2-2 非日常が日常のケース

 名古屋駅から名鉄あるいはJRで二駅。もしくは地下鉄東山線に乗り、栄で名城線左回りに乗り換えてから四駅。

 金山総合駅の程近く、とある雑居ビルの二階に、小さな事務所がある。


 看板は出しておらず、玄関扉の表側にレトロな風合いの小さな表札がかかっているだけ。

 そこには、こんな飾り文字が並んでいる。


『樹神探偵事務所』


 樹の神と書いて『こだま』と読む。

 密室殺人なんかとは縁がないけれど、この探偵事務所にはちょっと変わった依頼が持ち込まれる。 


 僕の名前は服部はっとり はじめ

 ここで樹神こだま先生の助手をしている、県内の私立高校に通う十七歳だ。


 さて、今回ご紹介するのは、何とも不穏な妊婦の連続転落事件。

 どこからともなく聴こえたという歌声とは、いったいどんな関わりがあるのか……?


 ◇


 その日、学校帰りに事務所へ顔を出すと、樹神先生は応接ソファで漫画を読んでいた。

 『ミラージュ・コレクターズ』十二巻。先日、僕が貸したものだ。

 先生は単行本を閉じ、溜め息を吐きながら静かに言った。


「服部少年、これの次の巻は?」

「いや、それが最新巻です」

「何……だと……」


 その目は驚愕に見開かれ、口元を押さえた指先は細かく震えている。


「続きを、早く続きをくれ……! こんなとこで終わっとるとか……無理だ、もう何も手につかん……」


 愕然と頭を抱えて呻く、三十すぎの男。洒落たスリーピースのスーツに、束ねた長髪がしょんぼり垂れている。


「いや、気持ちはよく分かりますけど。そろそろお客さんみえるんじゃないんですか?」

「あぁ、そうだった。今回はちょっと厄介そうな案件だよ」

「……とりあえず、コーヒー用意しときます」


 名残惜しそうに漫画を片付ける先生を尻目に、僕は湯を沸かし始めた。

 僕の薦めたものに、先生がこれほどハマるとは思わなかった。胸の奥がそわそわする。


 インターホンが鳴ったのは、ちょうどコーヒーの準備が終わったころ。

 今日のお客さんは小柄な女性だ。肩の高さで切り揃えた髪に、くりっとした大きな目が印象的な。

 大きめのボアブルゾンに細身のパンツというカジュアルな服装。僕とさほど変わらないくらいに見えるけれど、事前に目を通した情報によれば二十五歳だという。


「ようこそ、可愛らしいお嬢さん。お待ちしておりました」


 先生がいつも通り気障ったらしいお辞儀で出迎えて席へと案内し、甘い笑みを浮かべながら自己紹介する。


「私は探偵の樹神 皓志郎こうしろうです。比良ひらさん、と仰いましたね」

「はい、比良 緋奈子です。今日はよろしくお願いします」


 向かい合って座る二人の間のローテーブルにコーヒーを出し、僕は先生の後ろに控えて話を聞く。


「比良さんは、八竈やがま神社のスタッフをされているんですね。あの安産祈願で有名な」

「父が宮司で。昔から神社の仕事を手伝ってるんです」


 八竈神社というと、八事やごとにある大きな神社だ。安産の神さまを祀っているのは初めて知った。


「そこで事件が起きている、と」

「はい、事件というか……うちの神社にご祈祷にみえた妊婦さんが、境内の階段で転落するっていう事故が、先月から連続で三件ありまして」

「妊婦さんが? それは大変だ」


 先生はやや大仰に驚いた表情を作った。相手が美人だと、やはりこの傾向が強い。


 緋奈子さん曰く、最初の事故が起きたのは、零和三年十一月十日の水曜日。

 その次が十一月二十二日の月曜日で、最後が十二月四日の日曜日。

 全て『戌の日』であるらしい。十二日に一度、巡ってくる。

 僕は知らなかったけれど、その日に安産祈願をする風習があるのだそうだ。


「幸いどなたも大事には至らなかったんですけど、変な噂になっちゃってるんです」

「でしょうね」


 神社で妊婦さんが立て続けに転んだなんて、縁起が悪いだけでは済まないだろう。お腹に赤ちゃんがいるわけだから、下手したら取り返しのつかないことになる。


「その三回とも、事故の前に歌が聴こえたんです。『かごめかごめ』の歌が」

「……誰かが歌っていた?」

「いいえ」


 緋奈子さんは一瞬だけ言い淀んで、また口を開いた。


「私以外の人には聴こえない歌です」


 先生が小首を傾げる。


「失礼ですが、比良さんには霊感がある?」

「はい、昔から。他の人には視えないものが視えたり、聴こえないものが聴こえたり」


 緋奈子さんがあっさり認めたので、少し驚いた。しかし続く言葉に、僕は更に呆気に取られることとなる。


「父が言うには、私の力はそこまで強くないそうです。思い悩みすぎると悪いものを引き寄せやすくなるから、あんまり気にしんようにって言われてました。だから最初のうちは、その歌のことも大して気に留めてなかったんです」

「お父さんも霊感をお待ちだということですね」

「そうです。でも、父は歌に気付かなかったみたいで」


 普通に会話が続いているけれど、僕にはかなりのカルチャーショックだった。

 霊的なことについて、そんなにごく当たり前に会話できる親子関係が存在するのか、と。しかも気にしないようにと言われて、本当に気にせずいられるものなのか、と。


「二回目の事故の後に一度お祓いしたんですけど、その後にまた三回目が起きてしまって、どう対処したらいいか分からないんです」

「なるほど」

「そもそもうちの神社、普段からちょくちょくあるんですよ。物の位置が変わったりとか、浮遊霊がふらっと来たりとか」


 どんな日常だ。さすが神社と言うべきなのか。だからこそ、このメンタリティなのかもしれない。

 羨ましいなと思ってしまった。「根拠の説明できないおかしな感覚」を否定されない、ということが。


「これ以上に事故が起きたら、神社としても死活問題です。妊婦さんやお腹の赤ちゃんを危険に晒す可能性があるのに、ご祈祷を受け付けるのも心苦しくて」

「それはそうでしょうね」

「だから、探偵さんに原因の調査をしていただきたいんです。私はもちろん父にも、積極的に怪奇現象に介入する力はないので……どうか、よろしくお願いします」


 緋奈子さんは深く頭を下げた。


 一口に霊感と言っても、タイプはさまざまらしい。

 霊的なものを視覚で捉える人、聴覚で捉える人、肌感覚で捉える人。駄菓子屋の百花もかさんみたいに、嗅覚というケースもあるかもしれない。

 そのように受動的な感知はできても、自ら霊能力を行使するためには特殊な訓練が必要だ。


 僕は今、探偵事務所の助手というていでいろいろ学んでいる。でも、別に霊能者になりたいわけじゃない。

 霊どころか生きた人間の感情すら受信してしまう、強すぎる共感応エンパス。これを上手くコントロールできるだけの力を得られさえすれば、それでいいと思っている。

 先生に『感覚の回線を閉じる方法』を教えてもらっていなければ、こうした何気ない場面ですら相手の感情に当てられて平静を保てなくなる可能性だってあるのだ。


 界隈ではそこそこ名の通っているらしい我が師・樹神先生は、いかにも人好きのする笑みを浮かべながら頷いた。


「分かりました。そういうことでしたら、お受けしましょう」

「あ、ありがとうございます!」


 緋奈子さんの表情がぱぁっと輝く。頬が紅潮して見えるのは、気のせいじゃないだろう。


 先生は緋奈子さんにコーヒーを勧め、自分も一口飲んだ。


「比良さんが耳にした歌は『かごめかごめ』でしたね」

「はい、そうです。いつも最後の『後ろの正面だぁれ』を聴いた後に事故が起きます」


 ふむ、と先生は顎に手をやる。


「『かごめかごめ』には、解釈や逸話が多いんですよ。割と有名なので、ご存知かもしれないけど」

「そうなんですか? どことなく不思議な歌だなとは、私も思ってたんです。歌詞の意味もよく分からないし。そもそも『かごめ』って何なんですか? 『後ろの正面』とかも」


 先生は長い脚をゆったりと組む。


「『かごめ』が何を示しているのかということについては、諸説あります。例えば、『囲め囲め』が訛った説。『かがめ屈め』だったという説もありますね。みんなで手を繋いで、一人を『囲む』。真ん中にいる鬼に『屈め』と言っている」


 それならば分かりやすい。


「別の解釈としては『籠の目』、つまり籠の編み目であるという説。人の輪が『籠』だということですね」

「籠! 確かに、そう見えますね」

「それが処刑場を囲んだ竹垣を示している、という見方もできます。そうなれば、輪の中にいる鬼は重罪人だ。『後ろの正面だぁれ』で、処刑人は誰かと問うているんです。その処刑人に背を向けたまま、斬り落とされた頭部だけが地面に転がって相手を見ているから、『後ろの正面』」


 先生はやたら爽やかな笑顔のまま、手刀ですぱりと自分の首を斬るジェスチャーをした。何だか妙に楽しげだ。

 緋奈子さんが絶句している。無理もない。助手の僕ですら引く。


 それにしても、罪人を囲んで囃し立てる様子を模しているのだとすると、何とも悪趣味で残酷な遊びに思える。

 ぐるぐる巡る人の輪。正解を当てなければ、そこから出ることもできない。


「それから、もう一つ。恐らく今回のケースには、こちらの解釈が当てはまるんじゃないかと」


 先生は身を屈め、両手を組み合わせつつ低い声で言った。


「『かごめ』に、『籠の女』という字を当てる。籠を抱いているように見える女性、すなわち『妊婦』であるという説だ」

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