3-9 選べるもの
「私さ、昔っから変に真面目で、ちょっと何かあると強く言い過ぎてまうところがあって。そのせいで、よく陰口言われとったんだ。『いい子ぶってる』とか『張り切りすぎてイタい』とか。ひどいことない?」
石神神社での一件があってから、しばらく後。
先生の仕事の邪魔にならないように、僕たちは一階にある喫茶店に移動した。
年季の入ったテーブルを挟んで対面に座り、僕はホットコーヒー、遥南はコーヒーフロートを頼んだ。
そしてなぜか、愚痴みたいな話を聞かされている現在。
「もっとみんなみたいに空気読んで、適当にやれたらいいんかなぁ」
「いや、でも、『適当』って一番難しいと思うよ。何を選んだら『みんなと同じ』なのか、僕も未だに分からんし」
「確かにねー」
僕とは違って『マトモ』な遥南にも、『世間一般の普通』はずいぶん窮屈らしい。方向性は真逆だけれど、僕も遥南も『普通』を選ぶことに苦労している。
そもそも、取れる選択肢は初めから限られているんじゃないだろうか。自分の意思に関わらず、見えない何かの力によって立ち位置を決められてしまうから。
それでも強くいられる遥南を、羨ましく思う。
「でもね、芽衣だけは絶対そんなこと言わないんだ。優しくて、いい子なんだよ」
「うん、何となく分かるよ」
「私、芽衣がおらんかったら、教室で独りだったと思うもん。一人で突っ走りそうになっても、慎重派の芽衣が一緒だったら、ちょっと立ち止まろうって思える。イライラした時とかも、芽衣のおかげで気持ちが軽くなったことが何回もある。助けてもらっとったのは、本当は私の方なんだよ」
そう言って、遥南は軽く俯いた。
コーヒーフロートのバニラアイスが、ほろりと溶けて形を変える。拡がった白がコーヒーの黒に混じるか混じらないかのうち、遥南は視線を落としたまま再び口を開いた。
「少し前、お母さんに言われたんだ。芽衣みたいな子と遊ぶのやめなさいって。芽衣の様子がおかしいの、他の子の親から聞いたみたいでさ」
「そう、だったんだ……」
遥南はぐっと顔を上げると、強い眼差しで言った。
「私の大事な友達を悪く言うのは、誰だろうと許せない。そもそもお兄ちゃんを家から追い出したことだって、私は全然納得できとらんもん。大人って勝手だよ」
少し驚いた。家族が壊れてしまった原因は僕にある。一緒に暮らしていた時、悪影響があるからと、僕は遥南から遠ざけられていた。
だから、遥南がそんなふうに思っているなんて知らなかった。ひっそりと胸が詰まる。
遥南が、コーヒーフロートをストローでぐるぐるかき混ぜた。アイスの溶け込んだコーヒーは、柔らかな薄茶色に変わっていく。それは輪郭を失いつつある氷の塊の合間を縫って、グラスの底へと到達した。
「でも、今回のことで、そんな大人ばっかじゃないって分かった。
「そっか。あの後どうなったんか、ちょっと気になっとったんだ」
「芽衣、今度スクールカウンセラーの人と面談するんだって」
「それは良かった。いい方向に進むといいね」
芽衣さんのことを思い出すと、罪悪感ばかりが湧いてくる。だからせめて、彼女が少しでも楽に生きられる方法があればと、人知れず遠くから祈っている。
「ありがとね、お兄ちゃん」
「いや、僕は何もできんかったから……」
「そんなことない。お兄ちゃんが手伝ってくれたおかげで、私は芽衣を助けられたんだよ。一人だったら絶対無理だったもん」
そんなはずはない。そうであってほしい。
相反する気持ちが同時に湧いてくる。
ただし正面から言われると、否定も肯定も難しい。
「芽衣、お兄ちゃんに迷惑かけたって気にしとったよ」
「いや、迷惑なんて全然思っとらんけど」
おや。つい先日、これと似たやりとりをした。その時は、僕が迷惑をかけた側だったけれど。
むしろ芽衣さんに対しても、迷惑をかけた側のような気がしているのだけれど。
「良かったら、また芽衣の話を聞いたってよ。やっぱ、視える人の方が分かることってあるだろうし」
「あぁ、うん……」
もしや本題はそれだろうか。やけに芽衣さんの話題が多かったのは、気のせいではないと思う。
遥南は知らないのだ。僕と芽衣さんの間に何があったのか。
正直、誰かと深く関わるのが怖い。また下手なことをして、傷付けてしまうのが怖い。
芽衣さんだって、もう僕と関わるのは嫌だろう。
互いに何となく無言になる。
僕はすっかり冷めた残り少ないコーヒーをさっと飲み干した。舌の上に、苦い味だけが残った。
店を出て、別れる直前。
「あのっ、お兄ちゃん」
どことなく意を決したふうに、遥南が言った。
「私も、また連絡していい?」
「え?」
「家でやなことあった時、とか、いろいろ……」
ぼそぼそと消え入る語尾。
あぁ、なんだ、そんなこと。
「別にいいよ。家に居づらい時とか、叔父さんも協力してくれると思うし」
そう答えると、遥南の表情がホッと緩んだ。
「うん、そうする」
軽く手を振り交わし、セーラー服の小柄な後ろ姿を見送る。
なぜ遥南が僕を訪ねてきたのか。鈍い僕はやっと合点がいった。
強いだけの人なんて、この世に一人も存在しない。当たり前のことなのに簡単に忘れて、すぐ羨んだり妬んだりしてしまう。
僕の視点から見えるものは、世界のほんの一面でしかない。
たぶん、これはこれで良かったのだろう。
ほとんど結び付きのなかった妹と、話ができるようになった。
大人たちが決めた線引きを、僕たちは一つ踏み越えた。
敷かれたレールの上にある分岐点に気付くことができた。どの道を選んでもいいのだということに。
急に開けてきた視界に、解放感より不安が勝る。新たに選び取った道の先で見知らぬ景色に囲まれたら、きっと放り出された迷子みたいになるに違いない。
今はまだ子供でいい。だけど、いつまでもそうじゃない。
子供時代はいずれ終わる。
否が応でも、大人になる。なってしまう。
それなのに、自分が変われなかったらどうしよう。
いつも判断が甘い。知らずに誰かを傷付ける。体質をコントロールしきれないことだって多い。
己の未熟さに腹が立つ。
結局、どんな一歩を踏み出すのにも躊躇する。
そのまましばらく立ち尽くしていたら、頭上から声が降ってきた。
「服部少年! 妹さんは?」
事務所の窓から顔を覗かせた先生だ。
「あ、もう帰りました」
「じゃあ、上がってきて手伝ってよ。資料の整理をしたいんだ」
夕暮れ時の陽光が、窓ガラスに反射して目に入る。今日はすごくいい天気だったのだ。
「俺一人じゃ、なかなか終わらんでさ。早よ仕事片付けて、夕飯行こう」
あぁ、そうか、と。
どこまでも鈍い僕は、ここでようやく腑に落ちた。
別に一人ってわけじゃないんだ。
大したことはできなくとも、僕を頼ってくれる人たちがいる。
僕もまた、迷ったら誰かに手を借りればいいし、少し休憩して美味しいものを食べたっていいのかもしれない。
「今、行きます」
僕はビルの中へ戻ると、二階へ続く階段を一気に駆け上がった。
—#3 あめふり・了—
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