第13話 怪物

 バルブロの声が、墓所に響き渡るのを聞きながら、シルヴィアは父のことを思い出していた。


「バルブロとモリーのような存在を、二度と生み出してはならない」


 そのようなことを、父は言った。黒ずくめの陰気な顔をした、年齢不詳の男と、鬼灯色の目をした黒犬を前にして、そんな言葉を。


「お前は悲しいの?」


 墓守の仕事を与えられていた陰気な男へ、幼かったシルヴィアはそんなことを尋ねたことがあった。その男は、こちらへ背を向けたまま何も答えてくれなかった。ただ、いつも影のように彼について離れない犬のモリーだけが、悲しそうにクンクンと鳴いただけだった。


 男は、まるでシルヴィアなどそこにいないかのように、淡々と草むしりに勤しんでいる。しゃがんでもなお、自分より大きなバルブロの背中へ、シルヴィアは尚も話しかける。


「姉さんが言ってた。お前のことを、悲しい、って。それ以上教えてくれなかった。お前は、何なの?」


 その時、不意に、男が立ち上がった。


 立ち上がった男は、子供のシルヴィアの目に巨人のように映った。春の慈愛に満ちた陽光が、その背に遮られる。


 冬用の真っ黒な外套に身を包んだその男は、おもむろにシルヴィアの方へ体を向けた。シルヴィアは男の顔を見上げた。その時が、彼の顔をちゃんと見た初めての機会だった。春なのに、冬みたいだと、シルヴィアは思った。


 幽鬼のような青白い肌に、口周りと顎に散った無精髭。高い鼻に深い眼窩。額にかかった黒い前髪の間から、灰色の目が覗く。それは、子供へ向けるにしてはあまりに、あまりに光のない目だった。


「俺たちは、怪物だ」


「かいぶつ……?」


 かいぶつ、怪ぶつ、怪物。絵本で読んだ、悪魔みたいなやつのことだろうか。

 

 シルヴィアが考えているうちに、男はさっと踵を返した。途端に、再び春の陽光がシルヴィアを包む。けれど、あの陰気な男に見据えられたからなのか、その温もりは現実味がなかった。なんだか恐ろしくなって、シルヴィアは家に帰ろうと思った。ちょうどそこへ現れたのが、父だった。本を探しに長旅へ出ていたはずだが、どうも今、帰って来たところらしい。まだ旅装も解いておらず、疲れた表情をしていたが、娘の姿を見てその表情がほぐれる。


 シルヴィアは男の陰気さから逃れるようにして、父の胸元へ飛び込んだ。


「おかえりなさい。お父さん」


「ああ、ただいま。シルヴィ」


 父はシルヴィアを抱きとめて、微笑む。


「本見つけたの?うめるの?夜にうめる?」


「ああ、そうだよ」


 父は慈しむように、シルヴィアの頭を撫でる。


「一緒に見ていい?」


 そう言うと、父は眉を下げた。


「シルヴィアには、まだ早いかな」


「じゃあ早く大きくなる。大きくなって、父さんや兄さん、姉さんたちみたいに本を探しに行く」


 父は快活に笑って、「それは、将来有望だな」と破顔した。


「さあ、父さんは、少しここで用事があるから、それが済んだら、一緒に家へ帰ろうか」


「うん」


 わかったと、素直に頷くシルヴィアから手を離し、父は少し離れたところに佇む陰気な男へ目を向けた。シルヴィアはそのことに気づき、父の服の裾をぎゅっと引っ張る。


「ねえ、父さん。あの人、何なの、悲しいの」


 父さんなら、教えてくれるだろうか。


「ああ、悲しいよ。帰る場所が、どこにもないんだ」


 まっすぐに彼を見つめて、父が言った。


「バルブロとモリーのような存在を、二度と生み出してはならない」


 その言葉の意味をちゃんと知ったのは、もっと後になってからだった。

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