2-3 深読みと味噌煮込みうどん
かごめかごめ
籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀が滑った
後ろの正面だぁれ
深読みしようと思えば、いくらでもできそうな歌詞。それが、どこか不気味な旋律に乗せて歌われる。
「『かごめ』が、『妊婦』?」
「そう、人の輪が女性の子宮で、中にいる一人が胎児。『いついつ出やる』で、君はいつ生まれるのかと訊いているんです。しかし、『夜明けの晩に、鶴と亀が滑った』。まだ胎児が外の世界の光を知らないうちに、何か悪いことが起きた」
「悪いこと、って」
表情を強ばらせた緋奈子さんの呟きに対し、
「例えば、誰かから突き落とされて流産してしまった、とか」
緋奈子さんが息を呑んだのが分かった。
子宮とか流産とか、女性相手に平然と口にできる先生はいったいどういう神経をしているのか。ちょっと信じられない。
にわかにできた気まずい沈黙をどうにかせねばと、僕は渇いた舌の根を動かしてみる。
「えぇと、じゃあ『後ろの正面だぁれ』は、その犯人が誰かってことですか?」
「うん、そうだろうね。姑が嫁を突き飛ばした話が元になっている説がある。可愛い息子を
「へぇ……」
下世話な内容を嬉々として語る。
いかにも華やかな伊達男という風貌なのに、先生がモテているのを見たことがないのは、間違いなくこういうところに原因があるだろう。
緋奈子さんがおずおずと切り出す。
「あっ、あの、それなんですけど……転倒した妊婦さんのご家族の方が仰ってたんです。急に何かに引っ張られるような感じで体勢を崩したって」
「ほう。それはやはり何者かの『念』が働いている可能性が高いですね。神社という『場』としても、霊気が溜まりやすい」
僕は首を捻った。
「悪い『念』でもですか? 神さまに護られた立派な神社なのに?」
「普段であれば、邪気が神社の守護領域に近づきにくいのは確かだ。だけどむしろ、他の場所より
「なるほど。『場』と『念』、それから何かの条件があって、怪異が起きとるってことですね」
緋奈子さんが眉根を寄せる。
「えっ、条件? 何だろう……今までうちの神社でこんなことなかったのに」
先生はちらりと彼女に目を向けた。その視線に何かしらの含みを感じたのは気のせいか。
「……とりあえず、現地へ行ってみないことには何とも言えませんね。どこかに潜んでいる『念』の発信者が、妊婦の方に悪さをしようとしているんでしょう。放っておくのは不味い」
物理的にこちら側の人間へ干渉してくる『念』の力は、余程のものだ。
「原因を断たねばなりません。次の戌の日はいつでした? 恐らく、それが条件の一つのはずだ」
「十六日です。来週の木曜日。この日は大安なので、朝から晩までご祈祷のご予約で埋まってますね」
「なるほど」
先生は誠実そのものという笑顔を浮かべた。
「では来週木曜日、
正式に調査の契約を交わし、緋奈子さんを見送るころには、外はとっぷりと日が暮れていた。一年のうちで最も日の短い時期に差しかかっているから仕方ない。
先生は旨そうに煙草をふかしながら言った。
「いやー、
もはや良いも悪いも訊かれない。事務所に呼ばれた日は、先生が夕飯をご馳走してくれる流れになってしまっているらしい。
返事を躊躇った僕を、先生は訝しげに見やる。
「あれ、行かんの?」
「いえ、毎回申し訳ないなと思って」
「何、そんなん。給料の現物支給みたいなもんだと思ってくれりゃいい。正当な対価だよ」
「給料は給料でもらってますけど」
「精神的にも負担のかかる仕事なんだ。それに体力付けといたって損はないでしょ。フィジカルの強さがメンタルを支えることもある。服部少年はちょっと華奢だでな」
ぽん、と左の二の腕を叩かれる。弓道のせいで左右がアンバランスな腕の、わざわざ細い方を。
思わずムッとしてしまう。だけど反論はできない。運動部とはいえ体力があるとは言い難いし、体格も同級生と比べたって小柄な方だ。
「分かりました。ご馳走になります」
「そう来んと」
僕より頭一つ分ほど背の高い先生は、こちらを見下ろして片頬だけで緩く笑った。
……お代わりしてやる。
金山駅近くにある味噌煮込みうどん専門店。夕飯時ともあって、席はそこそこ埋まっていた。
二人がけのテーブル席に先生と向かい合わせで座る。外が寒かった分、出されたお茶やおしぼりの温かさがありがたい。
注文したうどんを待つ間、先生はテーブルに置かれた漬物をぽりぽり摘んでいた。白菜と大根ときゅうり。これは食べ放題なので、頼めばいくらでも持ってきてもらえる。
いよいよ運ばれてきた盆の上には、土鍋とごはん。
土鍋の蓋を開ければ、もわっと盛大に湯気が立つ。同時に、香ばしい味噌の匂いも。
まず目に飛び込んでくるのは、真ん中に落とされた生卵の黄色。周りの白身は既に固まりかけている。それを青ネギ、きつね色の刻み油あげ、ふちに焼き目の付いたかまぼこが彩る。一口サイズの鶏肉は名古屋コーチンだ。
所狭しと並ぶ具の隙間からは、太い麺が覗く。八丁味噌を使った汁がぐつぐつと煮立っている。
「いただきます」
箸を割るや、僕は真っ先に卵を潰した。麺にたっぷり黄身を纏わせ、ひっくり返した蓋に取る。なお、この蓋は取り皿として使うために空気穴は空いていない。
息を吹きかけて少し冷ましてから、一気に啜る。敢えて芯を残した、歯応えのある麺。噛めば噛むほど濃厚な味噌の旨味が口いっぱいに拡がっていく。
「うまい」
「うん」
たっぷり味の染みた鶏肉とネギと油あげを咀嚼しつつ、白飯を掻き込む。
小柄だろうが華奢だろうが、とにかく腹が減る。時々漬物も齧りつつ、白飯は二杯目を頼んだ。
男二人、食事中はあまり会話がない。最初のうちは少し気まずかったけれど、いつの間にやら気にならなくなっていた。
麺の残りがわずかになったころ、先生が口を開いた。
「今回の依頼さ、ちょっと時間かかるかもしれんし、無理しんでいいよ。学校あるでしょ」
「その日は補講期間中だもんで、一日くらいなら大丈夫ですよ」
僕にできることはあまり多くないけれど、初めから役立たず扱いされるほどではないはずだ。
「現場に行って少しでも『念』の気配があったら、きっと気付けると思います」
「霊感のある宮司さんでも例の歌声は聴こえんかったって話だもんな。じゃあ今回もよろしく頼む、我が助手よ」
先生はいつものように、にぃっと笑う。
例え霊能者にはならないのだとしても、嫌で嫌で仕方なかった体質が何かの役に立つのなら、と。
未熟者なりに、少しだけ前を向いてもいい気がしていた。
この時点では、確かに。
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