第11話 墓場へ

 常緑樹の森の中は、月の光がほとんど届かず、頼りになるものはバルブロの持つランプと、モリーの赤い目の輝きだけだった。それ以外は一切が闇と言ってもいい。


「ねえ、ヴェスター。さっきの話の続きだけれど」


 メルが暗闇の中で声をかけると、ヴェスターはすぐ近くで「うん」と頷いた。


「ここには、まだ魔法が残ってる。ウィリデの、魔力猫の里みたいにね」


「それってつまり、幽霊が出るとかそういう話じゃないよな」


 これまたすぐ近くでアーサーの声が聞こえた。アーサーはメルのすぐ隣を歩いている。シルヴィアとバルブロはメルたちの少し前を歩いているので、メルたちの会話には参加してこなかった。


「幽霊と魔法に因果関係なんかないよ。さっきからずっと思ってたけど、アーサーって怖がりだよね」


「なっ、馬鹿、違うって。そんなんじゃないってば」


 そう言いながら、アーサーはシルヴィアに預けられたフクロウの入った鳥かごを、胸の前でギュッと抱きしめている。


 メルはため息をついて、ヴェスターをたしなめた。


「夜の墓場が怖くない人なんてそうそういないわよ。私だって怖いわ」


「え、メル、全然怖がってるように見えないよ」


「そう見えてるだけよ」


 正直、他の人もそうであるように、メルにとっても夜の墓場は限りなく行きたくない場所である。


 幽霊なんて信じていなくとも、あまりにその空気が不気味すぎる。暗闇に、静けさに、死者の眠る土の上に築かれた墓碑。考えるだけでゾッとする。しかし、この状況ではシルヴィアと共に行かざるを得ない。そして、今のこの状況は、シルヴィアに本を奪われた自分の失態で起こってしまったことでもある。だからメルは怖い気持ちに蓋をし、これは仕事だと自分に言い聞かせて、落ち着いてことに当たっているだけだ。


「メルは本当に、強いよな。偉いもんだよ」


 アーサーが突然そんなことを言ってきたので、メルは戸惑った。


「強い?私が?」


「ああ、強いよ。今だってそうだし。図書迷宮に一人で残るって言った時もそうだった。それに、新聞で読んだけどさ。王都であった龍と魔女の一騎討ち。あれ、ヴェスターだろ?メルも大変な思いをしてるだろうなって、思った。知ったのは、ことが全部終わった後だったから、何にも力になれなくて、俺……」


 アーサーは声を途切らせてから、遠慮がちに続けた。


「今日、偶然にメルと再会して、そしたらちょうど困ってたから、今度こそは力になりたくて」


 だから、とアーサーの声が不意に力を増す。


「俺も腹を括るよ。幽霊なんて怖くない、夜の墓場だって、怖くないさ」


 メルは返す言葉が思い浮かばず、頼もしく言い切ってくれたアーサーの表情を見つめた。ライトの明かりで深い影の差したアーサーの表情は読み取りづらかったが、ふと、彼の顔に赤みがさしたように思った。そしてアーサーは一人で勝手に慌て出す。


「いや、そうじゃなくて!今は、あの本を取り戻さなきゃいけないもんな!目的を忘れかけてたよ。このままじゃ本は墓場行きだ。このままでいいはずないよな」


「ええ、そうね。そうだけど」


 メルが言いかけると、前方から「うるさいぞ」とドスの効いたバルブロの声が降ってきた。バルブロは立ち止まり、肩越しにメルたちを睨みつける。


「ここは墓場だ。墓場では静かにするもんだろう」


 シルヴィアが、バルブロの言葉を受けてケラケラと笑った。


「死者の眠りを妨げてはいけない。だっけ?そうね、うるさくしてると起きちゃうかも」


「シルヴィア。お前もうるさい。それに、死者が目を覚ますことなどありはしない」


 そう言い残し、バルブロは再び歩き始めた。


「あのおっさんが一番おっかない」


 アーサーが小声で呟いて、「もしかして」とヴェスターへ、先ほどの話の続きを促した。


「ここには、魔法が残ってると言ったよな。あのおっさんが魔法使いなのか?」


「いや、彼は魔法使いじゃないよ」


 ヴェスターはあっさりと否定した。


「でも」


 それ以上ヴェスターの説明は聞けなかった。不意に視界が広げて、バルブロのランプの明かりが墓地を明るく照らしたからだ。


 その墓地は、ただ随分と古いという点を除けば至って普通の墓地だった。芝生の上に灰色の墓碑が築かれ、そこにはその地に眠る人の名前が刻まれている。


 王妃の墓へ案内されたということは、ここはかつてのラゴモンス王朝の王族の墓地なのだろうかと、メルは感慨深く周囲を見渡した。バルブロのランプの明かりが照らす範囲しか分からないが、かつて盗掘にあったという墓地は手入れが行き届いており、墓前には華やかな色の花が供えられている。きっと、この無愛想なバルブロという男が、毎日墓地の手入れや掃除をしているのだろう。


 そのバルブロは、先頭に立って墓地の奥に進むと、「ここだ」と言って立ち止まった。つまりそこが、王妃の墓だということなのだろう。


 王妃の墓は、驚くほど小さかった。簡素な石碑が一つあるのみ。そこに刻まれた文字は、風化した上にさらに苔がむし、文字を読み取ることはできなかった。


 バルブロは皆に「ここにいろ」と告げると、自身は墓地のさらに奥の暗がりへ歩いて行った。彼の持つランプの明かりだけが、彼の居場所を教えてくれる。そしてその明かりは、すぐまたこちらへ戻ってきた。


 バルブロは、手に持っていたランプを無言でシルヴィアへ押し付けると、墓の前の地面へショベルを突き立てた。どうも彼は、これを取りに向こうへ行っていたらしい。バルブロは短く祈りを捧げてから、再びショベルを持ち上げ、墓石のすぐ前の地面を無言で掘り進めた。


 シルヴィアは言っていた。棺の中へこの本を葬るのだと。だから彼は、地面を掘っている。


 さすがに、メルも恐ろしくなった。理由があるにせよ、何百年も前に死んだ人間の墓を暴くなど、到底褒められたものではない。別に幽霊や祟りを信じているわけではないが、背徳感というものが背筋をゾワゾワと這い上ってくる。そして最も明確な恐怖があった。棺の中へ本を葬るとはすなわち、棺を開けるということだ。今、ここで。亡骸の収められたそれを。


 コツンと、ショベルが硬い何かに当たる音がした。土中から、とうとう棺が姿を現したのだ。


 メルは、先ほどから何も喋らないアーサーの横顔をちらりと盗み見た。ランプの明かりで照らされ、顔に濃い陰影が落ちていてもはっきり分かるほど、彼の顔は青ざめている。きっと今、自分の顔もこんな風になっているに違いない。


 再び土中へ視線を戻すと、バルブロが全く躊躇することなく、棺にかぶっている土を脇にどかす作業へ没頭していた。彼も慣れているのだろう。シルヴィアの口ぶりからも、彼女、もしくは彼女の一族はきっとこれまで幾度となく盗掘された副葬書を奪還し、この墓地に住む所有者へ返しに来たのだろうし、その度に彼は墓を掘り、棺を開けたに違いない。


 そこまでして。と、メルは思う。もちろん、信仰を蔑ろにしたいわけではない。それでも、先の大戦で大陸中に散った先祖の作った書物を、危険や法を犯してでも取り戻し、墓を掘り返して律儀に棺へ葬るシルヴィアの執念は度を越しているように思える。いや、シルヴィアに限った話ではない。彼女の一族も、また。


 パンパンと、バルブロが手についた土を叩き落とした。メルの思考が現実へ引き戻される。


 土中からは、朽ちた木の棺が出現していた。あの仕掛け絵本が死者のために捧げられる特別な書物だというにならば、この棺には彼女が眠っているのだ。御伽噺の主人公のモデルとなった、数百年も前の時代を生きていた亡国の王妃が。


 その王妃の棺の蓋へ、バルブロが手を伸ばす。


 その瞬間、ランプの明かりがふっとかき消えた。

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