第3話 コレス・ヴェルト図書館
「やあ、遠路はるばるようこそお越しくださいました」
館内は、外にあるような街路灯の暖色の明かりで煌々と照らされていた。しかし、読書をする分には不自由しないギリギリまで明かりは落とされている。夜、暖炉の炎のそばにいる時の明るさと同じくらいだろうか。
メルたちを出迎えた五十代と見える中肉中背の男性は、コレス・ヴェルト図書館の館長を勤めているフィリップ・モンティースですと名乗り、握手を求めてきた。
ヘインズ、ついでメルと握手を交わしてから、メルの肩にのるヴェスターを見て眉を上げる。
「小さなお客様も、ようこそ。そちらの館長から聞いております。王立図書館に住み着いている賢い黒猫のことをね。なんでも、人の言葉を理解して、探している本の場所まで案内してくれるとか」
ヴェスターはただの猫の振りをして、「ニャア」とモンティース館長へ挨拶する。メルはいつのまにそんな噂が立っていたのかと、ヴェスターをチラと見やった。
モンティース館長の方は、ひと好きのする朗らかな笑みをたたえて、一同を奥へ進むよう促した。
「ご存知かとは思いますが、本館は先住民が暮らしていた洞窟を改造して造られた宝物庫が起源となっております。かつてこの地の領主であったソルヴィ家が収集した宝を収める、あくまで私的な場所だったここを一般市民にも開放したのは、現当主の三代前に当たるサイラス・ソルヴィ。以後、改築増築を重ねながら、現在では博物館と図書館を兼ねた総合施設になっております」
立て板に水を流すようにスラスラと話すモンティース館長の前に、小柄な人影がさっとよぎった。
「パルマ!」
館長に呼び止められ、その人影は明らかに怯えた反応を見せた。
「はいいい!すみません!」
ただでさえ小柄だというのに、頭を下げんと体躯を折り曲げたせいでますます小さく見える。メルは眉をひそめた。パルマはこんなに背が低かっただろうか。
「何を謝っているんだね?まあいい。それよりなぜ前から現れた。王都からのご一行の方々と一緒に、私の後ろをついてきているのではなかったかね?」
「え?いやでも館長……?えっと、そう……そうですね。はい、すみません後ろに戻ります」
恐る恐るといった様子で頭を上げたパルマの顔を見て、不可解さはいよいよ頂点に達する。宿から図書館までメルたちを案内してくれたアナスタジア・パルマとは、全く顔が違うではないか。象牙色だったはずの滑らかな肌にはそばかすが散らばり、髪も黒ではなく茶。切れ長だったはずの目は子供じみた大きな目をしている。メルたちの後ろへ回る別人のパルマを目で追うと、黒髪のパルマの姿はどこにも見当たらなかった。
「館長、失礼ですが、その方は先ほど私たちを案内してくれた図書司書とは全くの別人に見えますが」
ヘインズが問うと、館長は目を丸くする。
「何をおっしゃいます。私は昨日、皆様を案内するようにと、パルマへ指示を出したのですよ」
「では、さっき私たちがここへ入ってきた時、すぐ後ろに控えていた黒い髪の司書を見ませんでしたか?」
「いえ、見てません」
館長は少し視線を上に上げて、「んん?」と首をかしげる。
「そういえば、今の今まで一度もパルマを目にしていないような」
「あ、あの、もしかして、誰かが私の代わりに案内人を務めてくれたのかもしれません」
後方から遠慮がちな声が発せられる。別人のパルマの方だ。
「代わりに?」
パルマは大きな目に涙を溜めながら、怯えた子リスのように告白した。
「その、あの、私、今朝起きた時、いつも肌身離さず身に着けているブローチがなくなっていることに気づいて、母の形見の品だから、どうしてもそのままにできなくて、探してたら、時間が来ちゃって、約束の時間をすっぽかしてしまったとてっきり……」
館長は明らかに何か言いたそうな顔をしていたが、客人の手前、そう強くパルマを責めるわけにも行かなかったのだろう。短く深呼吸してから、パルマを怒る代わりに尋ねた。
「確か、寮部屋だったな。同室の司書は……」
「シルヴィアです…」
館長は片手でこめかみを揉んだ。
「館長、何か問題が発生したのでしたら、我々は自由に見学させていただきますので、どうぞご遠慮なさらずに」
ヘインズが気を利かせていうと、館長は申し訳ないと何度も謝りながらパルマを連れてその場を去っていった。
その後、メルたちは館内をくまなく歩き回った。
コレス・ヴェルト図書館の見学は視察も兼ねていたので、ヘインズは何か思うところがあれば逐一ノートへ書きつけていた。メルも、王立図書館とは異なる点、見習うべき点、ここはもっとこうした方が良いのではないかという点を、ヘインズほどではなかったが持ってきていたメモ帳へ書き込んでいく。
こうして他の図書館を視察することは、それほど珍しいことではない。王立図書館にも、他の図書館から司書たちが視察に訪れることもよくある。そうやって互いの図書館をよく知る事で、図書館の運営やあり方をよりよくしていこうという理念のもと、視察は定期的に行われていた。もっとも今回の視察は、メルたちがコレス・ヴェルトへ寄贈本を受け取りに赴く事によって急遽発生した視察だったが。
やがて昼食の時刻になると、館長がメルたちのもとへ戻ってきた。先ほどの一件を再度詫びて、二人を出口まで見送ってくれる。
「ご一緒できず、申し訳ありませんでした」
「いえ、どうぞお気になさらないでください。それよりも、今日はどうもありがとうございました。大変有意義に見学させていただきました」
「それは良かった。そちらのマクレガン館長の方へもよろしくお伝えください」
二人が仕事的な会話をやり取りしながら握手する様子を、ヴェスターは退屈そうにメルの足元で眺めている。その証拠に「ふわあ」と大きなあくびをした。メルは視線でそれをたしなめながら、自身もお礼の言葉を言って図書館の入り口の前で館長と握手を交わした。
最後に館長は、これからメルたちが会いに行くソルヴィ氏の名前を口に出した。
「先月お亡くなりになったソルヴィ氏は、稀代の蔵書狂と呼ばれるほどの書物好きとして有名でありました。私も、生前の彼とは親しくさせていただき、何度か彼のコレクションを見せていただいたことがあります」
「確か、図書館と比べても見劣りしないほどの数の書を保有しておられるとか」
ヘインズが返すと、館長は「それはもう」と頷いた。
「この街には図書館が二つあると言ってもいいでしょう。もっともソルヴィ氏は、人にコレクションを見せることはあっても、貸すようなことはありませんでしたが。それも、また少し変わってくるかもしれませんがね」
「遺産を相続したトーマスさんですね」
「ええ、彼は幾分広い心をお持ちのようで、大量にある蔵書の一部を我が図書館の方へ寄贈したいと申し出てくださいました。例の稀覯本もその中に含まれていたのですが、痛みが激しく本格的な修理が必要な状態でした。我が館ではそれを修復する職人がおらず、そうしたものが揃っている王立図書館の方で保管していただくのがもっとも良いだろうと思い、紹介状を書かせていただいた次第です」
館長は真剣な眼差しで、丁重に頭を下げた。
「あれは歴史的資料、そして美術的資料としても非常に価値の高い書物であり、後世に残すべき国の宝でありましょう。どうか私からも、あの本のことを、よろしくお願いいたします」
コレス・ヴェルト図書館をあとにしたメルたちは、近くのレストランで昼食をとり、いよいよ今回の旅の最終目的であるソルヴィ氏の邸宅へ向かうこととなった。
その道中、ヘインズは彼女にしては珍しく、興奮を隠しきれないでいた。
「あくまで仕事の一環とは言え、一般公開されていない世界でたった一冊しかない本をこの目で見ることができるとは、そうそうあることではありませんよ。しかもそれを我が館に寄贈してくださるというのですから、司書としてこれ以上の誉れはありません。もちろん、本当に我が館で受け入れるかどうかは、きちんと現物の状態を見てみないことにはわかりませんが」
いつもと変わらない声のトーンで、いつもより長く語るヘインズを、メルは微笑ましく見守った。いつもつっけんどんな態度のヘインズは少し苦手ではあったが、彼女もまた本を愛する一人の人間であるのだということを、今回の旅で再確認できた。
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