第4話 玻璃の龍の仕掛け絵本

 ソルヴィ氏の邸宅は、現在では観光名所になっている古い城塞のある頂上から少し下ったところにあった。石造りの塀に囲まれた、美しい赤レンガ造りの邸宅は、王都の貴族街にある古い建物とよく似ている。だが、塀の向こうに見えるオージアーチ形の屋根をつけた二つの小さな塔の間隔を見るに、王都のものよりもこじんまりとしている。土地が狭いせいだろう。


 ヘインズは正面に当たる木製の扉の前に立つと、ドアノッカーを鳴らして屋敷の主人の登場を待った。そこへ、一羽のフクロウが羽音も立てずに舞い降りてきた。扉の上部を掴み、首をコテンと傾げて特徴的な大きな瞳でこちらを見下ろしてくる。


 ヴェスターはメルの肩の上に登ると、そっと話しかけた。


「あれは昼行性のクロブチフクロウだ。でも、こんな標高の高いところにいるなんて珍しいね」


 よく見てみれば、こちらをしげしげと見下ろしてくるフクロウの顔盤を縁取る羽毛は、濃い黒色をしている。白い体に点々と散った黒い模様も特徴的だ。やがて、扉がギイと内側から開くのに驚いたのか、フクロウは慌てた様子でどこかへ飛んで行ってしまった。


 出迎えに来てくれた執事らしき初老の男性は、たった今飛び立っていったフクロウのことには全く気付かず、「王立図書館からの御一行様ですね」と、ヘインズが名乗りをあげる前に言い当てた。執事たちはメルたちを招き入れ、正門を抜けて小道を行き、屋敷の中へ通す。ヴェスターも一緒に入ろうとしたのを見てさすがに眉を上げた執事に、メルは「あの、この子はとても賢いので、悪さをすることはありません」と、慌ててヴェスターを抱き上げながら言った。


「それはトーマス様がお決めになることです」


 ひとまず、ヴェスターの同伴を許してくれたのか、執事はそれ以上何も言わずに中へ案内してくれた。


 質素だが、品のある装飾と色味で統一されたエントランスホールから上階へ上がる階段を、執事の後ろについて登っていると、スーツ姿の大柄な青年が廊下の向こうからこちらへ歩み寄ってきた。執事が恭しく一礼して道を譲るに、彼こそがこの屋敷を相続したトーマス・ソルヴィと見て取れた。


「遠路はるばるようこそお越しくださいました」


 ソルヴィ氏は立ち止まって挨拶をすると、握手を求めてきた。


 ヘインズ、続いてメルの前へ立ったソルヴィ氏の頭は、メルの頭二つ分ほど高い位置にある。彼の顔立ちは極めて彫りが深く、王立博物館に展示されている石膏像を彷彿とさせる。明るいブロンドの髪は後頭部に向かって撫でつけられ、その秀でた顔立ちを余すところなく見せていた。その顔が不意に驚いた表情を見せ、ふっと口元が緩む。


「これはこれは、もしかしてかの有名な、王立図書館の案内猫ですか」


「ご存知なんですか?」


 メルは仰天して名乗る前に思わず尋ねた。


「ええ、もちろん。定期購読しているタブロイド紙に記事が載っていましたから。それと、おそらくあなたのことも。その黒猫は、銀髪の司書といつも一緒にいると」


 いつの間にそんなことになっていたのかと、タブロイド紙を購読していないメルはぽかんとなった。


 仕切り直して互いに挨拶を簡単に済ませた後、ソルヴィ氏が自ら案内すると言って、執事を下がらせた。


 案内する間、ソルヴィ氏は沈黙が下りないよう巧みに話題を提供してくれた。


「この屋敷は、一族でプラケルセイユへ引っ越す際、もともと売りはらう予定だったそうなんです。私が生まれる前にね。でも、蒐集した書物の保管場所にしたかった祖父が反対して、結局売り払われる事なく、今日では私が相続しています」


 聞けば、かつてこの地の領主でったソルヴィ氏は三代前に一族の土地を捨て、総出でプラケルセイユへ移住したらしい。当時から本の蒐集に目がなかった若き日の祖父は、屋敷を丸ごと書庫にしたかったらしく、一族を説得して売却をやめさせた。彼の祖父は移住後も買い集めた本を少しずつこの屋敷に運び入れ、晩年には、ここを終の住処とした彼のための僅かな居住空間を残し、屋敷中を書物で埋め尽くしたらしい。孫にあたるトーマス・ソルヴィが、祖父の死後にこの屋敷と書物を相続した現在においては、プラケルセイユから遺品整理にやってきた彼の手によって、だいぶ片付いたらしいが、来た当初には廊下にまで本が積み上げられていたという。


「大変な蒐集家だと、その手の界隈では有名だったらしいですね」


 ヘインズが口を挟むと、ソルヴィ氏は苦笑混じりに言った。


「私も本を読むことは好きですが、あくまで人並みにです。祖父の熱量にはかないませんよ」


 ようやく通された部屋は整理の途中なのか、中途半端に空いた書棚と本がぎっしりと詰め込まれた木箱があちこちに積み上がっていた。


「お爺様の集められた本は、すべて手放すのですか」


 部屋の様子を一瞥したヘインズが尋ねると、「すべてではありません」と、トーマスはまだ書棚に並べられている書の背表紙を無造作に撫でた。


「でも、できるだけ図書館へ寄贈するつもりです。祖父は一部の人にしか自分の集めた本を見せなかったそうですけど、それでは勿体無い。ここには、貴重な本もたくさんあります。できれば、公的機関に管理してもらいたい。そして、学術的な研究や調査に役立ててもらえれば光栄だ」 


 そこで一旦言葉を切ると、ソルヴィ氏は破顔した。


「まあ、正直言うと、これだけ膨大な数の書物の管理は、何の専門知識も持たない一個人には荷が重すぎるから、というのが一番大きな理由なんですけど。その荷の重さを僕に突きつけてきたのが、この本ですよ」


 部屋の一番奥。大きな四つ足テーブルの上に、一冊の大型本が開きっぱなしの状態で横たわっていた。


 メルは息を飲んだ。一瞬でその書物に目が釘付けになる。ヘインズも同様のようで、近寄るのでさえ恐れ多いと言わんばかりの遅々とした足取りで、テーブルの横に立つソルヴィ氏の元へ歩み寄り、世界で立った一冊しかない稀覯本をその目に入れる。


 メルはテーブルを左側から回り込んで、ヘインズとソルヴィ氏と向かいあわせになって、今回の旅の目的であるその本を眺めた。見事としか言いようがなかった。


 仕掛け絵本の名の通り、開かれたページからは、緑青色の龍の立体的な絵が飛び出している。いや、むしろそれは絵ではなく、龍の縮小模型と呼べた。精緻な設計の元で組み上げられ、蛇腹状に折りたたまれた薄く頑丈な骨組みが、本が開かれると同時に広がり、今こうして、メルたちの眼前に、あたかも絵本の世界から現実世界へ飛び出してきたかのように、龍の体を顕現させているのだ。


 メルは少し背をかがめて、精緻な龍の模型をよくよく観察する。


 驚くべきことに、龍の体は鱗の一枚一枚すらも表現されていた。森の奥でひっそりと湧き上がる泉に似た色のそれは、まるで本物の鱗のようだ。


 肩甲骨から大きく盛り上がった翼の皮膜部分には、金刷りとも銀刷りとも取れぬ不思議な色をした薄い紙が使われている。目の部分には西方の技術である玉眼が使われているのか、作り物であるはずの龍に確かな生気を宿らせている。

 

 メルは、龍の足元に視線を滑らせて、これはおとぎ話のどの場面を表しているのかを判別した。今まさに、紙という大地から飛び立とうしている龍の脚は、太い木の根を引きちぎっている。これはもう物語の終局だ。


 姫に追い立てられ、身を蝕む呪いからまさに今解き放たれた龍が、物悲しい声をあげて永遠に戻らぬ旅路へと発つ別れの場面。


 物語はこの言葉で締めくくられる。


『お姫様と龍は、その後二度とは、会うことはありませんでした。会うことは、なかったのです』


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