4-2 線で繋ぐ
名古屋駅から名鉄あるいはJRで二駅。もしくは地下鉄東山線に乗り、栄で名城線左回りに乗り換えてから四駅。
金山総合駅の程近く、とある雑居ビルの二階に、小さな事務所がある。
看板は出しておらず、玄関扉の表側にレトロな風合いの小さな表札がかかっているだけ。
そこには、こんな飾り文字が並んでいる。
『樹神探偵事務所』
樹の神と書いて『こだま』と読む。
密室殺人なんかとは縁がないけれど、この探偵事務所にはちょっと変わった依頼が持ち込まれる。
僕の名前は服部
ここで
今回ご紹介するのは、果たされなかった約束が引き起こした悲劇と奇跡。
封じられた記憶の中には、いったい何が眠っている……?
◇
その日、僕が事務所へ赴くと、いつも通り先生が迎えてくれた。
「やぁ、服部少年」
スーツベストにネクタイ、一つに括った長髪。珍しくも、いきなり煙草片手に緩い表情だ。
事務所の中に先客の姿を認めて、先生のリラックスした様子に合点がいく。
「あら、服部くん。こんにちは」
「こんにちは、
マホガニーの書き物机の前で楚々と微笑むのは、先生のハトコにして異能調香師の百花さん。
今日は若草色の地に白い水玉模様の着物だ。それにピンクや水色の洋風の花の絵が入ったクリーム色の帯を締めている。
カジュアルだけど、ふんわりしていて可愛らしい。三月初めという今の季節にも合う。
二人は机の上に地図を広げて、何か話をしていたようだった。
「それ、何の地図ですか?」
「ここ半年ぐらいで起きた怪奇事件の地点を書き込んだ地図だよ。同業者から聞いた話やネットで拾った情報を反映した」
「あたしんとこにも、ちょいちょい妙な依頼が来とってね。こないだみたいな物理的なパワースポット荒らしなんか、割とぽつぽつあるよ。生身じゃなきゃできんのに」
こないだとは、先月下旬にあった
「市内の除霊師のネットワークでも、このままにしとくのはマズいってことになったの」
「あの生霊の本体はどこにおるんだろうな。それを突き止めんことには、今後も被害は増える一方だ」
「で、地図を眺めとったんだけどね。あんまし規則性がないのよ」
「服部少年も、気付いたことあったら教えてよ。君の若い頭脳だったら何か妙案が浮かぶかもしれん」
そういう期待のかけられ方は結構困る。
ともあれ、僕も荷物を下ろして輪に加わった。
地図は名古屋市内のものだ。付けられた×印は、全部で十ほど。
名駅、塩釜口、
百花さんの言う通り、確かに規則性がない。市内に満遍なく点在し、共通項があるようには思えなかった。
それぞれの地点の周辺を精査するうち、僕はあることに気付く。
「あっ……これ」
「どうした?」
「いえ……もしかしたら僕、すごいことを発見したかもしれません」
「えっ、何なに?」
僕は二人の顔を順に見る。
「いいですか、よく見てください」
地図上のあるものを、一つ一つ指さす。
「これも、これも。どこのポイントも……近くにヨネダ珈琲店がありますよね」
間。
「あぁ、あるね」
「それぞれのヨネダ珈琲店を線で繋ぐと、何かの図形に見えてきませんか? まるで魔法陣のような……」
再びの間。
先生は煙草を一口吸い、静かに煙を吐き出した。
「服部少年よ、ヨネダなんて名古屋市内のそこいらじゅうにある。無限に図形が描けるだろ」
「まぁ……そうですね」
言われるまでもなく、事件とは関係ない場所にもヨネダ珈琲店は存在する。それもたくさん。
うぅむ、閃いたと思ったんだけれど。ミラコレでもそういう展開あったし。
「あっははは!」
百花さんがお腹を抱えて笑っている。
僕はかぁっと頬に熱が上るのを感じた。シンプルに恥ずかしい。
「君さぁ、賢いくせに時々大ボケかますよな」
「やだもう、今後ヨネダ見るたび思い出してまうわぁ」
呆れられて、笑われる。
小学校時代ごろまで、僕の発言に対して級友からたびたびあった反応もそれだった。
だけど今のは全然違う。
心地よくて、温かい。
以前なら考えられなかった。こんな居場所を得られるなんて。
「でも線で繋ぐって観点で見てみると、どこも地下鉄の沿線上のことない? あたしも毎回地下鉄で移動できたもんで、便利っちゃあ便利だったけどね」
地下鉄での移動は便利。
そのフレーズが、なぜか胸に引っかかった。何かを思い出せそうで思い出せない。
似た感覚を、最近経験した気がする。何か忘れている。それを誰かに指摘された。
何だっけ。何だっけ……
「確かに、どれも地下鉄の駅から歩ける場所だな」
「こないだの石神神社も、タクシー横付けした駅の出口の位置ですら異様な気配を感じたくらいだったもんねぇ」
「服部少年たちが狭間の世界に引っ張り込まれとったでな。そんなことまでできる生霊って——」
「あっ!」
突然大声を出した僕に、先生と百花さんが揃って視線を向けてくる。
「どしたの、急に」
「あ、いえ、すいません。ちょっと思い出したことがあって」
「思い出したこと?」
「石神神社で生霊に襲われた時のことです。あの霊、僕のことを知っとるような口ぶりでした。『あの時の子か』って訊かれて」
先生が、げほっ、と咽せ込むように煙を吐いた。
「そういうことは早よ言えよ。重要な手がかりだよ!」
「思考が飛んじゃってたんですよ。めちゃくちゃ身体を締め付けられて、マトモに物事を判断する余裕もなかったんです」
本当のところ、芽衣さんのことで動揺して自分のことに気が回らなかっただけだ。
「服部少年を知っとるとなると、あの時か」
「そうかもしれません。でも僕自身、あの時のことをほとんど覚えてないんです」
「ねぇ、あの時って?」
口を挟んだ百花さんに、先生が答える。
「七年前、俺と服部少年が初めて出会った時のことだよ。俺の大学時代の恩師に頼まれたんだ。甥っ子が神隠しに遭ったかもしれんで、調べてほしいって」
「僕が狭間の世界に『引き込まれ』て、出られんくなったんです。それを、先生が助けてくれました」
百花さんが小首を傾げる。
「へぇ? ほんなら
「いや、その時は服部少年を連れ帰るだけで精一杯でな。原因の霊は上手いこと捉えきれんくて、取り逃した」
「そっかぁ。まぁ、『引き込まれ』の解決として見や、それで十分だもんねぇ」
「でも、そいつが今になって悪さしとるんだとしたら、いかんかったなと思うよ」
百花さんが傾げた小首を元に戻す。
「服部くんの話せる限りでいいんだけど、どんな状況だったの? その時と同じ霊だとしたら、手がかりになるかも」
「それが……本当に覚えてないんです。そこ、僕の祖母が入院しとった病院なんですけど。その時にはもう退院した後で、用事なんかなかったはずなのに、なんでか僕一人で病院におったんですよ。僕、当時まだ小四で、一人で地下鉄に乗ってそこまで行ったなんてあんまり考えられないんですよね」
病院という『場』に、元々霊感のあった僕の『波長』が合い、何者かの『念』に引き込まれたのだろうけれど。
『引き込まれ』に遭った出来事の前後関係が、ひどくぼんやりしている。
「『場』はどこ? 何て病院?」
「ほら、中村区の」
「……あぁー」
僕が示した地図上の地点を見て、百花さんは顔を軽くしかめながら頷く。
「そこねぇ、かなーり曰く付きの場所だよね」
「え、そうなんですか? まぁ、昔からある病院ですもんね」
「いや、それだけじゃなくって、病院が建つ前の話よ。元々池だったの、
「ゆうり?」
「昔あの辺、中村遊廓があったでしょ。その隣にあった池」
昨年秋にあった
百花さんは、低い声で続ける。
「その池、娼妓が投身自殺したり、病死した身寄りのない遊女の死体が棄てられたりしとったんだよ。その埋め立て跡に、あの病院は建っとんの」
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