第9話

現実は、自分のイメージの延長にすぎない


例えば自分に夢があるとする。重要なのは、自然と「そうなった自分をイメージできるか」ということだ。

夢とイメージが別々のものだとしたら、イメージの方が現実をリードしているような気がしてならない。

イメージが現れて、それが現実になる。


イメージは、潜在意識からやってくるのではないかと思う。よって、非言語的であり、直感的だ。

夢は、例えばピアニスト、弁護士など、ノーベル賞など、世俗的な肩書きで表される場合が多い。(もちろん夢は同時に目標という側面があるので、それはそれで重要だ。)


何が言いたくなったかわからなくなった。

けど、もし自分に迷いが生じたなら、自分のイメージできる方に近づくようにした方がいいのではないかと思う。

夢に近づくというより。


人間はとかく、我ありきと考えてしまいがちだが、それは、人間の一側面を言っているにすぎない。仏教では、我ありきという邪見があるために、人間は常に苦しみの中にあるということさえ言われている。


我が、顕在意識の産物だとするなら、潜在意識は、仏教の言っている業や輪廻の産物なのかもしれない。

あまりにも頭のよくなった現代人にとって、そこはまだまだスポットを当てていない分野だと思う。心理学では不完全に研究が進んでいたりはするけど。


自分のイメージしたことは、割と現実になりやすい。自分のイメージが外れていたら、想定外という言葉を使ったりする。


そこで、もしイメージできないことがあったら、どうしようという問題が浮上する。

仕事でも、人間関係でも「これはちょっと自分にはイメージができないな(青写真が作れないな)」ということがたまにある。

その時にこそ、イメージを持たないことをよしとするしかないのではないか?

イメージは、良くも悪くも自分を縛りつける一因だとも言えるので。


「どういう事態になろうと、うまく対処してみせようではないか」という気構えを作るしかないと思っている。その時は顕在意識はもちろん、潜在意識も総動員するという事態にはなるんだけど。











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55歳の手前にて @hidemanz

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