2-5 もう一つの事件となごにゃん

 僕たちは社務所の奥の休憩スペースに移動し、状況を整理することになった。

 樹神こだま先生との情報共有を了承した百花もかさんが、出されたお茶を一口飲んでから話し始める。


「あたし今ね、昭和区の秘女ヶ坂ひめがさかの案件を調査中なんだわ。ちょっと前から、妊婦さんや赤ちゃんを抱いた若いお母さんが坂道で転ぶ事故が起きとるらしくてさ」


 名古屋市昭和区、秘女ヶ坂。有名な心霊スポットだ。

 江戸時代だったか、武士と恋に落ちた女性が、その男の子供を産んだ。しかし身分の違いから捨てられてしまい、気が狂って自死を選んだ。

 坂を通った人がその女の霊に気に入られると、どこまでも後をついてくるとかこないとか。そんな謂れのある場所だ。この八事エリアにも割と近い。


「しばらくあの坂に通ってみたんだけど、ぜんぜん亡霊と接触できんくて。みんな警戒してか人通りも少ないし。でもある時、『かごめかごめ』の歌が聴こえるのに気付いたの。その一瞬だけ『念』の気配が濃くなる。だから、しつこくその歌を追ってきた」


 それで、ここ八竈やがま神社に辿り着いたという。


 今度は先生がこちらの依頼内容と進捗状況を掻い摘んで説明した。


「今日は戌の日だ。このところ毎回、安産祈願に来た女性が階段で転倒している。百花さんが受けた案件と似たケースだよ。秘女ヶ坂の霊の仕業だとしたら、子供のいる女性を妬んで襲っていると見るのが妥当だろう。子を産んだにも関わらず男に捨てられた自分とは違う、幸せな女性をね」


 闇が深そうだ。狙われた女性は堪ったものじゃない。


「キモになるのは、やはり歌だな。こちらでは依頼人の比良ひらさんが、秘女ヶ坂では百花さんが『かごめかごめ』を聴いている」


 僕はずっと気がかりだったことを、ついに口にした。


「あの、どうしてお二人には聴こえて、僕と先生には聴こえないんですか? 男だから? 先生さっき、理由は予想しとるって言ってましたよね」

「私も、知りたいです。私以外にも歌が聴こえる方がみえて、ちょっと安心したんですけど……」


 緋奈子さんの視線を受けた百花さんが、紅い唇の両端を少しだけ上げて言った。


「それはねぇ、あたしもお嬢さんも『かごめ』だからだよ」

「『かごめ』? どういうことですか?」


 先生が後を継ぐ。


「『かごめ』が何を表すのか、さまざまな解釈があるという話をしたでしょう。比良さんは、この神社に仕える巫女、すなわち『神宮女かぐめ』だ。加えて、元より霊感があったため、『念』による歌が聴こえた」

「『神宮女』……」


 緋奈子さんは自分の巫女装束をまじまじと見下ろす。


「でも、それで私に歌が聴こえるっていうのは、なんでですか?」

「言葉というものは、発信者の意図がどうであれ、受け手が捉えた形で意味を成します。発信者は、赤ん坊を抱えた女性を探して『かごめ』と呼んだかもしれない。だけど比良さんはそれを無意識に、自分への呼びかけとして受け取ってしまった」


 僕はようやくピンときた。


「例えば、誰かが『服部!』って言うのを聴いたら、本当は僕じゃなくて別の人に呼びかけとるんだとしても、つい反応してまう、みたいなことですか?」

「そうだ」


 だとすると。


「じゃあ、百花さんは?」

「あたしはねぇ、『籠の中の女』だよ」

「籠の、の?」

「うん。籠みたいなところにおったの。夜の間だけだけどね」

「……え?」


 籠、というと狭い小部屋か。その中に、夜の間だけいる女の人。

 連想される事項が踏み込みづらいタイプのものだと思い当たって、それ以上に訊くことができなくなってしまった。

 百花さんは楚々と微笑んでいる。

 相変わらず、綺麗だけれど何とも言えない不思議な雰囲気の人だった。さっきも、姿を見るより先に気配を感知した。胸の奥がやけにざわめく。

 百花さんは、何者なのだろう?


「でも秘女ヶ坂みたいな曰く付きの『場』ならともかく、こんな立派な神社でもそんな現象が起きとるってのは、ちょっと不味いことない? ってことだでね」

「あ、やっぱ百花さんもそう思う? こればっかは元を絶たんと駄目だよな」

「呼び込んでるって……?」


 おずおずと口にした緋奈子さんに、先生は居住まいを正して向き直った。


「先に申し上げますが、今回の現象に関して、比良さんに落ち度はありません。悪い『念』に、たまたま引っかかっただけだ」

「あの……はい」


 その場の空気がにわかに緊張する。先生の声が、慎重なを帯びていたから。


「本来であれば、神社という場所は神聖な力によって護られています。目には見えない結界があり、悪いものは入ってこられないようになっている。だが、神社に属する『神宮女』の比良さんが悪霊の発する歌を受信したことにより、その結界に穴が空いた」


 緋奈子さんが、息を止めたのが分かった。


「もちろん、それですぐに事故が起きるわけじゃありません。参拝者の中にも、霊的なものを引き寄せやすい人とそうでない人がいる。また、時間帯によって『念』の影響力も変わる。さまざまな要因が絡んで、偶発的に発生したんだ」


 情緒の揺れが伝わってくる。無表情に見える緋奈子さんの、心の動揺が。

 無意識とはいえ、自分が事故のきっかけを作ってしまったのだ。ずっと神社の中にいる緋奈子さんは、知らずにアンテナ代わりにされていた可能性すらある。

 胸が痛み、呼吸が浅くなってきた。緋奈子さんの感じているそれを、僕は人知れず共有する。


「『狭間』を覗いても何もなかったのは、亡霊本体が別の場所から『念』だけを飛ばしていたからでしょう。そうやってターゲットを探していたんだ。次のチャンスに『念』との接触を試みます。能力者が二人いれば難しくないはずです」

「ん? 一緒にやるの?」

「……というか正直なところ、百花さん頼みなんだけどね」

「まぁ、その方が手っ取り早いかもねぇ」


 相好を崩した先生は、百花さんと手順などを確認し合っている。

 僕は何となくその場に居づらくなった。今日、来た意味あったのだろうか。


「服部くん、そんなわけで今日はよろしくね」

「えっ?」


 唐突に水が向いて、心臓が跳ねた。

 百花さんが、柔らかな表情でまっすぐに僕を見つめている。


「あっ、は、はい、よろしくお願いしまふっ」


 噛んだ。かぁっと頬に熱が上る。


 百花さんは軽く微笑むと、今度は未だ俯く緋奈子さんに声をかけた。座卓に置かれた菓子を手に取りながら。


「ね、これ呼ばれていい?」

「あっ、はい、どうぞ」

「ありがと。腹が減ってはじゃないけど、向こう行くのにこっちのもんをお腹に入れといた方がいいんだわ」


 そう言って、屈託なく笑う。


「なごにゃん、だね。あたし、これ大好き」


 なごにゃんとは、名古屋に本社を置く製パン会社が製造している饅頭だ。スーパーなどで気軽に買えるもので、僕が居候している叔父の家にも常備されている。


 百花さんに続いて、僕と先生もなごにゃんを一つずついただいた。

 一口齧ればほろりと甘い。薄いカステラ生地の皮の中から、黄色っぽい餡子が覗く。冴えないひよこみたいな色だ。

 甘み自体は優しいのに。次第に口の中の水分が奪われ、咀嚼がもたついてくる。馴染みの味のはずが、何を食べているのかよく分からなくなってきた。


「お茶、お代わりどうぞ」

「ごめんねぇ、ありがとう」


 まったり喋る百花さんにつられて、緋奈子さんがホッとしたように頬を緩めた。


 そこでようやく自覚する。

 今、不安定に傾いている感情の揺れは、僕自身のものだけなのだ、と。

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