの仕掛け絵本が辿ってきた背景と、そこに込められた思いを上司へ伝えるくらいしかメルにはできなかった。その先へ介入するほどの権限は、メルにはない。一介の図書館司書なのだから、それは当たり前なのだし、もしその先へ関わることができたとしても、今回の件へ最良の一手を下す自身も決断力も自分にはないのだけれど。


 はあ、とメルはため息をつく。

 

 あの夜、アーサーとヴェスター共に見た、白昼夢のような光景と、自らを「怪物」あるいは「呪い」だと言ったバルブロのことが思い起こされる。

 

 が帰還を望むというのならば、やはり葬られるべきなのだろう。けれど、それを惜しむ自分もいる。優柔不断な自分が嫌いになりそうだ。


 ふと天井を仰ぐと、その視界に、梯子の上のヴェスターの姿が映りこんだ。ヴェスターは尾を梯子から垂らして、真面目な顔つきをしている。


「これで良かったかどうかなんて、そんなのずっと先にならないと分からないよ。それに、僕は思うな。メルは、自分のできること、やるべきことを精一杯やってるって。メルは偉いよ」


「そんなに私を持ち上げても、何も出ないわよ」


 半眼で睨むと、ヴェスターは飄々として言う。


「別にお世辞じゃないよ。本当のこと言っただけ。シルヴィアも言ってたでし

ょ。メルは誠実で優しいんだ。もっと自信を持って」



「自信ねえ。私には一番縁遠い言葉だわ」


「全く、メルは妙なところがひねくれてるよね」


 トントントンと、軽やかに梯子から降りてきたヴェスターは、後ろ足で立ち上

がると前足で梯子を押す仕草をした。


「さあ、次は隣の書架だよ。掃除、掃除!」


「はい、はい」


 珍しくヴェスターに急かされて仕事を再開するメル。そこへ、「メル!」と同僚のシャーロットの声がかかる。彼女はこの時間なら受付にいるはずだが、こんな奥まで何の用だろう。


「何?」


 振り返ると、見慣れたシャーロットの隣に、赤いワンピースを着た絶世の美女

と、恐ろしく陰気な顔をした全身黒尽くめの男がいた。なんだかチグハグな取り合わせの二人だ。


「この人たち、メルに用があるって。私は仕事あるから、受付に戻るね」


 そう言うと、シャーロットは「じゃ」と手を振って、立ち去る。


 残された美女と陰気な男のうち、美女がパッと華やいだ勝気な笑みを浮かべてメルへ走り寄ってきた。


 豊かな黒髪に切れ長の瞳。乳白色の肌の中で咲く、一輪の薔薇のような艶やかな唇。その唇と同じ色をした真っ赤なワンピースを完璧に着こなす、非の打ち所がない美女は、シルヴィアであった。


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