2-4 聴こえない歌

 零和三年十二月十六日、木曜日。

 僕は学校を休み、普段より少し早い時刻の電車に乗った。

 服装は迷った挙句、結局いつも通りの制服を選んだ。格式ある神社を訪ねるのに、ジーンズなどの普段着では不味い気がしたからだ。


 待ち合わせは、八竈やがま神社の最寄りである地下鉄鶴舞線の塩釜口駅。

 改札を出たところで、既に樹神こだま先生が待っていた。


「服部少年、おはよ」


 すらりとした長身にロング丈のトレンチコートという、スタイリッシュな立ち姿。こちらは制服の上に何の面白みもないピーコートなのに。


「おはようございます。すいません、少し遅なりました」

「いや、俺も今来たとこだわ」


 彼氏か。


 通りすがりの女性たちが、ちらちらと先生のことを見ていった。

 待ち合わせの相手が僕ではなくて恋人ならば、さぞかし鼻が高いだろう。しかし失礼ながら、先生に彼女がいる状態をさっぱり想像できない。


「学校は大丈夫だった?」

「叔父に事情を話したら、快く欠席連絡をしてくれました」

「さすがだな、君の叔父さんは」

「えぇ、ありがたいです」


 三番出口を出て、八竈神社の案内看板の通りに足を進める。

 空は厚い雲に覆われており、頬に触れる風が冷たい。


「おっと、お地蔵さんだ」


 道端のお地蔵さんで揃って足を止め、二人並んで拝む。じっとしていると尚さら寒い。マフラーが必要だったかもしれない。

 しかし、歩き出せばすぐに急勾配の上り坂が現れて、それを登るうちに身体が温まってきた。


「坂道だらけだね。八事やごと山って言うだけはある」

「この辺、何度かオープンキャンパスとかで来たことあるんですけど、大学の周りも坂がありました」

「あぁ、確かに。うちの大学の構内もそうだったな」


 ここ八事エリアは、地下鉄の数区間の中に一つの国立大学と三つの私立大学が近接する、学生の街だ。

 僕は今年の夏休みに、国立N大学のオープンキャンパスに参加していた。叔父がそこの凖教授だし、先生の母校でもあるからだ。


「でも、服部少年ならこの辺よりもっとレベルの高い大学狙えるんじゃないの? 東京とか関西の方とか」

「うーん、どうでしょうね」


 実を言えば、成績は学年内でも上位にいる。先日の模試の結果では首都圏の難関大学も今のところ合格圏内だ。

 だからこそ今日の補講も休ませてもらえたのだろう。正直、切り出す時はかなり緊張したけれど、理解のある叔父でホッとした。


 せめて勉強くらい頑張らなくては。幼少時からある強迫観念に近いその意識は、今も変わらず頭の中に巣食っている。

 だけど、例えいい大学に入ったとして、その先に何があるのだろう。


 独りが楽だと、自分の力だけで生きていけたらいいと思う一方で。

 何になりたいのか。

 何ができるのか。

 大人になるまでの筋道が描けない。僕は全く中途半端だ。


「どうした? 寝不足か?」


 声をかけられ、ハッとした。

 知らないうちに先生から数歩遅れている。


「いえ、大丈夫です」

「しっかりしてよ。君の共感応エンパスは頼りにしとるんだでさ。何か気付いたら教えてくれよ」

「……はい」


 慌てて足を速め、先生に並んだ。

 少なくとも、ちゃんと役目は果たさねばならない。今、僕は『樹神探偵事務所の助手』なのだから。


 その後も、嘘かと思うほどの急な坂を登り続けた。息が切れてきたころ、ようやく目的地に到着する。

 『八竈神社』と掘られた石柱。石造りの立派な鳥居。

 そして、長い長い階段。

 溜め息が揃う。


「ここからも登りなんですね……」

「君はまだ若いでいいでしょ……」


 二人してこぼしつつ鳥居をくぐった。



「おはようございます。お待ちしておりました」


 ほうほうのていで辿り着いた境内で僕たちを出迎えてくれたのは、依頼人の緋奈子さんだった。

 その姿を目にして、一瞬で疲労を忘れた。

 白い着物に緋袴。どこからどう見ても紛うことなき巫女さんだ。可愛らしい雰囲気の彼女に、とてもよく似合っている。


「こちらへどうぞ」


 くるりと踵を返した彼女の後ろ姿を眺めつつ、先生がぽつりと呟いた。


「いいな」

「いいですね」


 全く同意しかない。


 緋奈子さんの後について、まずは手水舎で手と口を清めた。竹筒の穴から流れ続ける水は驚くほど冷たくて、火照った指先にはちょうどいい。

 立派な門を二つくぐる。

 社務所の奥へと通され、緋奈子さんのお父さんから挨拶された。


「宮司をしております、比良ひら 英嗣ひでつぐと申します。今日はよろしくお願いします」


 ぴんとした白衣はくえと、紫色の地に薄紫の紋が入った差袴さしばかま。白髪を綺麗に撫で付けた、優しげな面差しの人だ。

 先生が紳士然と応じる。


「承知しました。可能な限り、私の方で原因を調べてみます」

「境内は自由に見ていただいて結構です。最初のご祈祷の方がみえるまで、まだ少し時間がありますので。緋奈子、ご案内を」


 こうしてまた僕たちは緋奈子さんの後について、境内のあちこちをぐるりと回っていった。

 他のお客さんがいないうちに、拝殿でお参りを済ませておく。立派な神社だ。制服で来て良かった。

 それにしても。


「本当に階段だらけですね……」

「すいません、こんなところまでご足労いただいて」

「いやいや、私も運動不足だったんでね。ちょうど良かったですよ。我々でこれなら、妊婦さんはもっと大変でしょうね」

「そうなんです。本当は危ないんですよね。事故が起きてるのは、入り口の階段で」


 示されたのは、僕たちが最初に登ってきた階段だった。下っていった先にあの大きな鳥居がある。


「三件ともですか?」

「えぇ。スタッフの見張りを立てたりしてるんですけど、上手く防げずにいます」


 ふむ、と先生が顎に手を添える。


「鳥居の、外?」

「いえ、この階段で転ぶとあの踊り場で止まるので、鳥居の手前ぐらいに倒れる感じですね」

「てことは、鳥居の内側か。神域の中だな。服部少年、どうだ? 何か感じる?」

「うーん……」


 僕は引き締めていた感覚の回線を少しだけ緩めた。しかし。


「……いや、正直よく分からないです。神社らしい清浄な気の流れに思えますけど」

「うん、そうだよなぁ」


 二人して首を捻りつつ、境内へと戻る。

 何気なく参道を歩いている時だった。


「あっ!」


 突然、緋奈子さんが声を上げ、足を止めた。

 一瞬遅れて、ぞっと怖気おぞけが背筋を駆け抜けていく。先生も軽く眉根を寄せているので、同じものを感じたのだろう。


「ねぇ、今、聴こえました?」

「え?」

「歌。かーごめかごめ、って」


 僕たちは思わず顔を見合わせる。


「聴こえた?」

「いえ……」


 再び回線を開いてみる。だけど、確かに感じたはずの只ならぬ何かは、もう跡形もなかった。

 先生がポケットから懐中時計型スマートウォッチを取り出し、時刻と現在地を確認する。


「ちょっと様子見てくるわ」


 そしてスマホを僕に預け、静かだが良く通る声で唱えた。



 きん、と耳の奥で鋭い音が鳴り、一瞬にして先生の姿が掻き消えた。

 緋奈子さんが目を瞠り、辺りをきょろきょろ見回す。


「えっ? えっ?」

「あ、大丈夫です。すぐ戻ってくるはずです」


 言い終わらぬうちに、手の中で先生のスマホが電波の受信を始める。

 そして次の瞬間には、先ほどと同じ位置に先生が立っていた。


「えっ、嘘……ど、どういうこと?」

「あぁ、すみません。現世うつしよ幽世かくりよの狭間の世界を見てきたんです。何かあれば分かるんで。残念ながら、特に異変はありませんでした」

「はぁ……」


 しばらく待ってみたものの、妙な気配は感知できない。

 そうこうするうちに参拝客が訪れる時間となり、僕たちは邪魔にならない程度にくだんの階段付近をうろついた。


 女の人とその家族、みんなきちんとした正装でやってくる。

 妊娠五ヶ月でのお参りだったか。見る限りでは、その人が妊婦さんかどうか分からない。まだお腹の目立たない時期なのだと、僕は初めて認識した。


 緋奈子さんは参拝客の相手をしつつ、時々僕たちのところへやって来た。


「今また歌が聴こえました」

「見てきます」


 その都度、先生が狭間の世界を見にいったが、やはり収穫はなし。そんなやりとりが昼ごろまでに数回あった。


 正直、僕は焦っていた。『かごめかごめ』の歌なんて、一向に聴こえない。

 本当は誰よりも早く察知しなければならないのに。そうでなければ、僕は何のためにここにいるのか。

 共感応エンパスが役に立たないなら、僕には一つの取り柄もないのに。


 昼は社務所の奥の休憩スペースにて、用意してもらった軽食をいただいた。

 午後になると空を覆う雲はますます厚くなり、一層冷え込んだ。まだまだ日のある時間帯なのにやたらと暗く、どうにも気持ちが鬱々としてくる。

 何の成果も上げられないまま、ただ時間だけが過ぎていく。



 午後二時。

 境内にある屋根とベンチだけの東屋あずまやに、冷たい風が吹き抜ける。

 温かいお茶を持ってきてくれた緋奈子さんが、疲れた表情で言った。


「ご祈祷は四時までなんです。あと二時間、何事もないといいんですけど」

「歌は、今は大丈夫ですか?」

「はい、もしまた聴こえたらお伝えしますね。すみません、狼少年みたいで。なんで私にしか聴こえないんだろう」


 先生はベンチに腰掛け、脚を組んだ。


「その理由はある程度、予想しています。まだ確証はありませんが、あまり良くない状況かもしれません」

「え? それはどういう……」


 その時だった。

 僕の肌が、そわそわと何かを感じ取った。胸の奥が甘く掻き立てられるような、不思議な感覚。居ても立ってもいられず、思わず腰を上げる。


「服部少年、どうした?」

「いえ、何かが来る、ような」


 気配の近づいてくる方向へ目を向ける。

 階段を上がり、参道を歩いてくるお客さんたちの中に、その人はいた。


 黒い羽織に、菫色の訪問着。結い上げた髪に簪を刺した美人。先日会った時よりもフォーマルな装いに見える。


「……百花もかさん?」

「あら?」


 僕たちに気付いた百花さんが、ぱたぱたとこちらへやってくる。今日は足元が草履だ。


皓志郎こうしろうに服部くん。奇遇ねぇ、今日はどうしたの?」

「仕事だよ。百花さんは、どうしてここに?」

「あたしも仕事。歌が聴こえるのを追っかけてきたんだけど、まさかかち合うとはねぇ」

「えっ……歌って、もしかして『かごめかごめ』?」


 先生に問われ、百花さんは長い睫毛をぱちぱちとしばたかせた。


「あれ、おんなじ『念』かしらん。そうそう、『かごめかごめ』だよ」

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